誰そ彼
表情は笑顔だ。しかし、目が笑っていない。
今日一日のみことに対するゆめの印象はそれだった。
朝礼の後も、移動教室の時も、体育の授業の着替えの最中も、みことはいつも通りゆめにくっついていたが、漏れ出る雰囲気から彼女が怒りの感情を隠していることは明白だった。
理由は言わずもがな。朝礼前の一件、だろう。
しかし、ゆめはどうすれば良かったのか分からない。
みことの顔が徐々に近づいてきて、頬を両手で挟まれて、まるでキスをされそうな雰囲気だった。
…前にも思ったけど、みことは私のことがそういう意味で好きだったり…?
脳裏に浮かんだ考えを、ゆめは首を振って払拭する。
みことのような才色兼備な美少女が、平凡な自分なんかを好きになるなんてありえない。
しかし、仮にみことがゆめを好きだとしたら、色々なことに説明がつくような気がする。他の人が入ってくる隙がないくらい毎日行動を共にしていること。友達以上の距離感。今朝の、キスのこと。
みことのことは大好きだ。けれど、とわこが言っていたように、ゆめのみことに対する気持ちは恋ではないような気がする。それなのに、みことを前にするとゆめは彼女を受け入れてしまうのだ。
ーー思えば、みことを明白に拒絶できたのは今日が初めてかもしれない。
「…霧花さん、大丈夫ですか」
思考がまとまらないまま教科書の用意をしていると、不意につきがゆめに声をかけた。
彼女は大きく眉尻を下げ、その瞳からはゆめへの心配が滲み出ている。そのことにゆめの心は温かくなり、表情を和らげながら笑顔を作った。
「ありがとう、大丈夫だよ」
そう返答したゆめだったが、つきは未だ心配そうに眉尻を下げたままだ。折角できたみこと以外の友人にそんな顔をさせたくなくて、ゆめは何か話題転換になるものを目視で探した。
今から、本日二度目の移動教室である。そのため、つきは教科書やノート、ペンケースを抱えていた。つきのノートや文房具はシンプルなものが多く、装飾品は一切ついていない。しかし、つきの抱えているペンケースには珍しくストラップがついていた。
真っ赤な色をした、折り鶴。
ゆめは何度か目を瞬かせると、そのストラップを指さした。
「可愛いね、それ」
「え?ああ…これですか」
「うん。合葉さん、あんまりそういうのつけてないから。そういえば、都留田さんも折り鶴のスカジャン着てるよね?同じブランドとか?」
「そういうわけではないのですが…」
曖昧に笑ったつきに、ゆめはほっと息を吐いた。
ゆめはつきと会話を続けるため口を開こうとしたが、黙ってふたりの会話を聞いていたみことが「さて。そろそろ移動しよっか」と教科書を軽く机に叩きつけた。
「あ、うん。そうだね」
「ね、ふたりだけで行かなくても、あたしらと行けば良くない?」
みことに賛同するように頷いたゆめとほぼ同時に、つきの背後からまりんが顔を出す。彼女が手に持っているのは派手なペンケースのみで、授業を真面目に受ける気がないことは明白だった。
みことは黙ってまりんとつきの顔を見つめる。そして、色のない笑顔で笑うと「そうだね」とゆめの手を握った。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「うん…」
「みこっちゃん、ゆめりんと手繋いでる~!え、あたしらも繋ぐ?」
「ええ…嫌です」
「つっきー冷たい!てか、ここにとわっちがいたとしても“は?なんでだ?”って言われそう!じゃあ、みこっちゃん!あたしと手を繋ご!」
「ごめんね、ゆめちゃん以外の手はちょっと…」
「ひでえ!」
四人で移動する、という微妙な空気を払拭するため、まりんが努めて明るく声を出す。
少しだけ和らいだ空気にゆめは安堵の息を吐いた。
四人で会話をするのはとても新鮮だった。
教室を出た際は微妙な空気だったが、ムードメーカーのまりん、芯の強い意見を口に出すつき、なんやかんや会話を繋げてくれるみこと。三者三様口を開いてくれるお陰で会話が途切れることはなく、ゆめは再度安堵の息を吐いた。
ふと、視線を感じてゆめは背後を振り返る。
自分たち四人のすぐ後方にいたのは、後ろ暗い顔をした複数の女子生徒だった。
何だか、嫌な予感がする。
そう思ったゆめの脳裏に、今朝のまりんとの会話が過った。
『え、今日…都留田さんお休みなの?』
『そうなんだよ~。体調不良なんだってー。寂しいよね~』
ゆめは思わず息を呑んだ。
ーーまさか、彼女たちがまりんの言っていたつきをいじめているという生徒…?
そう思った直後、ちょうどつきとまりんが下り階段に差し掛かったところで、女子生徒が動いた。
光の宿っていない瞳で半ば無理やりゆめとみことの間に割り込む。
そして、勢いよくつきを階段から突き落とした。ぐらりと傾くつきの身体。隣のまりんが大きく目を見開いたのが見えた。ゆっくりと傾くつきの腕から教科書やペンケースが落ちる。
その光景にゆめは眩暈を感じた。
スローモーションで崩れるつきの身体と、知っているけれど知らない誰かの姿が重なる。その瞬間、ゆめの動悸は激しくなり、深い悲しみが胸の底から湧き上がってきた。
ゆめは感情のままつきの背中に手を伸ばし、背後から彼女を抱き締めた。腕の中のつきが大きく目を見開く。ゆめはつきの身体が傷つかないようにと、咄嗟に手すりに手をつけて自分とつきの身体を回転させた。
背中から落ちていくゆめ。
来るであろう衝撃に恐怖を感じながらも、なぜか心は満たされていた。
階段の踊り場からこちらを見下ろすみことと目が合う。
彼女はこの世の終わり、とでもいうような顔をしていた。
「ゆめちゃん!!」
みことの叫び声が響く。それと同時に身体に激しい衝撃を受けたゆめは意識を手放した。