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疫病神のムルシエラゴ  作者: 愛車 風斗
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*     *     *


 翌週から、奴がとってきたという仕事に連れていかれたのだが、これがもうとんでもないものばかりだった。

 たいていの覚悟はしていたつもりだったが、悪い想像をナナメの方向に脱線されたのでは、さすがにおちおちついていけないではないか。

 

「男性っていうのは、どうしてこうも〝初めて〟ってのにワクワクなんだろうね。本も初めて読む本の方が興奮するし、初めて行く土地は興奮しっ放しだし、冒険大好き、女の子についてはもちろんヴァージン推し、車も新車推し、ラーメン屋も新規開拓したがるしさ。ねえ、教えて。男の人のこの心理って、いったいなんなの?」

「そりゃおまえ……男ってのは昔から冒険するのが性分みたいなもんだからな。前人未踏の中を先頭きって進むのが男らしいんだから。当たり前だろ? 冒険は本性だ。発見こそが男の指標だ。そういう本能なんだよ」


 動きがあった。こちらも微妙に角度を変える。


「だけどさ~、女の子についてはどうなんだろう。経験豊富な方が盛り上がらないかな?」

「……さあな。悪いがこっちはそんな話で盛り上がる歳でもないし。それより前から気になってたんだけど、お前ってさ、恋人とかいないんか?」

「恋人? そんな鬱陶しいものがいたら仕事に集中できないってば。ご冗談でしょ」

「おっと、もったいねえなー、若ぇのに。恋すりゃいいさ。若ぇんだから」


 声がうるさい。よく聞こえない。


「若い時の恋なんて、薄っぺらでお互い表面しか見ないじゃん。本番は三十を過ぎてからさ。それまでにしっかりと自分を磨いておかないと。手頃な相手で満足してたら、成長できないまま年だけ取る事になる。そんなの一番いやだ」

「おうおう。とても二十の坊の言葉とは思えんわ。感心、感心」


 どうしてだか、自分の知らない部分から笑いが込み上げてきた。


 この前からずっと、自分で自分が気味悪い。


 俺は、こんなに他人に干渉する奴だったのかな?

 今まで、他人の事なんてほとんど興味なんて無かったのに。


「いやいや常識でしょ? こんなこと。若いうちこそ、自分の仕事やスキルをしっかり磨いて来るべき運命の人と出会ったその時に力まず本領発揮できるように、今は蟄竜ってことでさ。死ぬ一歩手前まで一気に圧縮してしまえばもう完璧、素敵、無敵! 一生モノの柱を自分の中に一本! 分からないかな。可哀想」


 安っぽい求人広告みたいだな。

 謎に合掌までして。


「……おまえも、なんだかんだ言って自分の人生も考えてんだな。意外と」

「え? そりゃ私だって人間だから当り前でしょ」

「なんか、普通の人間じゃないような目で見ちまってたわ。おまえのこと」

「ふつうの人間じゃない人って、いないでしょ」

「……まあ。まあなあ」

「そう、でしょ?」

「ああ。そうだと思う」

「どんな人でもご飯を食べなきゃ死ぬし、海の中では生きられないんだからさ」

「それはそうだけどもよ、なんか……矛盾してるよな」

「え、なにが?」

「いやぁ……なんでもねえや」

「ねえ。瑪瑙さん。君はもっと、楽に生きたらどうかな?」


 タヒチの言葉が、カーンと反響して俺の中に響く。


 おっと、フィニッシュを迎えたようだ。

 女優さんに素早くバスローブを着せてやり、水分を摂らせる。


「お疲れ様」


 タヒチがそっと手を差し伸べ、立ち上がらせる。


「なあ。なあ、おい。ちょっと」


 俺は衝立を折りたたみ、カメラの電源を切って、ニコニコ顔を微塵も崩さないタヒチの横顔に必死で視線を射る。


 汗だくの男優が、シャワー室へと入っていった。


「……ん?」

「おいおい、なんだよ。来てびっくり、やってびっくりだよ。今回の仕事に至っては、もうこれ、どっちかっていうと俺らの稼業寄りだよな? ええ? からかってんの?」

「へえ? そうかな? なんのこと?」

「ふざけるなよ、わかってるくせに。AV撮影なんて、なんで俺らが介入してんだよ? てか、なんでお前は何の恥じらいもなく撮影してんだ! 年頃の女ならもっと恥じらいとか、抵抗とか、そういうの無いわけ!?」


 奴はあからさまに不機嫌になった。


「じゃあこっちこそ言わせてもらうけど、何を甘ったれたこと言ってんの? 仕事を選ばないのが偉い人になる近道でしょ。えり好みしていられる身分? 孔子だって若い時にはなんでもやったんだし、有名俳優や大物作家だって、むしろ男優の方のバイトとか、ネズミ講の講元とか、なかなかダーティな過去背負ってるわけだからさ。小粒のクセに目の前の食い扶持に文句言っててどーするわけ?」

「だっちゅ、この……ああもういい! もうお前死ね! そりゃ男もできる訳ねーわお前みたいな女の腐ったような女に!」

「勝手に言ってれば。言いたい事は言ってもいいけど、ただ、仕事はちゃんとやってよね」


 次の仕事も骨の折れるものだった。


 もう既に汗だく。


「汚れたスポンジで掃除はできない。自分が弱いのに、もっと弱い人を助けられるの?」

「知るかっボケッ……ああ、きっつ。息が上がるっ」

「まずは自分が強くなってからじゃないと、ただの共倒れだよ。そんな事になったらもう、手を貸してあげられないからね。覚えときなよ、君が真っ黒けのホコリ塗れのゴテゴテだってこと」

「一言多いっつってんだよクソガキィ! あー、しんど! 全身筋肉痛になるわこれ」


 水槽が綺麗になった。

 あまりにも綺麗過ぎて、ガラスの向こうの方が実は水槽の〝外〟なんじゃないか、と思うほどだ。

 

「あー疲れた。腰いてててて……ほれ、軍手洗っといてくれや。そらよっと」

「あ、ちょっと! いきなり投げないでよ、水飛んできたじゃん!」

「お前も汚物みたいなもんだろ。気にすんなさげまん」

「髪に飛んだじゃん。髪は女の命なのに! もう~高いトリートメントしてんだからさ~気を遣えよ~」

「掃除しに来てるんだから髪のことなんて気にしてる方がおかしいだろ、普通に。だから坊主にしてしまえつってんだよ俺は」

「君みたいなの、絶対に女の子を幸せには出来ないだろうね。何があっても絶対に」

「女なんかいるか。鬱陶しい。こっちがハゲるわ。あーあ。昼寝してえ。煙草も吸いてえし風呂にも入りてえ」

「ちょっと静かにしてくれない。こっちのやる気まで無くなる。それにしても……どっちが飼われてるのか分からないよねえ、これじゃあさ」


 タヒチは店舗のいい掛け合いから急にテンションをガクンと落として、向こう側の方を見て呟いた。


「……なにがだい」

「ほら、見てごらんよ」

「……あ?」

「水槽の向こう。植物も、魚も虫も、大自然のまんまノビノビと生きているじゃない? それに引き換えこっちの人間様ときたら、こうやってシコシコ綺麗に掃除して、あの子達の為に必死で働いて、忙しい日々の合間を縫ってそれをただ見に来てさ。飼われているのは、とらわれているのは、どっちかわからなくない?」

「あー。それなら俺も似たようなこと思ったことあるぜ。主従関係が逆じゃねえかってな」

「でしょ? ……でしょ? そうだよね? そう思うものだよね?」

「ああ。大人ならみんな一度は考えるんじゃねえか、こういうこと」


 自然博物館の館長から日当を受け取り、ムーヴにどすんと乗り込む。

 足回りのショックアブゾーバーが油切れのひどい鳴きを上げた。

 

「いつもの清掃業者さん、集団食中毒なんて大変だね。何を食べたんだろ」

「牡蠣って言ってたぞ。牡蠣はアタるとほんとツラいんだよ。俺も経験あるけど、ありゃこの世の苦痛の三本の指に入るぜ。死んだ方が楽だって叫びたくなる」

「なんだ、牡蠣か。私は魚介類苦手だから、その危険は不戦勝で回避だな。でも誰かが苦しんでるおかげで仕事が回ってくるって、経済の仕組みそのものだけど、罪だよね~私たち。手放しで喜べない自分がここにいる」


 俺は思わず噴き出した。


「また青臭いことを。仕方がないじゃん。虫歯になるから歯医者が儲かって、揉め事があるから弁護士が儲かって、金に困る人間がいるから詐欺師が儲かるんだろ。善とか悪じゃねえ。単なる仕組みなんだよ、仕組み。感情なんか勘定に入らねえ領域の問題だ、腹が減ったら何かの命を食わなきゃやってけねえ悲しい運命なんだよ、俺ら生き物は」

「……それ、本気で言ってる?」

「あぁ。なんで。おかしいか」

「……いや。別に」


 タヒチはツンとした真顔で、後は何も言わなくなった。



 今日の仕事は、珍しく気持ちのいいものだった。

 こういう仕事ばかりの毎日だったら、俺ももう少し、酒と煙草が減らせるかもしれない。


 しんどい一週間。寿命が三か月は縮んだに違いない。


 履きなれた革靴ではなく、作業用のスニーカーで過ごす日々は新鮮でもあり、どこか精神的にも身軽になったような、全く新しい肉体そのものに自分の魂が入り込んだような、不思議な高揚感を伴った。実際、体調も良く、煙草もカフェインもいつもよりほしいと思わなくなっていた。


 週末の夜、俺はまたマダムの店へと連れていかれた。


 あの黄金に輝く大盛の天津飯が、人生の楽しみになっていた。


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