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「……そうだったのか」
俺は今まで、ただのよくわからない奴だと思っていたマダムの真相を突き付けられ、どう反応したらいいのかわからなかった。
聞いたら聞いたで、なんだか申し訳ないような気もするし、下手な感想を言って落胆させるのも避けたいし……複雑だった。
「瑪瑙ちゃん。あたしのようになっちゃ、ダメよ」
マダムは、哀しさを一杯に含んだ目で俺に言い聞かせようとしてきた。
「ば、馬鹿。何を弱気な事を抜かしてんだ。あんた、自分なりにつらさと戦って今の生き方を見つけたんだろ。それなのにあたしのようになっちゃダメだなんてよ、そりゃあねえぜ。それこそ、亡くなったご家族に示しが付かないんじゃねえのか。違うか? あんた、罪滅ぼしがしたいんだろ? そんでこんな店開いたんだろ? 俺を助けようと色々頭使ってくれて、そんで消防車に乗って実際に俺の命を救ってくれたじゃねえか。上手いシャレにもなってるじゃねえか、かつて火事で家族を亡くした奴が、消防車で人を助けるなんてさ。それだけで十分立派だよ。あんた、自分の何を恥ずかしがるんだ。言ってみろ、ここで、俺に! ほれ!」
「………………」
沈黙が、立ち篭める。長かった。
「……言ってみろほら。何も出ねえか? 何も出ねえんなら、あんた、別に恥ずかしがることは何一つないってことだよ。わかるか俺が言いたいこと。自分の行いに誇りを持てよ。俺だってこんなたいそうな事抜かしてるけど、自分の人生に何の誇りも見出せねえ。自信なんてない。だけどな、さっきのあんたの言葉で気づいたんだよ。俺が居なきゃいけない、俺が支えてやらなきゃいけない存在っていうのが、今やっと目に見えるようになった。俺はずっと自分の事しか見えてなかったけど、やっとわかった。舎弟や妹や、ボスの妾の子のカナコちゃん、みんなみんな、俺が居ないとやっていけない奴ら揃いだ。俺が支えてやって、それでみんなが俺を支えてくれてんだよ。俺に、こんなカスみたいな俺に……ヤクザにもなれないし半グレにもなれない半端者の俺に生きがいをくれてたんだよ。だから三十半ばにまでクソッタレな生活続けてこられたんだよ。それで死の瀬戸際になってみても、やっぱりあんたやタヒチみたいな連中が来て、俺を死なそうとしねえ。俺に死ぬ事を許しやしねえ……だったら生きてやるまでよ。あんたらが、俺をそう仕向けたんだからな。のうのうと、生き抜いてやるさ、地を這ってでも、血を吐いてでも! 実際さっき、そうしたしな!」
「……瑪瑙ちゃん……」
また、沈黙。
長い長い沈黙。
俺は卓上に設置されている煙草を一本とり、火をつけて深く吸い込んだ。
「……さてどうだマダム。あんたのおかげで俺、これからも生きていかなきゃならん。運命ってのは、人との出会いそのものだったんだな。それを気付かせてくれたから、生きなきゃならんくなった。責任とれよ、元・極道だろ。義理は通せ。俺も、そうする」
――突然だった。
店のどこからか、拍手が沸き起こった。
咄嗟に立ち上がる。
「な、な、なんだ? おいなんだこれ!?」
厨房の奥の照明が灯り、満面の笑みのタヒチが現れたかと思うと、そのまま俺に駆け寄って――抱き着いた。
「な、はあ!? いてえ! やめろ傷が痛むわ! なに、なんだいきなり、どうなってる?!」
「おめでとう瑪瑙さん! これで、人生リフォーム完了だよ。思ったよりずいぶん早かったね! もうほんと最高! よかったぁ~。もう、一時はほんといどうなるかハラハラした!」
タヒチの目が、まるで漫画に出てくるように爛々に輝いていた。
「え、なに? は? え? なに? え?」
「めでたく卒業。みんなに感謝して、ほら」
タヒチが指さした先、店の入り口の方には、廃滑走路で見た西野の構成員ら――なぜかタヒチと似た格好だ――と、俺を診察した口の悪い医師、カンちゃん、妹、カナコちゃん、そして――
「……うそだ。なんで……おい、虎目。お前らどうして……」
俺は思わず、大きな身体を小さくしている舎弟に駆け寄った。
俯いて目を合わそうとしない舎弟は、元から肥満のせいで呼吸が荒いが、今はそれにも増して――心理的に、呼吸が苦しそうな、そんな印象を受けた。
「答えろ、な、虎目。おい。これは、いったいなんや。色々とどうなっとんねん、さっぱりわからん」
「……ごめんな。ワイにはもう無理やと思ったんや」
「何がや。何が無理なんや。あ?」
大きな身体を精一杯縮こませあがら、たどたどしく説明する。
「瑪瑙がこのまま、あそこで続けるの無理やて思ったん」
「……それはどういう意味でや」
広大なコンサートホールの舞台で大勢の衆目に晒されながら二人だけで芝居をしている、そんな気分だった。
「このままやっていくと、瑪瑙自信が壊れてしまう、ワイにはそれが目に見えとった。怖かったんさ、もう瑪瑙はとっくに疲れ切ってヘトヘトやのに、いらん根性論でどこまでも無茶しようとするし、辛いはずやのに、なぜか一切折れてくれへんし、そんな瑪瑙に疲れてしもてん、ワイの方が。ワイ自身の話やなくて、その瑪瑙のしんどさが伝わってきて、それに疲れてしもてん。無茶しすぎるん、ほんとやめて」
「……虎目……」
何が言いたいのか、悔しいくらいに、アリアリと伝わってくる。
いつもとっぽい雰囲気で何を考えているかイマイチわからない虎目の発言の中で、一番リアリティをもって響いてきた発言だった。
「せやけど瑪瑙のおかげでなんとか生きてくることできてさ、ワイ、ずっとしょーもないニートやってたけど、外に出て動き回るっていうことに抵抗なくなってさ。そのきっかけを、最初のはずみをつけてくれた瑪瑙には感謝したかった。妹さんにはほんの少ししか協力できやんかったけど、それでも瑪瑙には本当に感謝してる。ワイももうこの世界から足を洗う。一人でやっていく。一人で働いて、一人で朝起きて、そんでいつか恋人つくって、ワイの車でデートするんや。あのファンカーゴ、綺麗に洗車したから。オイルも交換して、傷も修理したよ。ワイに目標ができたんやで。しょーもない奴やけどさワイ、よろこんでよ、瑪瑙……ワイ頑張るよ。本当にクズなワイやけどさ、頑張るよ、これからさ」
その語りの中ほどで、俺は泣いた。
思い切り、泣いた。
人生で初めて、嬉し泣きというものをした。
本当に真っすぐ、曇りなく、涙が溢れた。
いろんな感情が一気に噴火してきて、頭が爆発しそうだ。
涙はこんなに勢いよく出るのかと思うくらい、後から後から流れてきて止まらなかった。
俺はかつての自分の舎弟に縋り、妹やカナコちゃんの目も気にせず、大人げなく号泣した。
「そうか、よかった、お前が……よかった。本当に、よかった! 俺は嬉しい! そういう事が言えるようになったなんて、どう表現してええかわからんくらいに俺は嬉しい! もう、お前の事が心配で心配で、どれだけ苛立ってきたか……よかったよほんと……俺の苦労も報われたんやな、よかった、よかった……!」
「瑪瑙。これからは、自分のために生きてよ。ワイはもう、大丈夫やから。自分自身のために生きて。瑪瑙が幸せにならなきゃ、ワイも幸せやない」
「あぁ。そうするわ。お前みたいなん放っておくわけにはいかんかったからな。その言葉信じるからな。裏切るなよ? やっと手が離れるんか。親の気持ちや、こっちとら」
拳で肩を殴る。
「いてて。殴る事ないでしょ」
笑いが起こる。
胸がすっきりする笑いだった。




