3.義母の友人
「レティ、支度は終わったかい?」
「申し訳ございません、もう少しだけ待ってください。今、髪飾りをつけてもらっているところでして」
正装に身を包んだロイドは誰にも止められることなく、私の部屋へと入ってくる。
そう、私達は一年前に婚姻を結び、次期当主とその妻となったのだ。約束通り、彼はその瞳に私だけを映してくれるようになった。
愛人を持つことなく、私を大切にしてくれる。
……あの時は苦しかったけど、彼を信じ母や姉の教えを守って良かったと心から思っている。もし感情のままに気持ちをぶつけていたら、こんな穏やかな関係を築けていなかっただろう。
――私は今、とても幸せだ。
侍女は動かしていた手を止め、一旦下がったほうがいいかとその眼差しで私に聞いてくる。
私は鏡越しに侍女を見ながら、続けるように促す。侍女が髪飾りに手を伸ばそうとすると、ロイドがそれを手で止めた。
「あとは私がやるから大丈夫だ」
「畏まりました、ロイド様」
侍女はロイドの言葉に従い、部屋を出ていく。彼は用意してあった髪飾りを手に取ると、結い上げた私の髪にそっと挿し込んでくれる。
「とても良く似合っているよ、レティ。さあ、行こうか」
「ありがとうございます、ロイド」
彼は軽く頬に口づける。私のお化粧を崩さないように気を使ってくれているのだ。
今晩は公爵家の夜会に招待されている。
私が身に着けているドレスは彼の髪色と同じ濃紺で、彼が差し色として使っているのは深緑――私の瞳の色だった。
結婚したらお互いの色を纏って夜会に出るのは普通のこと。でも、そんな些細なことにも私は喜びを感じていた。
公爵邸に到着すると、すでに夜会は始まっていた。
綺羅びやかな衣装に身を包んだ人達で大広間は埋め尽くされている。
提供されている料理はどれも高級なもので、奏でられている音楽も美しく、装飾も手の込んだものだった。
王族の夜会と比べても見劣りすることがない完璧な夜会。誰もがこの場に招かれたことを誇りに思っている、そんな顔をしていた。
「レティ、気楽にね」
「……はい」
ロイドが耳元で優しく囁く。
私はこういう華やかな場が得意ではない。結婚前も壁の華になるのが常だった。もともと大人しい性格だったので、両親もそんな私に『もっと前へ』と無理強いすることはなかった。
でも、今はホグワル次期侯爵の妻として前に出ることを求められている。
人混みを掻き分けるように、私達のほうに歩いてくる人がいた。夫であるホグワル侯爵と先に会場に入っていた義母だった。
「挨拶回りは終わったの? ロイド」
「いいえ、さきほど着いたばかりなので。これからレティと一緒にするつもりです」
「……そう。レティシア、しっかりね」
「はい、お義母様」
義母はにこやかにそう言いながらも、私を見る目は少し厳しいものだった。
彼女は社交が得意で人脈が広い人だった。それを武器にしてホグワル侯爵家を支えている良き妻でもあった。
だからこそ、歯痒いのだろう。ホグワル侯爵家に嫁いで一年になるが、私はまだ期待に応えられていない。
でも、義母は未熟な私を見限ることなく指導してくれる。厳しいけれど温かい人で、私もいつか彼女のようになりたいと思っている。
「では、母上。失礼します」
「ちょっと待って、ロイド、レティシア。二人に紹介したい人がいるの」
義母は誰かに向かって手を振り、こちらに来るように促しているようだった。周囲にはたくさんの人がいたので、それが誰かは分からない。
「申し訳ございません、通してくださいませんか」
人混みから軽やかな声が聞こえた。どうやら、義母が私達に紹介しようとしている人は女の人のようだ。
と思っていたら、深紅のドレスを着こなした凛とした女性が私達のもとにやって来た。
「紹介するわ。こちらは、ロルバケル男爵令嬢のアリーチェ様よ。この前お茶会で一緒になって意気投合したの。アリーチェ、息子のロイドと伴侶のレティシアよ」
――初めて夫の想い人だった人の名を知った。
知りたくなかったから調べなかったのだ。二度と会うことはないと思っていたのに……。
同じ貴族といえども、侯爵家と男爵家では招かれる場は異なる。高位貴族と下位貴族には見えない壁があるのだ。偶然の再会などあり得ないはずだった。
なにも知らない義母とアリーチェは、私達に微笑みかける。
「すまない、レティ」
「……」
ロイドは私の腰を引き寄せそっと耳元で囁く。その仕草は傍から見れば、仲睦まじい若夫婦そのもの。でも、その瞳に映っているのは私ではなく、あの時のようにかつての想い人だった……。