3話 夜会➀
フィーネは帰宅すると軽く湯浴みをし、新しく買った既製品のドレスに袖を通した。
寄せてあげればそこそこ見栄えはするものだと自分の胸をまじまじと見て、これなら何とか相手をしてもらえるラインだろうと自分に言い聞かせる。
いつもひっつめていた髪をおろし、ドレッサーの奥に眠っていた髪飾りをつける。
目にはアイラインをしっかりと入れアイシャドウを付け足せば随分と華やかな顔になった。
最後に口紅を塗ればチェリーのようにぷるんとした唇ができあがる。
最後の仕上げとしてイヤリングとネックレスをすれば、社交パーティーによくいる貴族令嬢が出来上がった。
「綺麗です、お嬢様…」
「ありがとう」
ただの社交パーティに行くと思っている侍女には悪いが、貴族令嬢としての価値を下げる最も良い方法はこれしかないのだ。
「パーティの後はマリエッタさんのお家に泊まらせてもらうから、私が出たら鍵はしめていいわ」
「承知しました」
あんまり遅い時間に出ると怪しまれるため早めに家を出て、呼んでおいた馬車に乗り込んだ。
しばらく走らせてから適当な所で止めると、バッグの中から小さな片手サイズの本を出しページをめくった。本を取り出す時にチラリと赤い蝶柄の仮面が視界に入り、その残像が頭に残る。
いつもならスラスラ読める内容がなかなか頭に入って来ない。
ー 今からこんなんでどうするの、フィーネ
自分を落ち着かせようとゆっくりと息を吐き目をつぶる。
ー 今から自分のすることも、されるだろうことも全て自分で責任を持つ。そう決めたじゃない
再び目を開け本の最初のページから文字を追った。
いつもしている作業をするとだんだんと落ち着きを取り戻してくる。
そうして次のページ、次のページと進み丁度半分ほど読んだところでパタンと閉じた。
本を丁寧にバッグにしまうと小窓を開け、御者にこんなところで待たせてしまったことを一言詫び、出発するよう声をかけた。
車輪に不備があるとかで少し待ったが15分ほどして動き出す。
馬車がカタカタと走り始めると私はまたも落ち着かない気持ちになったが、それでも馬車を止めることは決して無かった。
小一時間ほど走らせマリエッタの邸宅前に止まると待ち構えていたかのように邸宅の扉が開く。
私が馬車のドアを開けるとマリエッタが急ぎ足で向かって来た。
「今日はよろしくお願いします!」
そう言いながら馬車にマリエッタが勢いよく乗り込むと、邸宅前には心配そうに見送る貴婦人の姿が目に留まる。
フィーネは馬車の窓から軽く会釈すると向こうも同じように返し、そして邸宅の中へと戻って行った。
「ところで、フィーネさん、フィーネさんですよね?」
「え、そうだけど…」
「いつもとぜんっぜん雰囲気違うんですけど!」
「そういうマリエッタさんだって、とっても綺麗で可愛いわ」
これはお世辞でもなく本当にそうだと思った。
くりくりとした目はいつもよりパッチリとし、栗色の髪はややウェーブをきかせてふんわりとしている。ドレスも十代の令嬢が着るにふさわしい鮮やかなピンク色をしておりとてもよく似合っていた。
「いや、それを言うならフィーネさんでしょう!なんか、こう…色気っていうんですか、人を惹きつける何かが出てるっていうか…」
「ふふ、無理しなくていいわよ、それに色気は寄せてあげてるだけだから。それより、これ。はい」
そう言って用意しておいたマリエッタの分の仮面をバッグから取り出す。
「うわー、わたし、仮面なんて初めて付けます!どうです?似合ってます?」
顔に緑の蝶をあしらった仮面をあてがって面白がるマリエッタを見てフィーネの緊張は幾分かやわらいだ。
ー やっぱりマリエッタさんを誘って良かったわ
「顔の上半分が隠れると結構わからないものね。仮面をはずしたらびっくりなんてこともあるのかしら」
「すっごい眉毛!とかですか?」
「ふふふ、何それ!」
きゃあきゃあ夜会に思いを膨らませながらおしゃべりしていると目的地まではあっという間だった。
馬車が停車しチラリとカーテンからのぞくと夜の闇の中にキラキラと輝く明かりが見える。
そこに入っていく人々の向こうにシャンデリアが光って見え、思ったよりも華やかな感じなんだなと思っていた。
「じゃ、行きましょうか」
「はい!」
仮面を付け馬車からおりると私はまるで自分が自分でないような感じがした。
ー 私に本当にできるのだろうか…
入口で友人のつてをたどって手に入れた招待状を見せ中に入る。時間は午後9時。明らかに慣れていそうな人もそうでない人も皆それぞれごちゃまぜになって既に楽しんでいる。
ワインやカクテルを片手にソファに座っておしゃべりする人たち、ダンスを楽しむ人たち、チェスやカードゲームをしていたりそれを観ている人たち。
開始の挨拶もなければ挨拶しなければならない義務もない。すべて自由に振るまっていいのだ。
「ご令嬢方、一杯ワインはいかがですか?」
初めての夜会に圧倒されていると20代後半とおぼしき赤い仮面の男に声をかけられた。身なりから察するに子爵位あたりだろう。
「じゃあ一杯もらおうかしら」
「じゃ、わたしも」
ワインを受け取ると男はフィーネの隣に来て指をさす。
「僕たちあっちでカードゲームをやりながらおしゃべりしてるんだけど、君たちも混ざらない?」
示した方向には数名の男女がソファに腰かけ手を振っていた。
私とマリエッタはどうする?と顔を見合わせると
「もしかして夜会は初めて?なら色々と教えてあげるよ」
と背中を押されて、気づけばフィーネとマリエッタはソファにポンっと座らされていた。
「美しい蝶を2人、連れてまいりましたー」
わぁっと拍手とともに迎え入れられた私は若干気おくれしつつも、今まで味わったことのない雰囲気に少しワクワクするのだった。