22.私は私③
それまで私は言い争っている二人に注目していた。
ミネルバの言葉を受け、二人から少し離れた――でも、輪の中心にいる人達に目を向ける。
ギルス候爵夫人と三人の伯爵夫人の計四人がいた。ギルス候爵家は爵位こそ同じだが、我が家のほうが格上と評されている。
「一対五になって、ホグワル侯爵夫人に恥をかかそうとしているのよ。彼女は社交界の華と呼ばれて取り巻きも多いわ。でもね、敵も多い。彼女は気づいていなかったと思うけれどね。だって、踏みつけたこと――些細なことなんて忘れてしまう人だから」
彼女は義母を見ながら冷笑を浮かべている。ぞくっとするほど冷たい目をしていた。
やられた者は忘れない。
人生を狂わされたのだから、忘れたくとも忘れられない。
そして、やった者は簡単に忘れる。その行動で自分は傷つかないから……。
ルーマニ伯爵夫人達は過去に義母からなんらかの仕打ちを受けたのかもしれない。
でも、義母は候爵夫人という立場で守られていた。
貴族社会では身分が物を言うので一対一では太刀打ちできないから、数を揃えてきたのだ。合わせたら辛うじて上回れる――そんな勢力図だろうか。
でも、義母が不利になっている理由はそれだけじゃない。最大の要因はここがダイナ公爵家の庭園ということだ。
――ダイナ公爵夫人と義母の不仲は周知の事実。
周囲を見れば、義母の取り巻き達もいた。義母は不利な状況を覆そうと、それとなく彼女らに視線を送っている。……が気づかぬふりをされていた。
――誰一人動かない。
義母は笑みを浮かべており、一見すると毅然としているように見える。
きっと違う……。
唇の端が僅かに歪んでいて、指先が少しだけ曲がっている。いつもよりも胸を少しだけ反らしている。崩れ落ちそうになるのを堪えている――私にはそう見えた。
「やめておきなさい、レティシア様。あなたが出ていっても意味はないわ、分かるでしょ? あのネックレスはただのきっかけ。あれはあの人の自業自得よ」
「ミネルバ様ならお止めできるのではないですか?」
「この中で穏便に収められるのは私だけでしょうね」
ミネルバはそう言って動かなかった。彼女は”放置する”という対応をしているのだ。
ルーマニ伯爵夫人達があれほど勢いづいているのは、ダイナ公爵夫人が黙認しているから。
黙認=ルーマニ伯爵夫人の味方と周囲は見ていて、たぶん、その解釈は正しい。
義母には思うところはある。あの夕食での言動や、アリーチェのことや、ミネルバに誘われ私が困っている時には目を逸らされた。
今の状況も彼女自身の行いが招いた結果ならば仕方がないとも思う。
それに、ミネルバの対応を非難するつもりもない。義母はそれだけのこと、いいえ、それ以上のことをした。
でも……。
きっとこのままでは義母は泣き崩れてしまう。
今の私は好意的とは言えない感情を彼女に対して抱いている。私はいつか義母と向き合う必要がある。でも、この場に便乗して鬱憤を晴らすのは違う。
この場を収める手段を未熟な私は持っていない。
では、放って置くの? いいえ、それも出来ない。
弱い私には身内を見捨てるという選択は重すぎるのだ。笑ってしまうほど私の器は小さいと、思い知らされる。
では、私に出来ることはなにか。義母の隣に行くことは出来る――それしか出来ない。
「レティシア様、私を敵に回すつもりなの? ホグワル侯爵夫人にそれほどの価値はないわ」
察したミネルバは淡々と問うてくる。
「放っては置けませんから」
「友人として忠告するわ。”次期侯爵夫人という武器”では収められないわよ。恥をかく人数が増えるだけ」
彼女は親切な人だ。言い方を変えて私を引き止めてくれるのだから。
私は心の中で彼女の優しさに頭を下げながら、ミネルバと向き合う。
「分かっています。きっと義母は役に立たない者が来たと顔を顰めるかもしれません。でも、それでいいのです。そしたら、彼女は泣き顔を晒さずに済みますから」
義母はプライドが高い人だから、それだけでも私が出ていく意味はあると思う。
「ご忠告ありがとうございます。行って参ります、ミネルバ様」
「…………」
「レティシア様、お気をつけて」
私の言葉に答えてくれたのはマールだった。
ミネルバはもう何も言ってくれなかった。でも、口惜しそうな表情を浮かべている。
私はそれを見て嬉しいと思った。だって、私という友人を失うことを残念に思ってくれている証だから。こんな素敵な人と一瞬でも友人になれて良かった。
本当にありがとうございます、ミネルバ様。
マールは優しい眼差しで私を見ていた。たぶん彼は私がどんな選択をしても、こんな目を向けてくれるのだろう。
どんな時でも彼は、前を向く力を私に与えてくれる優秀なお医者様。
いつもありがとうございます、マール先生。
二人の友人の異なる視線を背中に感じながら、私は義母のもとへと歩いていく。
周囲の視線が私へと注がれるのが嫌でも分かる。注目されることになれていない私は足が震えてしまっていた。ドレスで隠れていなければ、失笑されていたことだろう。
「お義母様、どうなさいましたか?」
「……レティシア」
義母は近づいてきたのは私だと分かると、やはりがっかりしていた。




