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* * *
「――ただいま」
「おかえり」「おかえり~!」
――変な疲れ方をした。
膝の骨にひびが入ったみたいに、崩れ落ちそうだ。いますぐ横になりたいのを、ぐっとこらえる。
「ごはん、あるよ?」
妹が茶碗をとって炊飯器の前へ。
「あ、いい。さっき外で食ってきた」
「あ、そうなの? じゃあ保温切っておくね」
「うん。先に風呂入るわ、一番風呂がオッサンですまん」
「何言ってるの」
浴槽に湯を張りながら、それを待つのも嫌で浅い浴槽にそのまま入って胡坐をかく。
尻から暖かさが伝わってくる。それが、少しずつ上へ上がってくる。
「…………」
――あいつの、あの言葉。
頭から離れない。
いやなところを、ズブリとやられた感覚。
自分のものの考え方が肩肘張ってるのは、自覚している。昔からそうだ。
俺はそういう性分だ。
ちゃんとわかってる。
でもそれで、虎目がプレッシャーを感じてたかどうかなんて、そこまで考えた事はなかった。
そんなこと考えてたら、なにしろ、やっていけなかった。
――もしや。
――もしやあいつ、俺の事が嫌で、どさくさに紛れて姿を消したのか。
――ちょうどいい事件が起きて、演技もして。
――いや。
――そもそも、今回の件は俺と離れたいがために、あいつがわざと仕組んだ意図的な失敗だったのか?
――まさかな。さすがに考えすぎか。
――あのトロくさいあいつに、そんな事が出来るわけない。
――よな。
――そうじゃないと、困るんだが。
――そうだよな。
――そうであれ。
「お兄ちゃん?」
「え!? な、なんだ、なんだよ急にでかい声出して」
「いつまで入ってんの? のぼせてない、大丈夫?」
「ああ、大丈夫、もう出るから。ごめんごめん。ビール出しといてくれや」
スマホを起動させる。
虎目の番号。
毎朝これにかけて、あいつを叩き起こすところからスタートしていた俺の今までの日常。
本当にどうしようもない舎弟。
だけど、なんだろう。
さみしいというとちょっと女々しいからアレだが。なんだ。
心配だ。
「おじさん」
「……ん」
カナコちゃんがそっと隣にきた。
怪訝そうな、不安そうな、それでいてキラキラした両目が俺を見上げている。
「隣、いい?」
「ああ。ここ座りな。ほら」
俺の横へ、ぺたんと座る。
十秒くらい、お互い黙ったままでテレビを眺めた。
「――ライオンってきらい」
ふいにそう呟いた。酸素の足りない、ガサゴソした少女らしくない声で。
「ライオン? どっからライオンの話になるかね」
カナコちゃんは黙ってテレビを指差す。見ると、テレビにライオンが映っていた。
お笑い芸人がどこまでライオンに近づくことができるか、なんてくだらない事をやっている。
ぼんやりし過ぎて、観てはいたのに全く情報が頭に入っていなかった。
「ああ、ほんと。ライオンだね」
「きらい」
「なんで」
「なんか、お父さんみたい」
「……どの辺が」
あんたのお父さんはライオンってより蛇だよ。俺からすると。
「いつも怒ってるとこ。ほら、ああやって歯をぐわってするところとか、そっくり」
「そうなのか? あんたのお父さんは、よく怒ってるの?」
「うん。いつもあれだめ、これだめ、あれはするな、こういうときは俺に言え、勝手にするな、なんでしたって怒ってばっかりいるの」
「それはきっと、カナコちゃんが心配だからだと思うぞ。親ならみんなそういう気持ちがあるだろうさ」
「ううん。違う。勝手に怒ってる。俺を好きじゃないから言う事を聞かないんだろうとか、俺を尊敬してないのかとか。それに、ママに会わせてって言っても、ママはいつも忙しからっていって、ぜんぜん会えない。最後に会ったのはもう五か月くらい前だけど、少ししかお話してくれなかった」
「…………」
五歳の他人の子にそんな事言われた俺は、どうすりゃいいのさ。
ボス。
もう少し子煩悩かと思ったが、なんかカナコちゃんの話を聞く限り、ちょっと違うような気もしてきたぞ。
子煩悩ではないな、まず。
子供に自分なりの考え方を擦り込もうとしている?
いや、そういう、健全な対等さも感じない。
もしや、ボス。
この子の事が、本当は――




