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疫病神のムルシエラゴ  作者: 愛車 風斗
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「うおわ!? なんやこの臭い、おへぇっ!! ごほっ!! げほっ!!」


 卵が腐ったような臭いと、悪くなった魚、それにすこぶる腹を下した時の屁の臭いを混ぜたような生理的に受け付けない悪臭。


 俗にいう()えたにおいが、一気に流れ出してきた。


「発見されるまでに時間があったみたいで、ご本人もそうだけど、食べかけのコンビニの八宝菜かなにかにもハエが集ってたみたい。ご遺体はもう警察が運び出したから安心していいよ。ただ、その時に涌いた害虫はまだいる可能性が高いから」

「あー、勘弁してくれ! それ以上言わんでいい。安心する要素が一つも無い。おい、マスクもう一枚貸せ。二枚重ねにする。いや、三枚。臭いってのはしばらく留まるんだよな。あー、くっせーなー、もう。ボスがトイレした後よりくせえわこれ」

「あ、賢いね。私もそうしよ」

「真似すんなよお前」

「いいじゃんか、別に。ちゃんと褒めたでしょ」

「年下の小娘になんか褒められたらムカっ腹立つわ! ひっこめ」

「あ、前!」

「うおっと!? っでえっ!!」


 買い置きしてあったらしい大量のトイレットペーパーに足を取られて、躓き、ゴミの山の上にひっくり返った。


「前見て歩きなよ、狭いんだから……」

「ああ、こりゃニュースに踊らされるタイプだったんだな。一時期よく聞いたわ、トイレットペーパー買い占めの話」



 それだけじゃない。

 他にも何やら散らかり放題だ。田んぼの中を歩いているように大袈裟な抜き足、差し足、大股歩きにならないとならなかった。


 脱ぎ捨てられた服や靴下。流し台にはおおきな丼ブリが二個に耐熱プラスチックのマグカップが三個、百円ショップで売っているようなスプーンが一つ。鍋には半分くらい水が張っているが、埃か黴か分からないフワフワが浮いている。



「人が死ぬとね……周りの物も一緒に死ぬんだよね」


 衣類を拾ってゴミ袋に詰め込みながら、ボソリと言っている。


「管理できる持ち主がいなくなるっていう事ぁ、そういう事だろうなぁ」

「そういう物理的なものもあるけど、なんか、物のエネルギーが枯れるんだよね」

「物のエネルギーが枯れる?」

「物は身近な人間のエネルギーの影響を受けてる。倒産寸前の会社は事務所や作業場が散らかっていて汚いし、社用車も理屈はわからないけど、ボロボロになっていく。説明がつかないようないくつものオーメンが、あるんだってさ」

「オーメンってなんだ?」


 タヒチは前屈みだった背中を伸ばし、俺の方を向き直る。


「不吉な前兆の事だよ。ハインリッヒの法則って聞いた事ある?」

「なんだそれ。おれ全く知らねえや、そっち方面は」


 異様に静かな他人の家の中で、なぜだか、背筋がゾクリとした。


 異世界に来てしまったような、なんとも言えない不愉快な感じがする。


「説明しようか?」

「いやいや、別にええ……いや、やっぱしてくれ」

「おっけい。まずヒヤリハットって聞いたことあるかな?」


 ゴミ袋の口を結ぶ。それを一か所に集める。

 というか、ぶん投げる。


「ある。工場とかでお馴染みのやつやな」


 新しいゴミ袋を出して、鯉のぼりみたいに風を食わせて、膨らんだ所に床に散らばった雑誌や新聞紙の類をガッサガッサと詰め込む。


「そう。一つの重大な事故の下には二十九個の軽い事故があって、さらにその下には三〇〇のヒヤリとする事や障害には至らない程度の事故がある」

「俺は頭が良くないから難しい事はわからんけども、アテになるんか、ああいうのって」


 未使用のトイレットペーパーも詰め込み、サランラップ、歯磨き粉、アルミホイル、そしてなぜだか、未開封のキャットフードと、押すと音が鳴るボールのオモチャ……野良猫に餌でもやっていたのか。

 のどかな人物像に思えるが、近隣住民の迷惑の種を蒔いているともとれる、絶妙なポジションの趣味だ。趣味……?


「まあ五〇〇〇件の労災をソースにして出した統計だから、必ずとは言えずも、でも参考にはなる、ってとこかな」

「あー。そうね。そんなインテリくさい事、もういいや。それより、これはどうする」


 卒業アルバム。

 週刊の漫画本に紛れて、中高の卒業アルバムが積まれている。小学校のは、なぜか無い。


「それも処分だけど、何か、ねえ」

「……こういうのは捨てづらいよな」

「どんなあっけない死に方をした人でも、どんな不幸な生き方をした人にも人生があったし、楽しかった時期が、確かにあったんだよね。夢を見ていた時期も、笑って走り回ってた時期も、恋をした時期も。そう考えたら、私はいたたまれなくなる」

「そうだな。合掌、だわ」


 同情というより、他人事じゃないな、という感情が湧いてくるあたり、俺はやはり正常ではないんだと思う。

 追い込まれている事実に嫌々ながら気づかされる。


 表面上では俺はぶっきらぼうで傍若無人な裏社会の男だ。


 基本、そうなんだ。 

 だけどこの時、こいつがしゃべるのと同時に、俺の人生の絶頂はいつだったんだろうとふと、思いこまされた。

 そもそも俺の人生に楽しい時期なんてあったのか。


 そこからが問題だった。

 なんだか思い出せないし、夢なんてもう冷え切ってカチンコチンで何かわからない。


 金が欲しかったのか女にモテたかったのか後輩に慕われたかったのか餓鬼大将を見返したかったのか歴史に名を残したかったのか、もう今となってはどれもヒットしない。


 もう、どのコーナーの電気も、俺の脳内では灯らない。


 大人はみんなそんなもんだと思っていたけど、いざこうして何かのきっかけで向き合わされると、なんというかこう……キツイね。


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