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「これが小さい時によくお袋に連れていってもらった河原新緑公園ってとこだ。それとこっちの観光客がわんさかいる方が迎橋ダム。あー懐かしい」
「ここに一緒に写ってる男の子は誰?」
「あぁ、それは自殺した兄貴や」
「お兄さん自殺してるの?」
「そう。言ってなかったか。兄貴はかれこれ十三年くらい前に首吊って逝っちまったなあ。俺の四つ上だから、今から十三年前ってーと……二十六、七か」
「なんでまた」
「なんでかって? なんか仕事の事と婚約相手の事で悩んでたらしいんだけど、詳しい事は俺もわからん。ったく、俺よかずっと頭も良いくせにほんとナヨナヨしてるというか軟弱というか……一家そろって大変だわな、ほんと。俺もよくやってるぜ」
「その時って、悲しかった?」
「うん?」
「悲しかった? お兄さんが亡くなった時は」
「……う~ん……なんて言うんやろ。悲しいとか、悔しいとかももちろんあったけど、何よりもなぜ、どうしてや、っていう気持ちの方が強かったかな。哀しみよりも、疑問の方が大きい。不思議なもんでさ、いざ兄貴の遺体目の前にしたところで、涙の一つも出てこやん。ムカつくというか、アホかおまえって説教してやりたかった。やりたかった、というよりも今すぐにでも会ってぶん殴ってやりたいな。死ぬ事あらへん、生きろってさ。こんな俺でも生きてるんやって、怒鳴ってやりたい」
「……そうか。そういう気持ち、なんかわかるかも」
「はっはぁ。笑えて屁が止まらんわ。お前みたいな小娘が、こんな話についてこれるんか? こじれにこじれまくった、真っ黒焦げの話だぞ」
「わかるよ、そういう人とたくさん関わってきたから」
「あっそう。そりゃよかった」
「……でさ、本題」
「あ?」
「本題。本題いくよ、本題」
「すまん、なんやったっけ、元の話」
「だから、その思い出の場所へ行くっていうんじゃない」
「なぜや!」
・人は新しい自分になりたいと思ったら、まずはとことん過去の自分と向き合う方がいい。
・そのためには、子供の頃の思い出の場所や懐かしい場所、よく観たテレビ番組、お気に入りだった本などに〝ゆとりをもって〟触れる事が大切。
・そうすることで、あの頃に自分は何が楽しかったか、将来をどう思い描いていたか、そしてそれから自分はどのような進化をしたか、どれくらいの密度の時間を過ごしてきたかがおのずと導き出される。
・そこで大きな自己嫌悪に苛まれるだろうから、その過去にあてがいたい後悔を、そのまま未来へ今から、敷設していく。こうすることで、これまでは落ちてきた穴に蓋をするという事になるから同じ過ちを繰り返さなくて済む。
「着いた? ここ?」
「あぁ。そうだぜ」
「……何してるの? 降りるよ」
「あぁ、わかってる。もうちょい吸わせろ。火ィ消したらおりる」
「……またスマホさわってる。いつもいつも何をそんなに気にしてるの?」
「舎弟のことだよ。連絡つかねーんだあの日から。ったくちくしょーめ」
「それさ。心配なのはわかるけど、もし本当に向こうが必要なら向こうから連絡してくると思わない? 私ならそう思うんだけどなあ」
「なんだよそれ。なにそのマジな感じ。え、なに、俺がマヌケみたいじゃん、なんか」
「いや、だってそうじゃない? それが無いという事は、所詮それまでの関係だったか、その人は今は一人で立派に自立して生きてるんだよきっと。そうでしょ? そう思わないの?」
「……まあ……な。だといいんだけどな。まぁアイツが自立なんて無理な話だろうけど」
「君といた時はそうだったかもしれないけど、これまでと状況が違う今、同じことは言えないよ。君こそ、その人のことなんでも分かったように言うのはやめた方がいい」
「うっせーわ。こちとら心配して言ってんだよ。気にかけてるからこそだ。分かれよそれくらい」
「そっちこそ、今、自分が言った言葉の中身をそっくり自分に当て嵌めた方がいいと思うよ。はい、いいからもう切り替えてこー。さあ、降りてよ」
「あーもうわかってら鬱陶しい。小僧のくせに大人を煽るなや。どっ……こいしょっとな」
マダムの店を訪れてから三日後の火曜日。
かれこれ三十年ぶりにやってきたのは、幼少の頃に家族でよく来ていた河原新緑公園。
広大な芝生広場があって子供らが思い思いに遊べるほかに、森を使ったアスレチックコースや、高台からの展望台、ランニングコース、鯉や亀のいるいのちの池、園芸店が作りそうな噴水付き庭園まである大型の公園。
「あ、これ……!」
駐車場の一番端っこにある天使の像に目を奪われ、足が止まる。
そして、思わず駆け寄る。胸が先に飛び出していきそうな、あんな感覚は、子供の時以来だ。
「これ……おい見ろ。この像な、俺が五歳の頃からあるんや!」
当時から雨の跡がついていたが、それが少し濃くなったくらいで、ほとんど何も変わっていない。
「さっそく懐かしさに包まれてやんの」
奴はベストのポケットに指を二本突っ込んで、楽しそうに笑みを零した。
「この台座に木の実や松ぼっくり並べてたの、はっきり覚えてるぜ……いやぁ……ちょっとこれは、言葉が出てこないぞ。懐かしいなぁ~ほんま」
「ふふふ。ごゆっくりどうぞ~。私もLINE溜まってるから返さないと」
ランニングコースの赤いアスファルトに、鉄板に絵で描かれた園内案内図、遊具広場の看板を持ったパンダの像、キノコ型の休憩所、アシカの形の水飲み場……それら、三十年前から全く変わらない形でそこにあった。
まるで俺がまたここに来るのを、ずっと知っていたような、暖かいオーラがぬくもりを保ったままだった。
「タイムスリップしたような気分や」
身体の底の底の方から、びっちりとこびりついて離れなかったドロドロの汚れがすーっと剥がれて流れていくような……不思議と肩が軽くなってさっぱりした気持ちになっていく。
こんな経験、今までにしたことがなかったかもしれない。俺は自分が違う世界に来たのではないか、と本気で錯覚したほどだ。
「どう? 瑪瑙くん」
初めて、ちゃんと名前を呼ばれた。
「ああ、不思議な感じがする。いいところだろ、おまえはどう思うよ」
「そうね。とっても素敵なところだと思う」
お互い何も言わず、それから十五分くらいぶらぶら散歩した。
何も言わないけど、お互いに、無意識に歩調を合わせながら。
園内は、平日のせいか子供連れの母親や老夫婦が多く、男女二人でいる俺たちを珍しそうに、あるいは不審そうに見てくる。まあ、お互いに服装も面構えも、平和とは言えない雰囲気だから仕方ないな。
ちょっとした部分も、意識していないくらい深いところで記憶しているらしい。
人間の脳はスゴイ。
なぜってアスファルトの独特の盛り上がりや、大きな排水溝や、ずっと放置されたままのダンプカーなんかも、見た途端にしっかりと思い出したから。人間の脳は、きっかけさえ与えてやれば、何かもっともっとダシが出てくるのかもしれない。
――みたいなことを、柄にもなく思ったりした。




