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 何時からか薄紅色の灰が止めどなく降り続ける国道220号線を、二人は適当なFMを垂れ流しつつ走っていた。鹿児島の人間にとっては桜島から降る灰は迷惑なれど見慣れた光景である。灰に色が付いている理由や原理に関しては分かる訳も無いが、原因に関しては餓鬼や巨木の仲間だろうと予想が出来た。


「まるでハッピーエンドのラストシーンですね」


 ハンドルを切りながら呟いたカイの後ろでレイが珍しくクツクツと笑う。


「えぇその通りコレは”幸せの終わり”。だから、”ハッピーエンド”に相違ないわ」


 こんな時に何が面白いのかと訝しみながらも、カイは事務的に動くワイパーを横目にアクセルを深く踏んだ。普段は時速50kmが限度だが現在ばかりはメモリが三桁にまで振り切れんばかりの勢いだ。

 地震で道路が割れたり土砂が崩れている危険もあるけれど、それ以上に根源的恐怖が迫っているせいで感覚が鈍っているのかもしれない。

 周囲の車も同様だろう。


「そういえば、遺体を回収したのって証拠隠滅だけが理由じゃ無いですよね」


 するとレイは形の良い眉目に皺を寄せる。


「突如現れたモンスターの素体よ? 調べるために決まってるじゃ無い」


 今や女性もゲームを大手を振って嗜む時代。しかしレイばかりはどこか浮世離れした雰囲気があった為に彼女のような人間からモンスターの素材という言葉が飛び出て、カイはひどく面食らった。

 理路整然とした理系かと思えば現実にとらわれず感性に従う面もある。一体どれが彼女の本性なのだろうと考えていたが、こんな状況にレイもおかしくなってしまったのだと思い直す。

 鑑みてみれば自分自身も混乱が極まり収拾もつかない状況だ。そういうこともあるのだろう。


「そう、っすね」


 トランクが独立しているとは言え、気を抜くと後ろの方から獣臭い匂いが漂ってくる。当然車内の空気はよどんで重たくなるばかりだが、冬場は北西への風が強くなり桜島から見て風下の垂水市は火山灰の影響で窓を開けることも叶わない。


「今度は私から聞くわね。あなた、どうして最初に桜島へ逃げようとしていたのかしら?」


 そんな空気を切って破るように、レイは足を組み替えながら聞く。


「どうして今になって?」


「さっきは一蹴してしまったけれど、なにか理屈があるなら……その、今が最後の機会だもの」


 経年劣化で曲がった看板には桜島この先500m先左折と出ていた。そこを過ぎれば二人はもう戻ってこようとは思わないだろう。


「別に大した考えがあるわけじゃ無いんですよ。ただ、このままいけば僕等は人口の密集した場所で往生を喰らうかもしれないなと思っただけです」


「その時はバイクでもパクればいいじゃない」


 わざと悪びれた言葉を使うレイに苦笑をこぼしつつ、カイは続ける。


「それに桜島は人口が3000人と少なくその殆どが死にかけの老人ですから、都市部の二の舞にはならないかと。まあどこまで行っても巨木に踏み潰される可能性はある訳ですから、レイさんの言う通り普通に逃げておいた方が良いかもしれませんけどね」


 そこまでを一息のもとに吐ききってバックミラーをチラと見る。レイはやはり難しい顔をして顎を手の甲に置いていた。


「……桜島へ行ったとして考えられる最悪のケースは、島の最たる交通手段であるフェリーが殆ど人間を回収せずに出航し対岸からは帰って来ず、続々と湾に集まってきた老人が巨木の検知にかかり島が踏み荒らされるといったところかしら」


「あとは同じような考えの人間が集まってくるかもしれませんし、食料の争奪戦は怖いですね」

「そんなのどこでも同じだわ。それよりもモンスターの出現条件が不明だという方がよっぽどの懸念点よ」


 顎を上げたレイは流し目でトランクを見る。


「そういや危険なモンスターはあの木だけじゃありませんでしたね」

「桜島は陸続きだけれど入口さえ封鎖してしまえば内陸部の殲滅は可能ね。でも人類に気づかれず現れたところを見るに木端のモンスターは地面の下、更に言えば虚空から無限に現れる可能性もあるわ」


 だとすれば殲滅が無駄になる事はないけれどその難易度と頻度は跳ね上がることになる。その事に気がついてカイは閉口してしまう。


 幾つ目かのカーブを曲がり切ると桜島行き間も無く左折という看板が現れた。


「でも分の悪い賭けって嫌いじゃないの」


 そういってレイは横からずいと現れてハンドルへ手を伸ばし、勝手に左へと切ってしまった。横殴りの重力から押し潰される最中カイが咄嗟にブレーキを踏んで車体を安定させなければそのまま海にダイブしていた事だろう。


「よかった。冬の海は体に堪えるもの」


 誰のせいで!! という悲痛な叫びがあたりに響く。そうして蛇行するモダンはたった一台国道からそれて桜島へと進むのだった。


 ◇


 鹿児島県は南部。県自体が大きな湾を描いたその中央に聳えるのは、言わずとしれた日本で最も活発な火山、桜島。

 つい数時間前までは灰色の煙を吐き出していた火口からは、今やその名前に違わぬ桜色の灰をもうもうと天に伸ばしている。

 とはいってもその背景も夕に焼けて殆ど同化しているのだけれど。


「本当に大丈夫なんですかね」

「私の祖父の家よ、大丈夫に決まっているじゃ無い。それとも、もう島に残ることが不安になってしまったのかしら」


 南分の海岸沿い。すっかり車も人の影も無くなった古民家の前で立ち尽くすカイを置いて、レイは一人そそくさと玄関扉のガラスを近場の角材でたたき割った。


 鋭い音が辺りに響きカイはビクリと身を震わせるが、怒り心頭の雷親父が出てくることは無い。

 けたたましく鳴り響くサイレンの音を聞いて既に住民は避難を終えたのだろう。

 仮に耳が聞こえ無くとも海岸を見れば東西に一匹ずつ黒い巨木が地を鳴らしながら街を蹂躙する光景が見えるし、自治体や消防単体もあるのだから逃げ遅れた住民が居る可能性は低かった。


 さて、しかし二人は火事場泥棒をしているわけではない。当然周囲から見れば災害にかこつけて空き巣を働いている様にしか見えないが、その目的は生存に必要な物資の収拾。

 少なくとも金品の回収ではなかった。


 されどレイの言う祖父の家という証言も本当か分からない上に家主がいないという事でカイからすれば不法侵入をするのとなんら変わらない。

 ということで始めに合掌を一つ。緊急事態につき失礼しますと詫びを入れてから、レイに習って土足で玄関を上がる。地震で危険な物が散乱している可能性もあるし咄嗟に逃げる為の準備も兼ねた非常に合理的な手段だ。


「警戒しましょう。気配は即ち敵よ」


 玄関に上がると、日本家屋特有のどこか懐かしさを覚える畳と香の匂いとが漂ってくる。


 レイは始めに玄関の左脇、つまりは南側にあたる客間の襖を開けて中に人が居ないことを確認。そして正面の階段を横目に右手の扉に手を掛けた。中は便所があるばかり。


 フウと息を吐き、二人はそれぞれ拾った角材を手に階段横の廊下を縦に並んで練り歩く。本来ならばカイが率先して前へ出るべき状況とも捉えられるが、有無を言わせない女が勝手知ったる我が物顔で引率をするので黙ってついて行く事に決めていた。

 地震に人身事故に巨大なモンスターとが現れたせいでカイの胃はキリキリと痛み始めており、この上から毒舌の新入社員に叱られてはとうとう穴が開いてしまうだろう事は明白だ。


 暫く廊下を歩くと突き当たりには横開きの扉があって、左側に一段上がった部屋が見えてくる。

 だがレイはそこへ足を踏み入れる前に手前の洗面所と併設した風呂場へ油断なく視線をやった。


 後ろからついて行くだけで若干気の抜けたカイは本格的だなんて他人事のように思いながら彼女の後ろ姿を眺めている。


 真っ直ぐ進み左を覗き見ると、そこには夕明けに照らされる横に長い12畳程度の座敷があった。

 正面にある障子は開け放たれ縁側が見えており、右手最奥には丸窓障子が特徴的な床の間。


 あいにく掛け軸に記された達筆の格言は読めそうにないが、そこで二人は気付く。

 廊下の突き当たりにあった扉越しに、地面を這いずる様な音がひっそりと聞こえる事に。


 今まで喋っていた事や足音といった気配を感じても逃げなかった所を鑑みるに向こう側にいるのは相当の強者か愚者か。

 どちらにせよ現状の装備で相手をしたく無いというのは二人の共通認識である筈だ。


「……一旦、退避しますか?」


 震えるカイの質問に、レイは小さく頷き。

 しかし裏腹に横開きの扉を蹴破って見せた。


 そこは所謂ダイニングといった場所で、新聞の積まれた小さな机の奥にはキッチンがある。


 二人が見たのは机の天板と蹴破られた扉の向こう側から一人の老人の顔が鎌首を挙げるという光景だった。

 頭頂部からゆっくりと現れた男は光の灯らぬ目を不器用に歪ませて、赤く濡れた顎を机の上に沿わせるようにして近づいてくる。歪な表情は泣いている様にも笑っている様にも感じられた。


 真っ先に動いたのはレイ。彼女は腕を振り上げると、何の躊躇もなく人面に向かって角材を振り下ろした。

 現状では単なる不審者極まる男に攻撃ができたのはレイの本能とでも言うべき場所が警鐘を鳴らした事に他ならない。


 人面は攻撃を横へ動くことで避ける事に成功したが、二人はそこで初めて彼の全貌を見る事になった。


 そこにいたのは頭部だけが人間のそれにすげ代わった1匹の蛇。音もなく揺らめく姿は奇異と憎悪を具現化したかの様である。


 体は人間の太腿程の太さほどもあり、その長さは3メートル以上にものぼる。

 南米のジャングルでジャガーと格闘をしていそうな、深緑に黒い縁模様の蛇だ。


 さしものレイにとっても流石に想定外だったのか思わず体を硬直させて固まってしまう。

 単純に考えれば蛇の頭部が人間のものに変わっただけ。牙も失って、仮に持っていたとしても毒を注入することは難しいだろう。


 だがそんな事を度外視しても余りある、冒涜的なまでの容姿に変わった祖父の姿は、レイの思考を吹き飛ばすだけの威力があったのだ。


 及び腰で今に発狂し逃げ出さんとしていたカイも彼女の後ろ姿からは唯ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、女の腕を取るに至る。


 一瞬だけビクリと跳ねたレイは直ぐ様に体を捻り、後ろを走る男に引かれて駆け出した。

 後ろからは怒号を上げながら追いかける祖父だったもの。


 若干の躊躇はありながらも土足で踏み入った過去の自分に限りない賛辞を送りながらも、彼女は懐かしの場所を懐古する暇もなく飛び出した。


「レ゛ェェ!! イ゛ィィぃぃ゛゛゛!!!!!!」


 乗り込んだ車が発進する直前に聞こえた悲痛な絶叫は、サイレンの音にかき消されて遠くへと消えていく。

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