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「あ、ちょっといーかな」
タヒチがおもむろに挙手をした。
「なんやねん、いいとこやのに、水差すなよ」
すすす、と前に出てきたタヒチは、妹の隣へつくと両手で妹の肩を掴んだ。
「一つ、謝らなきゃいけない事があってね。君の妹さんは実は、健康体なの」
その言葉は、すぐに理解が出来なかった。
舌の先まで出かかった言葉がツルリと滑ってまた腹の中に落ちていく、それを瞬間に何度も繰り返した。
妹はクスリと笑った。
「お兄ちゃん、ごめんね。ずっと演技してた」
「……は……え……な?」
なんだか、裏切られたような、貶められたような、それでいて不思議と苦味のない、味わった事のない感情・感覚だった。
裏の世界で散々味わってきた、食い食われのそれとは似て非なる、否、比べようもない感情が煮沸した。
「ちょっとなんとか言ってくれ、なあ」
バツが悪そうな顔で言葉を繋げられずにいる妹に代わり、タヒチがまた手を挙げた。
「ごめん、私が端的に説明する。結論から言うと今回の依頼人は、君の妹さんなの。それで、リフォームしてあげる物件、君も一緒に色々やったから意味はわかるよね。そのリフォーム物件っていうのが、君自身だった。これはとってつけた説明でもなんでもなくて、最初から全部、計画通りなんだよ。今は受け入れるのに時間がかかるだろうけどね。いままで、ありがとう」
「はい? 妹が……? なんで、そんな。ちょっと待ってくれ」
情けないくらい、狼狽してしまう自分。
妹が本物の妹でないような気がして、少し怖くなった。
「君の事を見てられなかったから、らしいよ。それもそうだと思う。妹さんは君の事が本気で心配だったから、高い依頼料を払ってまで君を救ってあげようとした。こんなことは簡単に口先だけで言うようなことじゃないっていうのは百も承知なんだけど、つまりこれは、君のたった一人の家族の、愛なんじゃないかなと私もマダムも本気でそう思って、今回の依頼を遂行してきたの」
マダムの方を見ると、涙をハンカチで拭いながら、それでアイシャドウを少し、そのハンカチに色移しさせてしまいながら、小刻みに、だがしっかりと頷いていた。
「…………そんな…………アホな…………」
「妹さんは、私に直接依頼をくれた。だから、こちらから裏で色々と手配をさせてもらったよ。君の舎弟の方にも協力をしてもらってね。たくさんのエキストラも使って……だけど本物の極道の中に食い込んでの仕事は初だったから、予想外の怪我をさせちゃった事は、謝らなきゃいけない。私たちは一応のプロだけど、裏社会は本当に怖い。本当にゴメンね。その分、妹さんには依頼料を割り引かせてもらったから、これでなんとかご勘弁願いたいの」
「ちょっと待て。おまえ、仕事まで辞めて、こいつに幾ら払ったんや」
タヒチを指差しながら問い詰める。
俺は妹が数カ月間も病人のフリをしていたなんて、信じたくなかった。
焦燥感が、頭の前の方に一気に押し寄せてきて、酸欠で吐きそうになった。
「……金額はこの場だから伏せるけど、仕事は実は辞めてなくって」
なんだか嫌な予感がしたが、ぐっとこらえて次の言葉を待つ。
「会社は?」
「辞めた」
「……あ? どういうことや」
「実はね、私、独立しちゃった」
「……はあ。ほほほ、独立。えぇ独立!? それって、いわゆる暖簾分けかい?」
妹は俺の方を向いたまま噴き出した。それで、少し怒ったように説明してくれた。
「暖簾って、ラーメン屋さんじゃないんだから。個人の家具デザイナーとして活動し始めたの。今、スマホのアプリで手作りの物を売るのが流行っててさ、前からちょこちょこ小遣い稼ぎにスマホカバーとか作ってやってたけど、人気が出て会社の給料より稼げるようになったから思い切って独立しちゃった。開業資金もいらないし、それに」
そして妹は口を押えて顔を赤らめてから、周りを振り返り、俺に一歩歩み寄ると小さい声で
「ちょっと紹介したい人も、いるし」
と、囁いた。




