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疫病神のムルシエラゴ  作者: 愛車 風斗
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「いったいどういう段取りでこういう事になった。もういちいち怒ったりしねえからさ、ほんと、包み隠さずに話してくれねえか」



 さすがの俺も憔悴し、店に入るや否やカウンター席に崩れ込んだ。


 他に客はいない。

 まるで俺が来るのを待っていたかのように、静かにカウンターの向こうに現れたマダム・カフェモカは、黙ってこちらを見つめる。



「……なんだよ気持ち悪い。なんとか言えよ。打ちひしがれてボロボロになった俺がそんなに面白いかよ」

「何をしようとしていたの。正直に話してちょうだい」


 低い、男の凄みを利かせたような、ガラガラとした声。


「なにをシケた声で」「お願い。正直に聞かせて。何をしようとしていたの」



 頭皮を掻きむしった。



「何をってお前、けじめをな、ほら」


 自分でも情けなくて、その場からさっさと立ち去りたくなるくらい、震えていて弱々しい声。


「けじめって、なんのけじめ」

「舎弟を助ける代わりに、自分の人生にけじめをつけようとしたんだよ。なんか悪いか」



 マダムは、しばらく沈黙したのち、より一層低い声で、問うた。



「貴方は、この結果に仕方なく巻き込まれたように装って、振舞って見せているけど、本当は、こうなりたかったんでしょ」

「……はあ? なんのこっちゃ」

「今の状態になるのが、本望だったんでしょう」

「どういう意味か、言ってる事がわからんなあ」


 マダムはハァ、と短い溜息をと共に滔々と語り始めた。


「貴方は、自分にできる事は何もないから、裏の世界に入ってビッグになろうとした。そう思いたいのかもしれないわね。だけど、違う。本当は世の中が、人が、怖くて怖くて仕方がないけれど、それを認めようとしないし、そこに向き合おうともせずに、自分で自分を堕落させて、仕方なく追い込まれるように仕向けただけ。心の底では、そうだったのよ。そうすれば、こんなつまらない人生を、まぁそこそこ……それなりに合理的に終わらせられると、そう思っていた。そして今、その通り、お望み通りに落ちぶれて、内心ではホッとしているわけ。否定するでしょうけどね、そうなのよ……。アタシ、わかるから」

「……何を言ってるんやお前」


 目の前にいるのに、遠い。

 だけど、はっきりと伝わるこの熱気。


 凍てつくほどに、灼熱の想い。


「やめて。もうこの期に及んでまで、誤魔化せると思わないでちょうだい。わかるの。アタシ、伊達にこういう商売やってない。本当は、あなたは、死にたいと……そう心の中で思ってたんでしょ」

「………………」


 否定する気力が、気迫が――いつもは隆起するように湧いてくる、ぶっきらぼうな文句たちが、この時ばかりは、まったく湧き上がってこなかった。


「図星なんでしょ。あなたは、自分は死んでも構わないと思い続けてきたのかもしれないけど、だけれども、不器用な周りの人間をそれに巻き込むのは最低よ。それは自分勝手」

「……何が最低だこのやろう……なんも知らねえくせに、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって」


 腹が震える。

 髪が逆立つ感じ。聞こえるか、聞こえないかの、情けない声だった。


「貴方の舎弟さん、貴方の事をとっても尊敬していたし、大好きだったと思うわよ。それでなきゃ、ボスと貴方以外にメンバーのいない弱小の組織にあんて、ずっと残ろうとはしないと思うの」

「馬鹿いえ。アイツは俺より三倍不器用だ。行くところがなかっただけさ。他に当てがないから俺なんか居しがみつくしかなかったのさ。アイツも不幸な身だ」

「そうかしら。貴方は、自分より下を常に傍に作って置いておかないと、自分の存在意義も、自分が何者かすらも認識できない、弱いというより、そう……低い人なんじゃないかしら? レベルが。人間、もともと地獄から始まるわよ、そこから高みに行くのが生きるということなのに、低いままでいたら、そりゃあそれこそ地獄のフロアにとどまったままだから、良くはならないはずだわよね」

「………………」


 マダムは喋りながらカフェオレを作ると、カップをそっと差し出してきた。



 猫の肉球のスプーン。



「――あたしもね、死のうとした事があったから、分かるの。そういう人が出す、最期のエネルギーみたいな、オーラみたいなものがあるわよね。最後の抵抗というか、悪あがきみたいなの、しちゃうわよね」



 低くガサガサした、老人のような声。



「……おまえって、そもそも一体、何者なんだよ」



 何かを警戒するような、何かを暴こうとするような、そんな目を向ける。

 また溜息をついてから、哀しげな目で俺を見返す。



「あたしね、もともとは極道なのよ」

「……っ!? そ、そうなのか……? マジかよ?」



 少し、裏切られたような気になって、それでもやっと気になっていた答えが聞ける、その期待感から全身が火照った。



「……もともとは、ちょっとした組のいちおう組長にまでなって、それなりにイイ暮らしもさせてもらえてたわ。ちゃんと家族もあったし、信頼できる取り巻きも、仲良くできる警察のお仲間にも恵まれて、暴排条例一本背負いのこのご時世の極道にしては……まぁ、本当に恵まれた暮らしが出来ていたと思う」



 店の中の空気がまるで止まったように感じられた。外を通る人の姿も、車も、見当たらない。



 夕焼け。

 いつもなら家路を急ぐ人や満員のバス、カラスの鳴き声で賑やかなのに、異常に静かだ。



 この世界にまるでマダムと自分の二人きりになったような、そんな恐ろしくも期待膨らむ、なんだか妙な高揚感に包まれた。

 

 感じられるのは場違いに爽快な、シナモンのエキゾチックな香りだけ。



「……だけど、当時対立していた組の人間が個人的な判断であたしの家を燃やしたの。そうすれば英雄になれると思ったみたいで……そのときまだ十九歳の構成員だったわ。若気の至りにしちゃ、気張りすぎたわね……家にはあたし以外の家族が寝ていたから、みんな逃げ遅れて焼け死んだわよ」



 最後だけ強く言った。

 マダムは今にも涙を零しそうになりながら、しかし落涙せずに語り続ける。



「ひっでえなぁ。なんだそれ。極道精神のカケラもねえ……若造のやる事といったらもう、なぁ」

「何を言ったって無駄よ、そんなの。相手は子供なんだから。だけど、ひどい。あたし許せなかった。ひとりで復讐に向かったの。日本刀でね。なんとしても、自分の手で、首をはねてやろうと思ってさ」



 マダムの声はいつもの底抜けな陽気がさっぱりなくなり、低く靄の立ち篭めたようになっていた。

 エネルギーの泉が、淀んで濁った底無し沼のような陰りを見せる。



「それで、いざ着いたら、車庫に隠れていた相手の下っ端連中に向かい撃ちされたの。もうみんな手に手に鉄パイプやらバットやら木刀やら持って、一斉に袋叩きよ。ひとたまりもなかったわ。病院で目が覚めた時、あたしは子供も作れない身体にされてた」

「な、なぁ、もしかして、あんたがこうしてマダムになったのって……」


 目と目が合う。


「そうよ。その通り」

「……そういうことか」

「身体がそうなったのなら、心から女になれば、あたしと過ごしたせいで焼け死ぬはめになったあたしの妻や子供の気持ちに対するせめてもの供養というか、罪滅ぼしというか、あたしはこうなってでも生きるわよっていう……それを表現したかったのよ。可笑しいかもしれない、それはわかる。道化といわれてもしかたない。だけど、あたしもあたしでのうのうと生きていくっていうのはなんか、違うと思って」


 ここで、一粒の涙が落ちた。


 大柄な身体に似合わないたった一滴の――かつて、極道の頭として獣のようにしたたかに、また剣豪のように誇り高く、軍人のように規律を守り一人の〝男〟として生きた女の全てが――その一滴に込められているような気がした。





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