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疫病神のムルシエラゴ  作者: 愛車 風斗
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 布団を敷き終わった頃、また始まった。


 夜の十時も過ぎたというのに、隣の部屋がうるさい。


 実はこのアパート、俺と真上の独居老人以外はタクシー運転手らが入居しているんだ。賃料が低いから借り上げ社宅にもってこいなのだろう。夜遅くに流し営業ついでに買い物したものを置きにきたりする運転手もいるからやかましい。築四十年を過ぎた木造アパートは壁も他の入居者の影も同じく、幽霊のように薄っぺらい。

 ちょっとの動作でごそごそ、がたがたとよく響く。時代に取り残されて黴と蜘蛛の巣と雑草に塗れ、街の不動の産業廃棄物となった物件に、笑顔なんか生えてはこない。

 

 俺はサンダルをつっかけて隣のインターホンを押す。三連続。

 威厳も尊厳も無くなった達磨様みたいなハゲ親父がドアの隙間からぬっと首を出す。

 何かの怨霊が水底から浮上してきたような、後ずさりしたくなるような陰気なオーラを纏って。 


「えっと。なんです」

「なんですかもクソもねえわハゲ。今何時やと思っとんじゃこら。ハゲ」

「……何の用事ですか」

「だから、用事も何も何時だと思ってんだって言ってんの!夜中だぞハゲ。うるさいんだよゴソゴソゴソゴソとよう。客商売のクセにそのぶっきらぼうの面はなんだよ。あとお前の車、カラカラカラカラうっせーんだよ。ポンコツが。自覚しとるんかこの野郎」

「おたくも人の事いえないでしょ。そっちこそいきなりこんな時間に押しかけてきて迷惑ってもんだよ。これ以上言うと警察に通報しますよ。それじゃ」

「ちょ、ま……クソ。ゴミが」


 そういえばこいつの名前、知らなかった。なに、朝熊ってのか。夜熊だろうが、あほ。



 翌日。


 午前六時に目覚まし時計が鳴り、カナコちゃんが勢いよく起床する。朝から元気すぎてニワトリかと思った。


 もちろん俺も一緒に起床だ。

 なんたって今は重要なシノギ〝保護者〟を全うしなきゃならない。

 字面からして、並大抵の覚悟じゃ務まらないだろう。なんていったって、昼夜問わず休みなしで一つの命を保護しなきゃいけないってんだから。お付きやカチコミと何も変わらない、命がけのお勤めってもんだ。

 

 とにかく朝飯を食わさなければと冷蔵庫を開けたところで、昨日の奴の言葉を思い出した。


 ――子供だからこそ、放任する方がいい――


 ほほう。


 朝飯さえ自分で済ませろというのか。

 そもそも小学生女子の朝飯ってなんなんだ。

 ケーキ? 

 いやいや、朝からケーキって、そんな馬鹿な。

 女の子だからな……ケーキはケーキでもホットケーキならありえるな。

 だけどそんなの、っていうかそもそも料理は俺、さっぱり無理や……。

 コンビニ行く? あ、そういえば昨日あの餓鬼が買ったものがいろいろと――


「おじさん、どいて」

「おお、ごめん」

 思わず横に飛びのいた俺の目の前で、バナナと菓子パンを持って椅子にちょこんと腰かけた。なんだか、ぜんまい仕掛けのオモチャみたいな挙動だ。

「おじさんって、変わってる」

「……なにがっすか」

「あんぱん冷蔵庫に入れるなんて。変なの」

「……なんでもいいだろ、食えるんだからよ。文句言うな」


 無邪気に笑って、むしゃりと齧りついた。

 小さい子供のくせして、一口が大きいな。

 喉に詰まったらとか、考えないのかな。

 

 子供って、そういうものなのかな。


「じっと見ないで。食べづらいから」

「あ、悪い悪い。えーっと。俺は何にしようかなー」


 冷蔵庫に視線を戻し、とりあえず自分は昨日の冷や飯とたくあん、インスタントの味噌汁で朝食を済ませる事にした。妹はいつも、自分の好きなタイミングで起きてきて食事をする。


「ねえおじさん」

「ん」


 飯が中までちゃんと温まっていない。いきなり冷たい層が現れる。

 心も冷えちまうぜ。


「学校さ、一人で行っていいでしょ?」

「ここから?」

「そうだよ」

「いや~、さすがにそれはダメかな」


 味噌汁に一味唐辛子を振る。


「なんで? いいじゃん」

「やめた方が、いいかな」


 あつっ。


「その理由はなぜ?」

「危ない」

「何が危ない?」

「全部」


 たくあん美味い。


「例えば?」

「例えば……変な人がいる」

「どういう人?」


 ………………あーもう。

 めんどくせえなぁ。

 

「ちっ……小さい子が好きなおかしな人間が、世の中にはどっかにいるの」

「その人って、優しい?」

「はい? 優しいかって、そんなの、優しくないに決まってんだろう。子供に言えない目的で連れ去っていくんだから、そういう大人はさあ」

「どんな事するの? 子供に言えない事なら、なんで子供をさらうの? 内緒にしたいのに、なんでやっちゃうの?」

「それは言えないの。いいから、黙って食べる。行儀が悪いよカナコちゃん」

「やだ。質問にはちゃんと答えて。学校の先生が、大人は質問したらなんでも教えてくれるし、それが大人の大事な役目って言ってたもん」


 保護者に余計なプレッシャー増やすなよ馬鹿教師が……。

 最もブラックなお勤めはアウトロオと保護者――やべ。

 俺いま、兼任しちまってんじゃん。

 

「ごめんな。おじちゃんは先生じゃないからわからない事もいっぱいだし、先生に言っといてくれる? チョークの粉吸い過ぎたのか知らないけど調子こいた寝言言ってないでテストに百点つけるだけにしときなさいって」


 白い粉吸ってラリってんじゃねえぞ。


「おっけー。ねえねえ、おじさん」

「んん」

「わからない事がどれだけ減ったらさ、大人になれるの?」

「んー、それはだな……」


 わからないことが、どれだけ減ったら大人になれるか?

 わからないことが、どこまで減ればってこと?

 あれ、一緒か。


「あ、もう遅刻するよ!」


 言うが早いか、椅子から飛び降りてすごい勢いで服を脱ぎ始めた。


「あぁおい、ちょっと。服とか自分で着替えるの?」

「当たり前でしょ。おじさん見ないで、えっち!」

「いやだから、そういうつもりじゃねえのよこっちは」

「でーきたっ。それじゃいってきまーす!」

「待ぁて! 俺が車で送ってくから。いてて足首いてえ。もう勝手になんでもかんでもやろうとする……」

「だからいいってばもう。おじさんしつこい」

「しつこいのはあんただろうが! 変なおっさんに攫われて服を脱がされて写真撮られたりしたらどうすんだよ!」

「わたしの裸見たいの? 見せてあげる、ほら!」

「え、ちょっとコラ、何さらしてんの君!」


 カナコちゃんはいきなり着たばかりの服を脱ぐと下着まで脱いで、全裸で俺の前に立って見せた。


「おじさんが私の服を脱がせて写真撮りたいのかなーと思ったから、笑わせてあげようと思って。だっておじさん、笑った顔見たことないもん」

「…………ええ…………? なんだって?」


 大人はそんな簡単に笑えないんだよ。カナコちゃん。


「笑って。お願いおじさん」

「……わ、わかったよ。今度、お笑いか何か見た時な。ほら、いいから服着て。まったく何考えてんだか……変なトラウマ拵えて一生男の事を怖がって生きるようになったりしたら……嫁にいけねえぞ。女としてそれはもう最悪だ。待ってなさいそこで、おじさん靴下履くから! ちゃんとする! いい?」

「ええ~? へへ……おじさん、なんか面白いね。いつもそんな事考えて生きてるの?」

「何がおもしろいんじゃ! こっちは真剣そのものだぞ。神経使って生きてんだ。大人はみんなそうなんだよ、覚えときなさい」

「そんなに真面目で慎重なのに、なんで悪い事する人になったの?」

「……なんでなったって……」


 この餓鬼、ところどころ超ドストレートに困る質問をしてくるぞ。

 いや、子供ってみんなそういうもんか。息が臭いだの髭が濃いだの平気で抜かしやがるんだからもう……大人になったらどれだけ考える事や、やる事が多いか今に見てろ未熟者の温室暮らしが……。


「悪いこと仕事にする人ってさー、そんなウジウジしてたらできないでしょー?」

「ウジウジじゃなくて、慎重なのね、あんたのお父さんの事を守ってたからねこれでも俺は」

「お父さんに養ってもらってたんでしょ?」

「そうとも言うし、俺が支えてたとも言う。ギブアンドテイクっていうのこういうの、難しい言葉で!」

「でも本当はヘマばっかりだったでしょ?」

「そ、そそんな事ないから。ってかなんだよ、防犯ブザーくらいはさすがに持ってるよな?」

「持ってる。お父さんに貰ったやつ」

「チャカ……じゃなくて、何か身を守るものは?」

「ほら」


 なんと、ランドセルのサイドポケットに折り畳み傘型のスタンガンが完備!!


「それって、もちろんお父さんからの……?」

「誕生日プレゼント。魔法の杖なんだって。充電式の」

「あぁもう。なんかあんたら嫌だ。こわい」


 ぴょこぴょこと元気に玄関を出ていく。


「じゃあ行ってきまーす!」

「おーい気を付けろよ! くれぐれも!」


 あんたが擦り傷でもしたら、俺はあんたの親父さんに首を切られるんだぜ。物理的にも、(裏)社会的にも。

 


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