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事務所へ帰ると、うちのオッサンが待っていた。
――白装束を着て。
「「……………………」」
そのあまりに異様な光景に、言葉を失う。
頭の中心辺りから、二日酔いの時みたいな、グラグラとした眩暈が襲ってくる。
ボスはまるで深海魚みたいなどろりとした目で俺を見上げると、ボソボソした早口で「お前ら何考えてる」と唸った。それが部屋に入ってから一度も瞬きをしないでずっとこちらに目線を据えたまま。
続いて「殺してやろうか」とも聞こえた、気がした。
冗談だと思った。
が、どうも違うらしい。
そのときは意味が分からなかった。
「何って……自分はかしらの言った通りの事をしただけですが」
俺は少し反感を込めた目でボスと向き合う。
「じゃあこのニュースはなんなんだ、説明しろちゃんと」
突き付けられたスマートホンの画面――
――速報、朝田リビング株式会社役員らの乗った車列、何者かに襲撃される。走行していた乗用車の二人組から拳銃を向けられ、数台いた役員車列のうち一台に乗っていた役員が咄嗟にカラーボールを発射する防犯ピストルを六発発砲、うち四発が車体に命中。乗用車は逃走し行方不明、警視庁は乗っていたとみられる男二人の行方を追っている――
音読し終えた途端、疑問や感想が浮かんでくるより前にそのままそのスマホで横殴りに顔面を殴られた。それも、全く振りかぶりもせず、およそ勢いや反動もつけずそのままに!
「だっいぇっ!?」
目から火花が散り、膝が崩れる。
なんなんだ。化け狸め……不気味なほどに威力があり、顎の骨に電撃が走った。どろりとした泥人形のような様子からは想像もつかない俊敏な動きと力。
ボスが思わず取り落として絨毯の上に投げ出されたスマホの画面にも蜘蛛の巣状のヒビが入ったいた。
「貴様らいったい、どこまで俺を苦しめるつもりなんじゃ!!」
絶叫だった。
もはや、叱責の類ではなく、悲痛な悲鳴だった。
怒りではなく、哀しみだった。
叱咤ではなく、絶望の炎がボスの目に灯る。
今までにないくらい、全エネルギーを集中している、それが不気味なくらい、全身に鳥肌を伴う悪寒として伝わった。
あんな異常な状況のボスを目にしたのはこの時が初めてだった。
いつも淡々として、どっしりとしていたボス。それをここまでしてしまったことが、やはり自分にとってはどうしようもなくショックだった。ある種の、トラウマ。
「……いててて……いや、ですから自分は言われた通りに行動しただけですが……」
勢いよく振り返り、机からメモをちぎり取るように取り上げたボスは俺の目と鼻の先で指を突き立てながら、勢いそのままに怒鳴り続ける。
「阿保かよく聞け!貴様らには高速の上りを行けと五回くらい言っただろ!上りって!それなのに何で下りを走ったんだって聞いてんだよこのちくしょボケがぁっ!!」
俺はアジトに入ってからずっと宙ぶらりんで空回りしていた脳みそを必死で蹴飛ばし、まだ湯気の立ち昇る記憶を巻き戻した。
――あのとき、高速に入る前、高速の入り口は追突事故の事故処理と復旧作業をしていたのだ。
そこで混乱した虎目下りの方へハンドルを切ったから、俺は慌てて上りの方へ進路を修正したはずだ。
「おい虎目」
「え! な、なに……なに」
隣で青白く萎え、デカイ太鼓腹をぶるぶると震わせていた虎目は、目を見開いて肩を弾ませた。
「事故現場の後さ、また分岐点があったよな」
「うん……あったと思う」
「俺はスマホで渋滞状況を確認してたからちゃんと見てなかったんだけど、お前、右にちゃんと行ったよな?あのとき、分岐で」
ここで、暫くの沈黙が流れた。
いつまでたっても口を開かない。
飲み過ぎて今にも吐きそうな狸の置物みたいになった舎弟に、二度と同じ質問はしない。
こうなったら、答えを言ったも同然だから。
「虎目」
「え…………あ…………」
「虎目」
「なに……」
もういい加減にしてくれ。
俺の方が吐きそうだ、それも血を。
「左に、行ったんだろ」
「う、うん………………」
二人の視線は無意識にボスの方へと動く。
眼球が眼窩から地面にこぼれ落ちて爆竹のように炸裂してしまいそうなくらい、げっそりとした顔をぶら下げ、こちらへ一歩踏み出した。洋画に出てくるゾンビのような、半分溶けたような、何か後ずさりしたくなるような、不吉な影がそこにあった。正気の沙汰とは思えない、闇を一心に纏った姿。
「お、ま、え……」
「ごめんなさいかしら、本当にごめんなさい! 自分は、自分なりに一生懸命やったんですけど、それでもやっぱりワイなんかには無理だったんです! もうワイみたいなのはいない方がええんですわ、みんなに迷惑かけるだけなんで、これで失礼します。探さないでください! 自分が死んで償いますんでそれでなんとかお願いします! 失礼します!」
言うが早いか、虎目は今までで一番素早い挙動で駆け出すと、扉を渾身の力で開けて事務所を飛び出した。
「あ、こら虎目! おい!」
機敏に階段を駆け下りていく。
俺は慌てて相棒の後を追った。
このまま放置していては、どうせまたトロくさい事をやらかす。
カラーボールの塗料がべったりとこびりついたファンカーゴに乗り込み、さっさとエンジンをかけて走り去っていった。
「おい待っ……てよ……おい……」




