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「――何かって聞かれると、自分でもわからないですね……ただ、世間一般にあって誰もが認識してるような、ほとんどの人が当てはまっているようなものです。二十歳過ぎたら恋人がいて当たり前、大学出て企業に入ってボーナスもある、それで三十過ぎたらマイホームとマイカーと仲睦まじい嫁さん……って、あるじゃないですか? それが、そういう風になれない、本当になりたいのに……ベスト尽くしてきたのになれない自分がもうなんだか悔しくて、受け入れたくないんです。脳味噌では受け入れてるのに、それに心が納得したがらない、心の承認が下りない」
「いや、あのさあ」
――そんなもん――
――俺だって――
――というかむしろ、俺なんか――
「……え、なんですか?」
「ちょっとカンちゃんさ、確認させてくれねえか。あんたはそれが全部手に入ったら〝勝ち〟やと言えるわけやな? 少なくとも、あんたの中では、そうなんやな?」
「……まあ、そういう事になります……かね」
俺はまた無性に後頭部が痒くなって掻きむしった。
「悪いけど。その理屈で世の中見られたら、本当に困るんだよな。もっともっと世の中の人間が人知れず抱えてる〝事情〟ってのを、もう少し考慮したり想像したりしてみたらどうなんやろ? はっきりいってその理論をモノサシにするとなると、俺なんか失格レベルの大負けなんや」
「私もー」「アタシもよ」という、けっこう強い口調がその後に続く。
それは、初めて俺に対するエールのような、どこか内側から聞こえたような声だった。
初めて聞こえた、自分の意見を〝支持〟する声。
「ええ……」
口ごもる所じゃあないぜ日本男児よ。
「まあ、人は自分が一番なれそうもないものに依存とも言えるような憧れを抱くものだからね」「おまえは黙ってろロン毛娘、急に話に入ってくるな」
空気が暫く、止まった。
「で、どうなんだ。カンちゃんよ。あんた、イイ歳に見えるし、俺とそう変わらねえだろ? 俺より全うな生き方してるだろうし、世の中の事いろいろわかってきた歳だろ。もう少しさ、間口広く考えてみてくんねーかな。あれだからこれ、とかみんなこうあるからアイツもコイツもこう、とかさ……鬱陶しいじゃん、なんか。窮屈じゃん、無理だろそんなの。型にはめて考えるのは、よそうぜ」
「それも、そうですね……」
残りのお冷を一気に呷る。
「俺の言いたい事、ちゃんと伝わってんかな? あんたによ」
「ええ、しっかりと。あの、一つ聞きたいんですけど」
結構な勢いで食いついてきた。
「なんや?」
「瑪瑙さんって、いったい何者なんですか?」
「おう、俺が何者かってか。見てわかる……かどうかは別として、俺はアウトローだよ」
片肘をテーブルに置いて、カンちゃんと向き合う。
一瞬、空気が固まる。
「え。そ、そうだったんですか」
彼の両目が小刻みに揺れ動くのがはっきりと見えた。
「ああ。ごめんな、カタギじゃなくて。ずっと裏社会で飯食ってきた。日陰者とか悪者とか散々な言われようだけど、この通り、今までしっかりと生きてきたぞ。恋人もいない、まともな社会評価も安定した収入もない、社会保障もマイホームもボーナスもない。あんたのその理屈で俺を計るなら、俺はもう、人間失格なんだろ?」
自分が惨めすぎて笑える。
なんだよ。
ふざけた理屈よ。
金稼いで美人と付き合っていい家と車に守られて美味いもん食って気持ち良く眠る。
――誰だって、そうしたいに決まってんだろーが。
それで、そうなれたところで、頭の中に生えたモノサシは消えるのか?
今度は、自分にとって大切な存在になるはずだった人を、そのモノサシでパッカーンと爪弾きにするんだろうさ。ピンボールみたいに、銀河の果てまで飛ばしてもう二度と交わらないんだろうさ。
自分で自分を貶めるのを、辞められないのが人間なんだよ。
「裏社会の方には、みえなかったです」
「いや、そこかい」
ノリ突っ込み、初めてかもしれん。
タヒチだけが、小さく笑ってくれた。
「そう見えなくても、俺は現役なんだって。ほらな、あんたの言っているその理屈っての、確かに現実性はあるっちゃあるけど、だけどみんながみんな、そこに当てはまる事はないんだよ、これが……悲しいかな。工場で作ってるわけじゃねえからな、人生ってのは。人生なんてみんな野生だからね。全部違うからさ」
「それも、そうですね……」
「いいか? もう根本から当てはまらない、当てはまれない輩もどっかにはいるの。わかる? 俺の言いたい事」
「はい」
「本当にわかってんの?」
「はい。ちゃんと伝わってきてます」
う~~~ん。大丈夫かなこの人。
なんともいえない不安があるけど、仕方ないか。
俺もそこまで弁の立つ人間でもないし。
同調してくれるだけでもありがたいわな。
「おう。それなら結構。ちょっと休憩しようぜ。久しぶりにこれだけ喋ったから、喉カラカラだわ。歳とったぜ俺も。はははははは」
タヒチの嬉しそうな横顔が、ちらりと視界の端に見えた。
* * *
「おまえ、ちゃんと仕事しろよ。ああいうかったるい聞き役はお前の仕事なんだろ? なんで俺がここまでチャキチャキにアドバイスしてんのよ。変な気分だわほんま。変な汗かいた。役者にでも転職するかこうなりゃ」
「クランケを放置するのも仕事の一つ。それが一流のカウンセラーだもん」
「嘘つけ。口ばっかり。都合のいいところだけかっさらっていきやがって。悪知恵の働くちゃきちゃきの小娘だぜ。虫唾が走る」
「は~い。ぴちぴちの小娘で~す☆」
「これではっきりした。やる気がねえのはお前も一緒のようだな」
「あ。そんなこと言う。せっかく、明日から補助輪無しでいってもらおうと思ったのにい!」
「は?」
奴の目がきらりと光る。
「いよいよ、本格的にやってもらうよ。カウンセリング」
「待て、じゃあ今までのは何だったの? 今日までの、いろいろは」
「君の適正検査兼、人生リフォーマーとして人生の底、底辺を見てもらったの。会社に入っても、最初はいろいろやるでしょ。営業、事務、企画、経理、広報、人事、どれに入るにしてもまず研修っていうのが、どんな形でもあるの」
「いや、そこはわかる。そこは、置いておいて。カウンセリングって事は、つまり」
「そう。君の最初のクランケ。これから始まる快進撃の最初の一歩を担うのは、ある意味で人生最大の上客だよ。お金発生するからね、ちゃんとやるんだよ。OJTってことで、がんば~! 服装しっかりね、綺麗な服で来てね」
「……え……」
そんなつもりはないのに、妙に下腹が痛んだ。
何も言葉が出てこない。車に乗るあいつを、ただ眺めるだけ。
あれよあれよという間に、真っ赤なスーパーカーは走り去っていく。
香ばしい排気の匂いと、不穏な空気を夜闇に散らして。




