38話 協定の結び直し
ヘレンは避妊薬を隠していたことで謹慎処分を受けているので、代わりにキャシーとバーバラに交代で来てもらうことになり、今朝はキャシーに朝の支度を手伝ってもらっている。
カレンは監視役ということで部屋の隅でじっとしている。
「いつもの…いえ、やっぱりいつもより綺麗にしてちょうだい」
私はひっつめ頭と薄化粧をやめた。
キャシーは随分と張り切っている。
とにかく今までの自分の殻を破りたかった。
それから私は一番に職場に出勤した。
なるべくレオと顔を合わせないように。
それにしても王宮官吏職員用の宿舎からだとかなり早い。
カレンはというと第三執務室には入れないので、外務省の受付付近でずっと待機している。
部屋で待っていればいいと言ったけれども、それでは彼の命令に背くことになると頑なに譲らなかった。
「あれ、フィーネ、今日はやけに早いね」
「...ジルベール。あなたこそいつもこんな早く来ていたのね」
久々に会ったような気がするけれど、結婚披露パーティに来ていたからそんなでもない。
けれどあの日から今日までがとてつもない時間を経たかのような疲労があって、ジルベールが懐かしく感じてしまう。
「フィーネ、何だか雰囲気が随分と変わったね。素晴らしい結婚披露パーティで心境の変化でもあったかな」
「そんなところよ。でもあなたの考えるものとは少し違うとは思うけど」
「へぇ」
相変わらず長い黒の前髪と眼鏡でせっかくの青い瞳が隠れてしまっている。
けれど目を細めて少し笑っているようだ。
「そういえばロゼッタも一緒に来ていたわね。あまり話す時間がなくて申し訳なかったと伝えてくれるかしら?」
王立学園以来に見た彼女が少し元気のなさそうだったのを思い出す。
あまり体調が良くないところを来てくれたのかもしれない。
「わかった。妻に伝えておくよ。ところで一つ聞いてもいい?」
「何?」
「結婚しないと言っていた君がレオと結婚したのはやっぱり権力がほしかったからかな?」
私は一瞬言葉に詰まってそれから「違うわ。彼だからよ」とだけ答えた。ジルベールが何を思ってそう聞いたのかはわからないけど、彼もまた権力を持つ侯爵家の生まれとして何か思うところがあったのだろうか。ただ一言「そうか」とだけ答えて、それから「じゃ」と別れ彼は第二執務室へと入っていった。
隠すようにしていたあの青い瞳を見ると、レオを見ているようで少し苦しい。
けれどこんなことで動揺している場合ではない。
私はこの一週間ではっきりさせなくてはならないのだから。
そしてジルベールとは反対方向に進むと、いつもの第三執務室での朝が始まった。
ガードナー室長が来て、イリスが来て、ぎりぎりの時間にマリエッタが来る。
三人ともまず私の見た目がいつもと違うことに驚いた。
それからそれぞれ一昨日の結婚披露パーティのことを軽く話題に挙げ、私はにこやかに対応した。
そう、とてもにこやかに。
そしてお昼の時間。
普段なら仕事に集中しすぎてすっ飛ばしがちな時間帯に、私は席を立つ。
「室長、お昼の時間ですのでイリスとマリエッタさんを連れて行きますね。室長はどうなさいますか」
私はニコニコしながらガードナーを見る。
普段の行動からすると明らかにらしくないふるまいに、聡い彼は何かを感じ取ったようだ。
「私は後で一人で取ることにするよ。三人で行っておいで」
さすが室長。
思惑通り私はイリスとマリエッタを連れ出すことに成功した。
「じゃ、行きましょうか。イリス、マリエッタさん」
私は終始ニコニコしながら二人を誘い、そして予約しておいた食堂の個室へと入った。
♢
普段は取らない個室にもしかしてレオも後で来るからかとかイリスがおちゃらけていたが、料理がテーブルに並んでイリスが食べようとして空気は一変、私はテーブルを片手でバンっと叩く。
「さぁ、あらいざらい話してもらいましょうか」
マリエッタがイリスを先輩呼びしていた時に違和感があったのに、二人の間に何かがあったわけではなく協定を結んでいたとは。
「ど、どうしたんだよ一体?」
「イリス、私に何か言う事あるでしょ?」
「へ、言う事って…?」
それからずっと黙っているマリエッタに向けても言葉を投げかける。
「彼、…レオとイリスといつから結託して私をハメる算段をしていたの?」
そう言うと何のことなのか分かったのか、イリスがサーっと顔色を変えた。
「ちょ、ちょ、ちょっと聞いてくれよ。レオが何言ったか知らないけど、僕はただ少し様子を教えてやってたその流れで、だいたいまさか僕の言葉を本気にして実行に移すなんて思わなかったし」
イリスがペラペラとしゃべり始めた時、マリエッタが口をはさむ。
「ごめんなさい、フィーネさん。怒るのは当然のことをわたしはしてしまった。何と言われても仕方がないです。ごめんなさい」
うつむくマリエッタを見てさっきまで騒がしかったイリスも同じように「ごめん」と小さく謝る。
しばらく沈黙の時間が流れ、温かい料理の匂いだけが部屋に漂っていた。
「はぁ、もうわかったわ。顔上げて」
そう言うとイリスがおずおずと聞きにくそうに顔を上げる。
「その…二人は上手くいってるんだよな。この前のパーティで見た時、そう思ったんだけど」
「そうね、あの時までは上手くいってると思ってたわ。けど色々あって今は宿舎に泊まってるわ」
「宿舎に!なんで!」
「色々は色々よ」
そう答えるとマリエッタは少し顔を歪めた。
そして私が食事に手を付け始めると、いいのかなという表情で二人も食べ始める。
「まぁ、でもバレてるなら知ってると思うけどレオのやつずーっとフィーネに片想いしてたんだぞ。あん時はあーするしかなかったよ」
「それで?」
「それでって、あのレオ・バートランドがずっとだぞ。嬉しくないのか?」
「嬉しいとかよりも驚きの方が強かったわ」
そもそも自分の不埒な思いから始まった関係だ。
向こうがどうであれ私にそんな思いはなかった。
そして今、彼に対する気持ちに少なからず愛情は感じるものの、それがはたして本当に愛してるといえるものなのか私にはわからない。
一途な彼に不誠実な愛で答えるのは、間違っている。
「それで物は相談なんだけど、今はレオに会いたくないの。イリスは宿舎にいる一週間でいいから彼の動向を私に流して」
「何それ、僕それじゃあ二重スパイみたいじゃん」
「みたいじゃなくて、そうよ」
今となっては仕事だけを生きがいにして生きて行きたかったのかすらわからなくなってしまった。
ただ周りの男たちよりも秀でていることを証明したかったのか、はたまた母を見返してやりたかっただけなのか。
足元がこんなにぐらつく感覚は初めてだ。
「今顔を合わせたら、私はきっとまた逃げ出したくなってしまうわ。それこそ家から逃げたみたいに。そしたらどうなるかなんて分かるでしょ」
「はぁー、わかったよ!要は会わないようにすればいいんだろ。しょーがない、ジルベールにも協力してもらうか…」
イリスはこれでいいとして、問題はマリエッタだ。
今回のことでわかったけど彼女は食えない所がある。
「それとマリエッタさんは私に協力する気はまだあるかしら?」
「わたしはフィーネさんを尊敬してます。信じられないかもしれませんけど」
彼に本当のことを打ち明けられて頭をよぎったことがある。
私が最初に出会ったのが彼じゃなくて本物の青薔薇の貴公子だったら、と。
そしたら同じように私の胸は高まるのだろうか。
私は自分の気持ちを確かめたい。
「そう、ならまた声をかけるかもしれないわ」
「…わかりました。それが今のフィーネさんにとって必要なことなら」
マリエッタは私のしようとしていることに気づいたのかもしれないが、今度はきっと彼女は誰にも話さないような、そんな気がした。
そしてそれから一週間、危惧していた問題は起こることなくレオと顔を合わせることは一度もなかった。




