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野蛮業  作者: やなぎ怜
1/11

(1)

「残念だけど、()()にはもういない……」

「チッ、空振りか……」


 ガブリエルとは顔馴染みの刑事(デカ)は、大きく舌打ちをしてから嘆息するように声を漏らす。お世辞にも「優しそう」などとは言えない、ギャング顔負けの凶悪な人相をわずかに歪めて紫煙を吐き出した。


「署内は禁煙じゃなかったっけ」


 ガブリエルがそう指摘すれば、顔馴染みの刑事は「みなまで言うな」とばかりにもう一度紫煙を吐き出す。白い煙がサッと立ちのぼり、やがて薄暗く寒い部屋に溶けて消える。


 警察署内の、しかも死体安置所で煙草を吸っているだなんて、品行方正な人間が見れば怒り出すだろう。しかしこの場にはそんな人間は存在しない。ガブリエルの指摘だって、咎め立てる意図はない。ただ事実を淡々と指摘しただけである。


 ガブリエルが黙って遺体袋(ボディ・バッグ)のジッパーを引き上げれば、しばらく肉を食べる気が起きないほど損壊された顔面が見えなくなる。それを確認してガブリエルはそっと息を吐く。


 今回「()た」遺体のように、むごたらしい姿となった人間は何度も見てきた。それこそ「お腹がいっぱい!」と叫びたくなるほど。しかし何度見ても慣れないものは慣れない。


 こんな遺体を見た日は、気が滅入る。冷凍庫に入れてある豚肉をさっさと始末しておけばよかった、と思うくらいに。



 ガブリエルはいわゆる霊能力者である。死者の姿を見て、その声を聴くことができる――そういう稀有な人間だ。


 ガブリエルにかかれば「死人に口なし」という言葉は途端に正しさを失う。それでもガブリエルは万能ではないので、今回のように死人の口を割ることができないということも、まま起こりうる。


 しかしそれでガブリエルの価値が下がるということはあまりない。ガブリエルの前では死人にも口はあるが、そうではない人間にとって、依然として「死人に口なし」という諺は正しいのだから。


 ガブリエルの馴染みの刑事もそれを承知している。証拠は足で稼ぐもの。昔気質(かたぎ)の彼のことだから、またいくつか靴をダメにするほど歩き回って、解決の糸口を見つけ出そうとするに違いなかった。


 そんな馴染みの刑事に向かって、ガブリエルは心の中で謝罪する。けれども表情にはそんな気持ちは一切出さない。


「ねえ、もう帰ってもいい? (イチ)バオルンの稼ぎにもならない仕事に、これ以上付き合いたくない」

「わかったわかった」


 馴染みの刑事は半目で己を見るガブリエルに、尻ポケットから出した一〇〇〇バオルン紙幣を渡す。


「これでなんか食って帰れ」

「……どうも」


 この一〇〇〇バオルン紙幣は、「今後もなにかあったらヨロシク」という意味の金だ。無論、ガブリエルとてそんなことはわかっているが、今回ばかりは少し居心地が悪く感じられる。


 それでもガブリエルは警察に協力しているなどと言えば聞こえはいいものの、実際は木っ端霊能力者。テレビのショーに出たり、あるいはオンラインサロンで荒稼ぎしているような霊能力者からすれば、吹けば飛ぶような存在なのだ。


 一〇〇〇バオルンを軽んじる者は、一〇〇〇バオルンに泣く。ガブリエルは馴染みの刑事から受け取った紙幣をペラペラのコートの内ポケットにねじ込んだ。


 胸に走る若干の痛みを無視してガブリエルは死体安置所を出る。警察署内はさすがに空調が効いているので、暖かい。


 胸のざわめきを振り払うように、ガブリエルは警察署の出入り口を目指す。出入り口からすぐそこの壁には、やはり「署内禁煙」とプリントされた紙が貼ってあった。


 全面ガラス張りの自動ドアを抜けて警察署から出る。そこでやっとガブリエルは詰めていた息を吐くことができた。


 三日月湾から引き揚げられた遺体の声を聴く、というミッションは()()()()()()()()()


 ガブリエルは馴染みの刑事から呼び出されるより先に、三日月湾に裏切り者を沈めたギャングから三〇万バオルンもの金をもらっていたのだ。


 もちろんその金が意図するところは、裏切り者がどのようにして三日月湾に沈められたのか、という経緯を握りつぶすことである。


 霊能力者であるガブリエルにかかれば、いつ、だれによって、どのように殺されたかを明らかにするのはそう難しいことではない。


 しかしそれは亡くなった人間の霊魂が、まだ地上にとどまっているあいだだけ可能な技である。


 そのことは霊能力者ではない馴染みの刑事も知っている。だから、ガブリエルはそういう嘘をついた。


 本当は恨めしくこちらを見下ろす男の霊にも気づいていたし、その男の霊がなにかを伝えようとしていることにも気づいていた。


 けれどもガブリエルはそれを握りつぶした。


 他の霊能力者が視れば露呈する噓ではあったものの、セカンドオピニオンを行うほど、あの刑事は暇じゃないということを、ガブリエルはよく理解していた。


 それらすべてをよく理解した上で、ガブリエルは三〇万バオルンで嘘をついた。


 殺された男や、馴染みの刑事に対して悪いことをした、という気持ちはもちろんある。ガブリエルは根っからの悪人ではないのだ。しかし、明らかに善人でもない。


 だからもやもやと胸中に立ち上る罪悪感を抱えながらも、不安なく公共料金が支払える安堵感に心が浮く。


 馴染みの刑事から受け取った一〇〇〇バオルンを胸に、ガブリエルはコンビニエンスストアに入る。いつもは買わないちょっとお高めのカップアイスを手に取り、パッケージングされたパンをテキトーに選ぶ。それで一〇〇〇バオルンは使い切った。


 ガブリエルは単純なので、貰った一〇〇〇バオルンが手から離れると、もう先ほどまで抱いていた罪悪感はなりをひそめる。


 つい数分前までの重い足取りはどこへやら、ガブリエルは己の城たる格安瑕疵(かし)物件へと帰って行くのであった。

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