腹に一物ある
会議が終わったみことと合流し、班全員で山に行く準備をする。
初日、昼間のスケジュールは山登りだ。
山登りとはいうものの、学校行事のそれは本格的なものではない。指定のジャージに着替え、水筒を持参すればほとんど準備は終わってしまう。
まりんは小さなリュックの中に沢山物を詰めているようだったが、特に持っていきたいものがないゆめは手持ち無沙汰に部屋の隅をうろついていた。
「霧花さん、準備は終わったのですか?」
「あ、うん。持っていくものがなくて」
「私と同じですね。まりんさんは沢山持っていくものがあるみたいですが、一体何を詰めているのでしょう」
眼鏡越しのつきの瞳が緩やかに弧を描く。
つきのその星空のような瞳に、ゆめは既視感を感じた。
「霧花さん?」
「…!あ、ごめん。合葉さんの目って綺麗だなーって思って」
「………」
「…?合葉さん?」
「…いえ、なんでも。すごく嬉しいです」
つきの瞳の奥に、じんわりと何かの感情が浮かぶ。
温かくて、優しくて、柔らかい。
そんなつきと目を合わせたゆめは密に胸を高鳴らせた。
「ゆめちゃん、準備は終わった?」
「あ、みこと…」
ゆめの背後からみことが現れる。彼女はゆめの目を両手で覆いながら「だーれだ?ってしたかったのに。すぐにバレちゃった」と楽し気に笑った。
「準備が終わったなら、集合場所に行こう?はい、ゆめちゃん」
当然だ、とでも言うようにみことはゆめに手を差し出す。
ゆめが自然にその手を取ると、みことは恍惚を顔に浮かべた。
そんなみことを見つめて、とわこが苦虫を嚙み潰したような表情をする。
傍から見ていたまりんは、誰一人感情を隠そうとしないんだなとしみじみ思った。
*
「つーかーれーたー!」
山登り開始から三十分。
まず一番初めに音を上げたのは、普段運動をしないまりんだった。
「とわっちはともかく、なんでつっきーもみこっちゃんも疲れてないの~?」
「うーん、私はこれでも色んな部活の助っ人に行くし、体力はあるんだよ?」
「私も、その…全く運動をしないというわけではないので」
「あ~ん!裏切者だ~!ゆめりんは?ゆめりんはどう?」
「私も疲れてきたよ、まりん」
「仲間~!うちら、ズッ友じゃ~ん!」
同意したゆめに、まりんは勢いよく飛びつく。
みことはにっこりと微笑むと、そんなまりんとゆめを強引に引きはがした。もちろん、ゆめを掴む手は優しく、まりんに対しては彼女の二の腕ごとがっしりと掴んでいる。
「霧花さん、もし良かったらお手をどうぞ」
疲労が浮かぶゆめの顔を見て、つきは手を差し出す。
ゆめは目を見開くと、その手をつきの顔を交互に見つめながら僅かに頬を赤くした。
「ありがとう、合葉さん」
「いいえ、これくらいなんでもありませんよ」
つきの手に自らの手を重ねながら、ゆめはやんわりと微笑んだ。
先ほどみことの手を取った時とは、高揚感が違う。そして、心臓の高鳴りも。
つきに手を引かれながらゆめが一歩踏み出すと、唐突につきと繋いでいた手が離れた。
驚いて顔を上げると、隣にはいつの間にかみことの姿がある。
彼女はひどく冷たい顔をつきに向けると、瞳だけ弧を描いて笑った。
「ありがとう、合葉さん。でも、ゆめちゃんには私がいるから大丈夫だよ」
「ちょ、ちょっと、みこと」
「なあに、ゆめちゃん?私、変なこと言った?」
みことがしっかりとゆめと視線を合わせる。
その瞳の奥を見たゆめは何も言えず、黙って俯いた。
「…そうですか。でも、班で行動するのですから、霧花さんの隣を歩くのは構わないでしょう?」
「そうだね」
みことはつきの言葉に頷くと、ゆめの手を取って優しく握る。
前を歩くとわこは先ほどよりも更に、苦虫を嚙み潰したような表情をした。
みことは上機嫌に微笑むと、首を動かして周りを見る。
その行動にゆめは少し違和感を感じた。
「みこと?」
「うん?どうしたの、ゆめちゃん」
「さっきから周りをきょろきょろしてるけど、どうかしたの?」
「あ、分かった~!野鳥観察でしょ?」
「確か課題にそんなものがあったな」
「とわこ、きちんと覚えていたのですね。えらいです」
「あ…合葉つき。私はやればできる」
「とわっち、普段は何も覚えてなくない?」
会話の最中も、みことはしきりに首を動かす。その視線の先を追っても、鳥の姿はなかった。
「みこと、」
「うん?うん、野鳥観察。そんなところだよ」
そう言って、みことは美しく微笑む。
しかし、ゆめはその笑顔に温度を感じられなかった。