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野蛮業  作者: やなぎ怜
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(5)

 曰く、「ひとめぼれ」だと言うジョン。たしかにヴェラは美人だ。それも隙のないキツそうな感じからは遠い、ちょっと脇の甘いところのある柔和な美人なので、彼女に惚れた男は己にチャンスがありそうな錯覚をする。


 実際のヴェラはそう甘っちょろい女ではないということをガブリエルは知っていたが、恋に溺れる男たちの何割がその事実に気づけるだろう。恋をすれば視野狭窄に陥るのは、だれしも持ちうる可能性のひとつであった。


 そしてジョンは見事に恋に溺れていた。否、溺れているというよりは荒れ狂う大海のまっただ中の小舟で、ひとりタップダンスを踊っているような感じだった。


 そこまで深くジョンを理解して――しまって――いるガブリエルは、既にこうして呼び出され、恋愛相談とも言い難いジョンのオンステージを聞かされること幾数度。


 今ではジョンから連絡が入るたびに「どちらの」仕事の依頼かと、大きなため息をつくようになってしまった。


 そして何度も顔を突き合わせているうちに、ガブリエルもこの恋愛相談とも言えないようなアレソレをしているあいだは、ジョンに対してその畏怖の念を失うようになっていた。


「……今日は悪いニュースがある」

「……なんですか?」

「ヴェラが今夜……デッ、デ、デッ、デー……トを……する……」


 惚れた女が見知らぬ男とデートに勤しむ姿は、まあたいていの人間が見たくはない姿だろう。


 しかしジョンは当たり前だがヴェラにとっては客のひとりに過ぎず、しかも友人ですらない。そんなジョンがヴェラのプライベートに口を出す権利など持っているはずもなく、こうしてガブリエルの前で顔を青白くさせてうつむくしかないのだ。


 いや――うつむくしかないのは、今この瞬間だけの話であった。


 ジョンは顔色を悪くしたまま視線を上げてガブリエルを見た。途端、ガブリエルはイヤな予感に襲われる。こういうときの勘が外れた試しはない。ガブリエルは一応、霊能力者であるので、他人よりも第六感は優れている。


「やはり消すしかない……か」

「やめましょうよ! 軽率にそういうこと言うのは!」

「消すしかなくないか?」

「マジシャンじゃないんですから、やめましょう。ご存じですよね? 人ひとり消すのってかーなーり大変なんですよ?」

「そこは下の連中に頑張ってもらう方向で……」

「やめましょうよ! ボスのガチ恋愛沙汰の後処理に駆り出すのはかわいそうってもんですよ」

「俺はいつも頑張ってる」

「はい。存じ上げております」


 裏社会に流れてくるような人間のうち、オツムが優れている者がどれだけ貴重かくらい、ガブリエルにもよくわかっていた。義務教育で習うようなことすら知らないか覚えていない。そんなことは、なにもおどろくべきことではない。


 そんな人間の手綱を握って上手いことコントロールする立場にあるのが、ジョンだ。エルドレッドも、そうだろう。昔の記憶を引っ張り出せば学校の勉強はよく出来ていた記憶がある。素行は昔からよくなかったが。


 閑話休題。そういうわけでオツムの弱い下っ端のコントロールに、上が頭を悩ませるのは裏社会(ここ)では別に珍しいことではない。


 だからたまにはそういう苦労が報われてもいいだろう。ジョンが言いたいのはそういうことなのだと、ガブリエルは理解していた。


 しかし「それはそれ、これはこれ」。ヴェラのデート相手がどこのどいつかガブリエルは知らないが、まあカタギだろう。そんなカタギの命が露と消えんとしているのだ。ガブリエルは当然、止める。


 ガブリエルは善人ではないが、根っからの悪人というわけでもない。目の前で無辜の民の命が散ろうとしていれば、さすがに止めに入るていどの良心はまだ持ち合わせていた。


「いや……やつはきっと悪人だ。純粋なヴェラを騙しているんだ。そうに違いない」

「そうやって己の脳を欺瞞するのはやめましょうよ」


 ジョンは己の心の平衡を保つためか、ありもしないだろう妄想を信じようとしていた。明らかによくない傾向だった。


 このままではヴェラのデート相手がこの地上から姿を消すのは時間の問題のように思える。


「己の脳を欺瞞するならセンパイの幸せを願う方向で……」

「無理だ」

「じゃあ金でも権力でもなんでも使ってセンパイとお近づきなれるよう努力すれば……」

「ヴェラはそんな女じゃない!」

「アッ、ハイ」


 仮にヴェラが金や権力になびいたとすれば、ジョンは大変なショックを受けるだろう。「解釈違い」というやつだ。


 しかしこのままヴェラがデートの末にホテルなどにしけこむ、などという展開になればジョンの脳は破壊される。それはガブリエルとしても避けたいところであった。


 ジョンが回してくれる仕事は、ガブリエルとしてはおいしいものであったので、彼の脳が破壊されて使い物にならなくなる事態は避けたかったのだ。


 ガブリエルは根っからの悪人ではない。しかし善人でもなかったので、ジョンがヴェラのストーキングを続けること自体は止めようとはしない。……まあ、ガブリエルごときに止められるものでもなかったが。


「仕方ない」

「なんですか?」

「ガブリエル、俺に付き合え」

「え?」

「ヴェラを守るんだ」

「え? ……もしかして、センパイのデートを尾行(つけ)るおつもりで?」

「それ以外にヴェラを守る方法はない!」

「ええー……」

「決まりだ。ガブリエル、どうせお前はロクな服を持っていないだろう。今から買いに行くぞ」


 ジョンはガブリエルの返事を聞く前に立ち上がるや、部屋の外に待機していたエルドレッドを呼ぶ。


「ガブリエルと買い物に行くから車を回してこい」とジョンが告げれば、一瞬、鋭い視線がガブリエルを射貫いた。もちろん、エルドレッドの灰青色の瞳から発せられたものだ。


 ガブリエルはまた誤解が積み重なって行くのを感じながら、ひとり尻の座りが悪い思いをするのであった。

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