38.特別な友人①
レティシア・バークに戻ってから、早いものでもう半年が経った。
私は四ヶ月ほど前から、王都から馬車で三時間ほどの場所にある小さな別邸で暮らしている。
離縁から一ヶ月ほど経った頃、社交界で私のことが噂になり始めた。『お可哀想に、石女となられて……』と。
――その言葉の裏にあったのは嘲り。
私のことを心配した両親は、噂が落ち着くまで王都から離れなさいと送り出してくれたのだ。
別邸がある町は、自然豊かなところで喧騒とは無縁な場所だった。ここで私はゆっくりと過ごすつもりだったけれど、意外にも忙しくしている。
ここは王都から片道三時間、往復で六時間も掛かる。気軽に訪ねて来れる距離とは言い難いのに、私のもとには頻繁に家族や友人が来てくれていた。
それに心が籠もった手紙も送られてきたので、その返信を綴ったりしていると、あっという間に一日が終わってしまうという感じだった。
昨日はミネルバが別邸を訪れてくれた。
彼女とはあのお茶会から親しくさせてもらっている。ミネルバは知識が豊富な人で、話していると楽しいだけではなく学ぶことも多い。
友人の中では、彼女が一番ここに足を運んでくれている。
「レティシア様、今日も天気が良いですから、お庭でお過ごしになりますか?」
「ええ、そうするわ」
「余計なことかもしれませんが、診てもらうお医者様を変えたほうがいいですよ」
テキパキと用意しながら、侍女――マーサが真剣な面持ちでそう告げてくる。
彼女はこの町に住んでおり、ここに滞在している間だけ雇っている。私と同じ年くらいの娘さんがいるようで、侍女というよりは母親のように接してくる。その気安さは言葉使いが少々荒いメルアといった感じで、楽しい人だ。
彼女が言う医者とは、今日ここに来る予定のマールである。彼もまたこの別邸によく来てくれている一人だった。
「どうして変えたほうがいいと思うの? マーサ」
「こんなに頻繁に往診に来れるってことは暇なんですよ。つまり藪医者ってことです。悪いことは言いません、早めに他のお医者様を探すべきです」
マールの評判は流石にこの地までは届いていないようだ。だから、マーサは彼が来るといつも微妙な顔をしていたのかと苦笑いする。
彼は週に一回ほど往診に来てくれている。それは私が嘘を吐いたせいだった。
『レティシア様、嘘に合わせて定期的な診察は続けましょう。そのほうが自然ですから』
『ですが、遠くまで来て頂くわけには――』
『王都以外に手を広げて鴨――ではなく患者を増やそうと思っていました。だから、ついでですよ』
ついでなんて嘘だと分かっていた。
彼の優しさに頭を下げると、彼は口角をくいっと片方上げて『それに、』と続けた。
『鴨は一羽たりとも逃がしたくありませんから。どうかご協力お願いします、レティシア様』
彼は王都から離れる私を、お腹が痛くなるくらい笑わせてくれた。
だから、彼は友人としてだけでなく医者としてもここに来ていた。両方を足したらミネルバよりもその回数は多いだろう。
でも、事情を知らないマーサからしたら、暇な藪医者に見えたのだ。
話しながらも彼女は手の動きを止めず、もうテーブルの用意は殆ど終わっていた。
「彼は王都で有名なお医者様なのよ」
「有名は有名でも、藪として名を轟かしているんじゃないんですかねー」
彼女の意識は前にいる私に向いていて、後ろから近づいてくる者に気づかない。芝で足音が聞こえないからだ。
彼は唇の前で人差し指を立てて、しっと私に合図する。
「マーサさん、誰が藪医者なんですか?」
「黒眼鏡ですよ、……って、あら、まあ。お早いお着きですね、マール先生」
後ろの声に答えてからマーサは振り返り、声の主が本人だと知る。
普通なら慌てる場面だろうけれど、彼女は慌てずに笑って誤魔化す。肝が据わっていると他の使用人から言われているだけはある。
「早く来てしまいました。なにせ、暇なもので」
「暇なのは知っておりますとも。では、美味しいお茶を淹れますね」
「お願いします、マーサさん。くくっ……」
逃げるように去っていくマーサ。そんな彼女をマールは楽しんでいる。彼もまた彼女の裏表がないところを好ましく思っているのだ。
「マール先生、今日もありがとうございます」
「今日は医者としてではなく友人として来た日ですよ、レティシア様」
彼は目を細めて『お忘れですか?』と告げてくる。
……うっかりしていたと、私は慌てて言い直す。
「トウヤ様、ようこそいらっしゃいました。でも、トウヤ様もお忘れではありませんか?」
「あっ、そうでしたね。これは失礼しました」
彼は医者として風格を出すために掛けている眼鏡を外すと、嬉しそうに目を細めて笑っていた。
私達は主治医と患者を装っているけれど、実際はもうそうではない。
――ただの友人同士。
だから、彼が友人として私の前にいる時は先生呼びはやめている。それは彼の希望だった。友人から先生と呼ばれるのは抵抗があるという。
『では、なんとお呼びすればいいでしょうか?』
『マール伯爵では堅苦しいですから、名前でお願いします――トウヤと』
そして、彼もまた度が入っていない眼鏡を外すようになった。彼曰く、眼鏡は仕事道具らしい。
最初はなんだかくすぐったい感じだった。『トウヤ様』呼びもそうだけど、眼鏡をしていない彼は別人のようだったから。




