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6.優秀な補佐役

 ホグワル侯爵家に新しい使用人としてアリーチェ・ロルバケルが来てから半年が過ぎた。



 当初、ロイドは私にこう言っていた。


『こんなことになって本当にすまない、レティ。だが、あれは過去のことだ。私のことを信じて欲しい』

『……はい』

『私が頑張ればいいだけのことだ。補佐を雇わずとも大丈夫だと、父上達に認められるように。それまでは我慢して欲しい』

『無理はなさらないでくださいね』

『本当に優しいな、レティは』


 ロイド自身が一番辛いのだと分かっていた。義母から不出来な跡継ぎと叱責され、義父も補佐を付けることを承認するという形で、それに同意を示したのだ。……辛くないはずがない。


 だから、私は彼の謝罪を受け入れた。無理しないでという言葉は本心ではなかった。本当は、あの人が早くこの屋敷からいなくなるように頑張ってくださいと言いたかった。


 ……優しくなんかないわ。


 彼が弱々しく項垂れていたから言えなかっただけ。




 しかし、半年が経った今も、アリーチェは彼の補佐役としてこの屋敷にいる。


 義母の言う通り、彼女はとても優秀な人だった。ロイドの執務の段取りを改善し、短期間で目に見える形で成果を出した。

 彼女の改善案は、彼女ありきのものではなかった。だから、その時点で彼女が補佐役から外れても問題ないはずだった。

 なのに、彼はまだ彼女を屋敷に留めている。その目には彼女に対する熱い想いは感じられない。純粋に優秀な補佐役を手放したくなくなったのだろう。


 義父母はともに優秀な人で、ホグワル侯爵家は彼らの活躍によって人脈や財を数倍に増やしたらしい。息子である彼にとって、彼らは目標でありいつか追い越したい存在なのだ。


そのためには必要なのは、優秀な人材――アリーチェだった。



『レティ、もう少しだけだ』

『ですが、もう十分ではあり――』

『あと少しだけ。もっと私が優秀になれば、こうして君と過ごす時間も増える。そうだろ、レティ。愛しているよ』


 私がこの話題を持ち出すと、彼は強引に話を終わらせ、約束を果たす日はいつも先延ばしにされた。





 ◇ ◇ ◇

 


 今日の午前中、私は公爵家のお茶会に招かれていた。正午過ぎに屋敷に戻ると、義母の声が廊下に響き渡っていた。声がするほうへと歩いていくと、そこには義母と年若い侍女がいた。



「これでは駄目よ。我が家の品位を下げるわ」

「申し訳ございません、奥様。どう活ければよろしいでしょうか?」

「そんなこと自分で考えなさい。それがあなたの仕事でしょ」


 義母は素っ気なく言い放つと、目に涙を浮かべる侍女をその場に残して去って行く。

 義母は自分に厳しいけれど、それと同じくらい周りにも厳しい。使用人に甘えは許さない。どんな時でも結果が全てだと、そうなった理由も聞かない。


 私は泣いている侍女に近づき声を掛ける。


「長さを均一ではなく、変えてみたら良いと思うわ」

「……そ、それだけでよろしいのですか? 若奥様」

「ええ、それだけで大丈夫よ。不揃いにすると、不思議と動きが出て素敵になるの」


 この侍女は最近入った子だ。貴族の屋敷を飾る華やかな活け方を知らなかったのだろう。しかし、当然知っているものとして、上の者に任されてしまったのだ。もし注意するならば、確認することなく任せてしまったうっかり者をだ。

 この子のせいではない。教わってないことは出来ない。だったら、教えてあげればいいと私は思う。


「あの、これでよろしいでしょうか?」


 おずおずと侍女は尋ねてくる。義母に叱責されたのが尾を引いているのだ。


 活け直した花は完璧だった。たった一つの助言で、ここまでやれるのだから凄いと感嘆する。


「見事だわ、才能があるのね」

「ありがとうございます! 若奥様のお陰です。本当にありがとうございます」


 侍女は何度も頭を下げながも、その顔には可愛らしい笑みが浮かんでいた。



 私は義母のように優秀でなく、自分だってよく失敗するから、人に厳しく接することを躊躇してしまう。叱責しなくとも、ちゃんと伝わる方法は他にもある。


 義母にはよく次期侯爵夫人なのだから毅然としなさいと注意される。でも、私には難しい。……出来ない人の気持ちが分かってしまうから。


 叱責するべき時もある、ただそうでない場合のほうが多いように思えてしまう。

 

 最初の頃はどうするべきか悩んだ。『お義母様の期待に応えたい、でも……』と。


 最近、私は答えを見つけられたと思う――自分らしくやっていこうと。こうして、私の行動でほっとしてくれる人がいるなら、それでいいと思えるようになった。


 それは侯爵家に仕えている人達のお陰だ。


『レティシア様、先ほどはありがとうございました』

『教えて頂き有り難うございます、若奥様』


 みな些細なことに対して温かい言葉を返してくれた。……本当に支えられている。



 私が未熟なのは変わらないけれど、次期侯爵夫人として少しづつ前に進めている。




 私は階段を上がり二階にあるロイドの執務室へと向かう。呼ばれたわけではない、でも空いた時間があれば、必ず足を運ぶようにしていた。

 少しでも彼の仕事を手伝って、約束が果たされる日が一日でも早く来ることを願っていたからだ。


 トントンッと軽く叩くとすぐに扉は内側から開かれる。開けてくれたのは、予定されていた休憩時間に合わせてお茶を淹れに来ていた侍女だった。


「若奥様もご一緒いたしますか?」

「ありがとう。でも、いらないわ」


 このあと人と会う予定が入っていた私は、無駄になってしまうのを案じて断った。ロイドはまだ私に気づいていない。

 夢中で書類を読んでいて、その隣にはアリーチェが立ち、口頭で彼に説明しているようだ。


 優秀な補佐役ならば至極当然で、決して近すぎる距離でない。


 でも、彼らのあんな姿を見ると胸がざわつく。……慣れることはない。


 そんな思いを顔に表すことなく、ここに自分がいることを知らせる。


「ロイド、お手伝いすることはありませんか?」

「レティ、いつからいたんだい?」

「今さっきですわ。お忙しそうですね」

「ああ、そうなんだ。ちょっと待ってくれないか」


 彼はまたすぐに書類に目を戻してしまう。本当に忙しいようだ。隣に立つアリーチェは私に向かって『申し訳ございません、レティシア様』と告げる。


――普通の謝罪。


 仕事が長引くような至らない補佐で申し訳ございませんという意味だろう。侍女だってそう思っているから、気に留めることなくお茶の用意を進めている。



 ……いつだって、“レティシア様”。



 この屋敷で私は若奥様と呼ばれている。義母が『奥様』だから自然の流れでそうなった。


 アリーチェの立場は大勢いる使用人のうちの一人。でも、彼女だけは私のことを『レティシア様』と呼び続けている。他意はないのかもしれない。現にロイドのことは若旦那様ではなく、ロイド様と呼ぶ使用人のほうが多い。


 けれど、そんな些細なことも気になってしまう。彼女が夫のかつての想い人だという、彼女自身が預かり知らぬ理由で……。



――彼女に落ち度はない。



 熱心に仕事を続ける二人を複雑な気持ちで見ていると、侍女が私のそばに近づいてきた。


「若奥様、お医者様がいらしゃったようです」


 侍女は二人の仕事を邪魔しないように囁くように話す。

 壁に掛かっている時計の針はまだ約束の時間を指してはいなかった。予定よりも早く着いたようだ。でも、待たせるわけにはいかない。


「失礼しますね、ロイド」

「……」


 集中している彼の耳に私の声は届いていなかった。何度も声を掛けて邪魔するのは悪いので、そのまま部屋を出ていこうとすると、困ったように微笑むアリーチェと目が合う。


 その唇は『(申し訳ございません、レティシア様)』と動いていた。




 









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