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「自分、あの人に拾われるまでずっとだらだらニートやってたんす。まあ……だいたい通算五年くらいすかねえ。ひょんなことからあの人と知り合って裏の世界に入ってからは、たいそうな名前をもらってましたけど。実際そんな素質もなくて。そのころ親、死んじゃったから住む所と収入源の両方を確保しなきゃいけないでしょ? もともと、ずっと自分、管理人やってたんすよね」
「え? 管理人って……なにの? アパート? 不動産?」
「いやいや。まさか。ニート期間はずっと、ネット掲示板の管理人やってたんす。あくまで趣味みたいなものすけど……毎日毎日、今でこそホントよくできるなというくらいパソコン画面ばかり見てたんす……たぶん聞いたことあるかもしれないんすけど……『クソミソ豚骨日報』っていう」
「うそだ! それ、大ファンなの! 中学生の頃からずっと!」
「え、マジすか。自分、そこの元・管理人すよ」
「……って事はもしかして……」
「まあ、創設したのも自分っすね」
「……いやー驚いたぁ……これは本当にびっくり。裏では国民的な掲示板の創設者が、まさか貴方なんて。でも元ってことは、今は誰が管理人をしてるの?」
「へえ、今は知り合いがやってます。半ば強引に。あんな今をときめく人気の映画や漫画をディスる掲示板なんて、今思えば虫唾が走りますけどね。人道から外れてるというか。人格が腐敗するというか。そういう事に気付く機会を与えてくれたあの人を、なんとか救ってやりたいっていうのが正直な気持ちすかね……あの人に誘われてなければ、自分きっと、今もダラダラ腐ってたでしょうし……きっと。っていうか絶対に」
「うーん。なんとも言えないところだねえ。ニートから脱出して今はアウトローか。しかも貴方を助けてくれたその人が今は助けを必要としてるなんて。盛者必衰というと若干語弊があるけど、どう転ぶかわからないもんだよねぇホント」
「ええ。まぁ何を言おうと、どうせ自分は根っから落ちこぼれなんで……腐ったゴミでしたけど、あの人のおかげで大変ながらも生きているって思える日々にようやくなれたというか。燃える事ができてたんすよね、自分なりに、ですけど。だったら、それこそあの人がいつも言ってるように、義理というか人情というか、そういう何かを返さないと気分悪いなって、ええ」
「よーくわかった。いやー、それにしても感動」
「ほんとっすか。感動してくれました? んなこと言ったかな」
「感動した。ほんとに。いやぁそれにしても、ほんとあの掲示板おもしろいからファンなんだよねー。人々のこう、なんというか心の奥底に眠るドロドロした感情が垣間見れるから人間心理の研究材料としてはこの上なく素晴らしい土壌……あぁなんでもない。まあネット掲示板ならどこでもそうだしSNSなんかでも同じなんだけどねぇ。ふふふ」
「ええはい。……そんで、これから自分はどうしていったらええんでしょうか」
「ああ、そこだね。ごめんね脱線しちゃって。まず、いくつか仮説は立ててみたんだけれども、貴方は一度、あの人の前から消えた方がいいと思う。その方が本人も変化せざるを得ないだろうから。きっかけを作るという感じかな?」
「……でもそれ、難しくないすかね? それになんか無礼というか……あの人の性格なら、普通の人間が選ばない手段を使ってでも探し出そうと無茶してきますよ」
「そうだろうな。きっと。大丈夫、私の言う通りにしてくれれば全部うまくいく、うまくいかせるから!」
「そうすか……わかりました……じゃあ、お願いします」
* * *
「これだけ用意しておけば、多少は足しになるやろう」
全財産を銀行から下ろした。
自動ドアの音。
救急車の音。
カラスの鳴き声。
封筒と札の擦れる音。
二三八万円。これが俺のすべて。
この金でできる事が、俺の人生の意味。
ムーブのキーを捻る。
ハンドルを切る。
ホームセンターへ寄り、さらし、肉切り包丁、日本酒、防水ビニールテープを調達した。
箪笥の一番上の引き出しに短いメモと、ずっしりと手応えのある封筒をそっと寝かせておく。
まずは包丁の柄に防水ビニールテープを巻いて滑り止めを施す。
刃を研ぎ澄まし、日本酒をかけ、一息かけ、さらしに巻く。
チャカはいつでも弾けるように弾を込める。
これだけの用意をエナメル製のスポーツバッグに詰め込んでムーヴの助手席へぶん投げる。
運転席に座って煙草を呑む。
ゆっくりと煙を吐き出しながら、身体の力を抜いていく。
ニコチンが回り、身体中の酸素が薄まり、脳味噌がとろけていくような感覚。
一回、二回。ゆっくり、ゆっくり息を吸って、吐いて。
自分の中の悪いものをすべて出し切るつもりで、最後の命の営みを送る。
――行こう。
アクセルを踏み、車を出す。
西野殺人塾の事務所と、奴らのよくたむろしている場所は鮮明に地図を描けるほどよく知っている。
非力なエンジンを唸らせ、国道から逸れる。
今は使われなくなった航空専門学校の旧滑走路。
あそこへ行けば、間違いなく虎目を連れた連中が俺の登場を待っている。
わかるんだよ。あそこの空だけ色が違うから。
ボスが俺たちに破門を告げたあの日、そこで追いかけっこが始まった。あの日は大変だった、逃げて逃げて、魚河岸まで逃げて、なんとかアジトに逃げ帰って……その場所に今から、自分から殴り込みに行く。
こんな事になるとは、思わなかったな。
夜の街。
交差点。
コンビニ。
高架下。
繁華街。
喫茶店。
歩道橋。
トンネル。
それらすべてが、過去のものになっていく。
もう俺は、ここに戻る事はない。
鉄砲玉ってのは、飛んだら戻らないから。
全ての物を貫いて、ただ前に突き進むのみだ。
夜の帳がすっかり降りた廃滑走路。
コンテナやドラム缶が山と積まれ、それが迷路のように幾重にも幾重にも配置されている。
長い暗闇が、うごめいている。
盗難されてきたであろう、ヘッドライトやドア、タイヤまで外された車やバイク、家電ゴミなんかもおびただしい量、転がっている。
まともに生きていれば縁のあるはずのない、負の迷宮だ。
この中のどこかに、奴らが潜んでいる。
深呼吸をし、邪気を祓う。
寒々とした広い空間に冷たい風が渦を巻く。クレーンのワイヤーや、監視塔の鉄鋼材なんかがヒイヒイと鳴り、俺の心を細かく小刻みに切り裂いてゆく。血も出なければ涙も流れない、ザラザラに乾いて錆びついた心を。
「さて、出てこいや。もう俺は、もう、どこにも逃げへん」




