雨の記憶
本編7500字程度
過去編13000字程度で終わります!
過去編のが長いってなんだよ。
ぜひ最後まで読んでいってください!!
「あめあめふれふれかあさんが♪」
私は雨が嫌いだ。最近嫌いになったのか、はたまた遠い昔から嫌いなのか。それは私自身にもわからない。雨で色が無くなった景色は少し冷たくて、だから雨の日には歌を歌う。
「じゃのめでおむかえうれしいな♪」
私が一番好きなフレーズに差し掛かろうとした時、後ろのドアが開く音が聞こえた。
「おはよう、優香ちゃん。また歌っているのかい?」
私が名前を呼ばれて振り返ると、そこには白衣を着た細身の男性が立っていた。
「あ、石橋先生!おはようございます」
私の担当医である石橋先生は毎日笑顔で挨拶してくれるとっても優しい先生である。
「今日はいよいよ退院だからね。ここを出る準備もしっかり済ませておいてね」
そう言って先生は病室から出て行った。
「そっかぁ。この病院とも遂にさよならか」
今思えばこの病院にはたくさんお世話になった。せめてこれくらいはと思い、私は病室を掃除し始めた。
掃除が終わる頃、看護師さんに呼ばれて病院の出口に向かった。
「本当に退院おめでとう優香ちゃん!」
「ありがとうございます!長谷川さん、今までお世話になりました!」
長谷川さんは私が一番お世話になった看護師さんだ。優しいけれど悪いことをしたらきちんと怒ってくれる。まるで本当のお母さんみたいな人だった。
「緊張するなぁ」
出口がどんどん近付いてくる。一歩また一歩と進むたびに私の心臓の音が大きくなっていくのが聞こえる。その心臓の音は私の足音すら呑み込んでしまうほど鈍く、重い。もしかしたら私が感じているのは「期待」ではなく「恐怖」なのかもしれない。感染症対策で面会が許されていなかったので両親とは三ヶ月ぶりに会うことになる。
いや、私にとっては初対面か。今の私を見て両親はどう思うのだろう。下を向いていた私の背中を長谷川さんが軽く押してくれる。私は思い切って前を向いた。
私の目の前には石橋先生と泣きながら私のことを迎えてくれた両親がいた。両親は私が「ただいま」と言う前に抱きしめてきた。
「優香!!優香!!!お前だけでもよく無事で戻ってきてくれたな」
無事?私は本当に無事なのだろうか。
「良かった……。本当によかった……。記憶のことは大丈夫。私たちとまた一から始めましょう」
大丈夫?私の十八年間は戻ってこないのに。
あんな事故で何もないはずがないのだ。
私、笠倉優香は記憶を失っていた。
記憶を失うというのはみんなが思っているより何倍も怖い。いわば人生のリセットである。この三ヶ月間私がどれだけ努力したかを両親はきっと知らないのだろう。そんなことを思っていると石橋先生が口を開く。
「優香ちゃん。最後に言っておきたいことがあるんだ」
珍しく神妙な面持ちでこう続けた。
「雨の日の記憶を忘れてはいけないよ」
私は雨が嫌いだ。最近嫌いになったのか。はたまた遠い昔から嫌いなのか。それは私自身にもわからない。でも想像はつく。きっと私が雨を嫌いになったのは雨の日の事故で記憶を失ったからだろう。私から記憶を奪った雨なんて大嫌いだ。到底許せるものではない。だけど私には雨が大好きだった時期があった気がする。理由なんてない。雨を見ているとそう感じる。
その日の深夜、優香の両親は話をしていた。
「なぁ、本当にあのこと言わなくていいのか」
夫がそう言うと、妻はため息をつきながら返す。
「あなたも馬鹿ね。世の中には知らない方がいいこともあるのよ」
「そんなもんかね」
夫はそう言って睡魔に身を委ねた。
俺はぼんやりと雲を眺めながら購買のパンをかじる。いつもはおいしいパンも今日ばかりは味がしない。
「陽向ァー!!!何しけた顔してんだよ!」
そう言って俺の親友の賢人が肩を組んでくる。
「んだよ、うぜぇなあ!!」
俺の名前は熊谷陽向。私立桜舞高校に通う三年生だ。
「あ、もしかして笠倉のことかぁ?退院したのに今日来てねぇもんな」
賢人が小馬鹿にしたように言う。
「うっせぇなあ!!」
俺がそう言うと賢人は「図星かよ」と言ってまたおちょくってくる。賢人は俺を散々いじり倒した後、急に真面目なトーンで言った。
「あー、そうだ。これは噂だから確証はないんだけどさ。笠倉、事故で記憶喪失になったらしいよ」
「は?」
「まぁ、こんなに煽った後に言うのもあれだけどさ。俺も応援してっからお前の恋」
そう言って賢人はウィンクして教室から出て行った。
「そうか、記憶喪失か……」
俺は居ても立っても居られなくて笠倉の家に走った。
ドアが開く音がして、私の部屋に父が顔を覗かせる。
「優香。よく眠れたか?」
「うーん、まぁまぁかな」
というのは嘘で本当は全く眠れていない。
「そうか、それなら良かった」
父は安心したように微笑んだ。
「優香―!ご飯できてるけど食べるわよね」
リビングの方から母の叫ぶ声が聞こえて父が苦笑いする。
「まぁ、母さんもそう言ってるんだし、お昼ご飯一緒に食べようか」
「んー、わかったよぉ」
まだ睡魔と戦っている体を無理やり起こして、リビングに向かう。
両親は昨日たくさんの話をしてくれた。事故の前の私たちがどれくらい仲が良かったのかは分からないが、きっととても仲良しだったに違いない。それくらい私たちは馬が合った。
「ピンポーン」
私たちが朝食を食べていると突然家のチャイムが鳴った。母が立とうとしたので私が箸を置き、立ち上がる。
「いいよ、私が出てくる」
私の家のインターホンにはカメラが付いているのでドアを開ける前に相手の顔を見ることができる。インターホンの先には私の知らない顔があった。
「えっと、どちら様でしょうか」
私がそう言うと、その顔は一瞬寂しさを見せたがすぐに元に戻り、深呼吸をしてから話を始めた。
「熊谷陽向って言います。笠倉、本当に記憶がないんだな」
私はその言葉に恐怖を覚えた。よく見れば私と同じ制服だ。記憶がなくなった私をかつての知り合いはどう思うのだろうか。きっと哀れんでくれるのだろう。
「……」
「……」
無言の時間が続く。母が気分転換に散歩しておいでと言うから外に出たものの、知らない人と二人きりというのは厳しいものがあるだろう。どうやら私とこの人は友達だったらしい。それも母が顔を知っている程仲が良かったみたいだ。この沈黙を先に破ったのは熊谷君だった。
「あのさ、逆になんか覚えてることとかねぇの?」
私は少し考えてから言った。
「何にも覚えてない……かな。家族の顔も忘れてたくらいだし」
それからこう付け足した。
「でもね、昨日両親にいろんなことを教えてもらったよ。なぜか友人関係とか、学校の事とかは教えてくれなかったけど」
それを聞いた熊谷君は少し嬉しそうな顔をした気がした。
「そっか。友人関係のことは教えてくれなかったんだ……。」
「そうなんだよね、だからさ、私に学校のこととか他の友達とか色々教えてよ」
沈黙の流れるあの重い空気よりはマシだと思い、長く続きそうな話題を提供する。前に仲が良かったのは本当だろうし、母が教えてくれなかったことも聞けるのでこの話題はちょうど良かった。
「そうだな。俺が全部教えてやるよ」
熊谷君の説明は意外と分かりやすくて、話していてとても楽しかった。こんなに笑ったのは退院後初めてかもしれない。こうして話していると時間はあっという間に過ぎていき、最初に決めていた散歩コースも終わりが近づいてきた。私の家が見え、もう解散するかと思ったその時、熊谷君の足が止まった。
「あのさ、最後に大事な話があるんだ」
「なに?」
振り返ると、熊谷君は走ってきて私の手を取り、こう言った。
「優香はもう覚えてないかもしれないけど、実は俺たち事故の前は付き合ってたんだ」
「え?」
私は動揺が隠せない。
「まぁ、今は気持ちの整理が付かないかもしれないけどさ。俺はもう一回付き合いたいと思ってる」
私はまだ何も話せない。
「じゃ、じゃあ考えといてねー!!」
熊谷君はそう言って走り去ってしまった。
家に入り、ただいまも言わず自分の部屋に直行する。私の手には今も熊谷君の温もりが確かに残っている。決して夢ではない。熊谷君がインターホン越しに見せた寂しそうな顔、午後の授業をサボってまで私の家に駆けつけてくれたこと。母が熊谷君との散歩をやけに勧めてきたこと。もし私と熊谷君が付き合っていたとすれば全ての辻褄が合う。
でも分からない。それならどうして両親は友人関係のことを教えてくれなかった?様々な考えが頭をよぎる。そういえば熊谷君との散歩、初めて話したとは思えないくらい楽しかったな。それこそ元々付き合っていたと言われても違和感を感じないくらい。そう思い、私はスマホを手に取り、LIMEを開く。
私は熊谷君の話を「信じることにした」
「もう後には引けないな」
俺は「嘘」をついた。俺と優香は付き合ってなどいない。本当は俺の一方的な片思いだ。正直チャンスだと思った。優香の記憶がない今なら過去をいくらでも捏造することができる。こうでもしないと優香は一生振り向いてくれなかっただろう。
「なぁ賢人。お前も応援してくれるんだよな、俺の恋」
誰に言ったのかも分からないそれは、風の音にかき消された。
「そろそろ雨が降りそうだな」
そう呟いたらスマホが鳴り、優香からLIMEがきた。
「熊谷君、こんな私で良ければもう一度付き合ってください。まだ私の中では初対面に近いけど、過去の自分が選んだ人を信じたいから。またデートに誘ってね!」
なんでだろう。胸の奥が引き裂かれる様に痛い。
それから一ヶ月間、私たちはいろんな場所に行った。水族館にも行ったし、動物園にも行った。そのたびに陽向の優しさを知り、ますます好きになった。私はいつしか陽向の横顔を見るだけで笑顔になる様になった。そんな私を見て、母は複雑そうな顔をしていた。「熊谷君はいい子だよね」と言われた。当たり前だ。中でも一番楽しかったのは遊園地デートだ。調子に乗って「愛してる」なんて言っちゃった。陽向は泣いて喜んでくれた。でも最近陽向の笑顔を見ていない気がする。笑って欲しくて愛してるって言ったのにな。あぁ、次はいつデートに行けるかな。
それから一ヶ月間、俺たちはいろんな場所に行った。水族館にも行ったし、動物園にも行った。そのたびに俺の精神は悲鳴をあげた。俺はいつしか彼女の笑顔が直視できなくなった。賢人には泣きながら殴られた。「俺は最後までお前の恋を応援してやりたかった」と言われた。それ以来、賢人とは話していない。遊園地でデートしているときに「愛してる」と言われた。俺の壊れた精神では耐えることが出来ず、自然と涙が流れた。彼女には嬉しくてつい涙が出てしまったと言って誤魔化した。彼女でさえ覚えていた「笑い方」を俺はとっくに忘れてしまった。一体俺はどこまで罪を重ねればいいんだろう。だってその「愛してる」を聞くはずだったのは……。
事故で亡くなった「本当の彼氏」なんだから。
優香の両親がなぜ内緒にしているのかは分からない。多分、言いたくなかったんだと思う。言ってしまえば優香の時間はそこで止まってしまうから。優香が記憶を失う原因になった事故で、車を運転していたのは優香の彼氏だ。彼氏は優香に抱きつくような形で発見されたらしい。おそらく優香のことを咄嗟に庇ったのだろう。記憶をなくした少女にあなたの彼氏は死んだと伝える。これほど酷なことがあるだろうか。自分の命の恩人、しかも自分が愛した人。そんな人が死んだ。なのに自分はその人の記憶すら残っていない。それを伝えれば優香は一生彼氏の幻影に囚われ続ける。
購買のパンはあの日からずっと味がしないままだ。
優香からLIMEが来る。
「ねぇ、明日はどこに行く?」
「明日は、凄く大事な話がある。俺が優香の家に行くから家で待っていてくれ」
そう返信しながら歩き続ける。
俺の足は無意識に賢人のところへと向かっていた。
「なぁ賢人。俺はどうしたらいいのかな?」
俺がそう聞くと賢人は呆れた様に言った。
「聞きにくんのが遅いんだよ、お前は」
俺の身体は親友の顔を見て、声を聞いて、安心したように泣いた。
「ごめん、ごめん。ずっと……ずっと苦しかった。やっと好きな人と繋がったはずなのに全然嬉しくなかった。俺はこの一ヶ月間後悔し続けたんだ……。なのに誰にも相談できなかった……。俺はお前の親友失格かもしれない。でも……最後に一つだけ」
俺は下を向いてた顔を上げ、元親友の顔を見て叫んだ。
「俺は!俺は一体どうしたらいいんだ!!」
すると賢人は高らかにこう言った。
「俺はお前を親友だなんて絶対に思わない」
「え?」
困惑している俺を見て、賢人はニヤリと笑ってこう続ける。
「俺たちはな、何があっても大親友だ!!」
「あ、ばか、恥ずかしいだろ!」
「ふふ、懐かしいだろ?」
俺はこのとき、久しぶりに笑えた気がした。
あの時のことはよく覚えている。およそ十年前、俺と賢人が出会った時のことだ。その時の賢人はいじめにあっていた。
当時仮面ライダーに憧れていた俺はいじめてた奴を片っ端から懲らしめて賢人を助けた。
「もう大丈夫、お友達のところへ帰りな」
かっこつけてそう言った俺に賢人は困ったような顔をした。
「でも僕、友達なんていないから……」
「そうなのか?じゃあ俺が友達になってやるよ」
そう言うと賢人はついに泣き出した。それは決して嬉し泣きなんかではない。哀れみの言葉に心が耐えきれなかったのだ。
「でもみんな僕のことを邪魔者だって言うんだ!君だってそうだ。心配する振りをして、みんな僕を馬鹿にする!!」
だから俺は迷わず賢人の肩を引き寄せてこう言った。
「俺はお前を邪魔者だなんて絶対に思わない」
「俺たちはな、何があっても大親友だ!!」
今思えばとても恥ずかしいのだが、小学生の俺はこれがかっこいいと思っていた。
それからだ。俺と賢人が毎日一緒にいるようになったのは。
「それでだ。どうしたらいいかについてだが……」
俺は賢人の声で思い出から現実世界に戻った。
「俺は本当のことを言うべきだと思う。笠倉に」
「やっぱそうだよな。言うしかないよな」
本当の彼氏。「雨宮光」のことを。
「でも言ってどうする?」
俺がそう聞くと賢人は自信満々に言った。
「思い出してもらうんだ。全部。思い出させるための作戦はある。あとは思い出したあと、笠倉が雨宮の死を乗り越えるのを祈るだけだ」
そして俺は賢人から作戦を教えてもらった。
「今日は特にひどいなぁ」
今日は陽向が家に来る。大事な話が何か気になって昨日はあまり眠れなかった。陽向とのデートはとても楽しいが、時折頭が痛くなる。まるで私の失われた記憶がデートを邪魔してるみたいに。
「雨も降ってるし、なんか嫌な感じー」
「ピンポーン」
家のチャイムがなる。
「優香―、熊谷君がきたわよー!」
玄関の方から母の声が聞こえる。
「はーい!今行くー!!」
私がそう言って玄関に向かうと、陽向が緊張した面持ちで立っていた。
「なぁ優香、お前の部屋で話したいんだけどいいか?」
陽向がそう言うので私は頷き、部屋に案内する。部屋に入ると陽向は腰を下ろし、私にも座るように促してきた。私が座ったのを確認したあと、陽向は話を始めた。
「実は言わなきゃいけないことがあってさ」
「うん、どうしたの?」
陽向は深呼吸をしてから言った。
「実は俺とお前は付き合ってなかったんだ」
「え、どういうこと?」
私の口は咄嗟に言葉を発していた。
「だから、俺と優香が事故の前に付き合ってたって言うのは嘘だったんだ」
動揺が隠しきれない。理解が追いつかない。
陽向は話を続けた。
「俺は優香に片想いしてたんだ。ずっと。想いの強さでは誰にも負ける気がしなかった。俺は雨宮なんかよりずっと君が好きだった」
「雨宮」その言葉を聞くとなぜか胸が苦しい。
「これを見て欲しいんだ」
そう言って陽向はキーホルダーを取り出す。
それを見た瞬間、ある記憶がフラッシュバックする。
「ねぇ、私がもしおばあちゃんになって光のこと忘れちゃったらどうする?」
「んー、そうなったらこのキーホルダーを見て思い出してよ。俺たちが出会ったのは雨の日でしょ?だから雫の形のキーホルダーなんだよね!ここに俺たちの思い出をたくさん詰めよう。これからもずっと」
その顔には靄がかかっていてよく見えない。でも確かに私はこの人をよく知っている。
「これは俺が買った新品のやつだから、完全には思い出せないかもしれないけどさ、本物がこの家にあるはずなんだよ。絶対」
「ここからはお前と雨宮の時間だ」
そう言い残して陽向は帰っていった。私は必死になってキーホルダーを探した。陽向の言っていることを全て信じたわけではない。でも私の身体は、私の記憶は、求めている。忘れたくなかった人を!私が愛した人を!!
「優香」
呼ばれた方を振り向くと母が立っていた。
「優香。あなたは知りたいの?知った先に何が待ち受けていたとしても。全てを思い出す覚悟はある?」
母の問いに大きく頷く。そんな私を見て母は安心したように胸を撫で下ろした。
「そう。大丈夫、あなたなら絶対に乗り越えられるわ」
そう言って母はキーホルダーを取り出した。
「これは事故現場に落ちていたものよ」
そのキーホルダーを見て私は涙を流した。その涙はキーホルダーの上にこぼれた。するとそこには男女の写真があった。一人は私。そしてもう一人は……「雨宮光」
「このキーホルダーすごいでしょ!雨に濡れると写真が浮かび上がるんだよ!」
「へぇー、すごい!めっちゃおしゃれだね!」
あれも
「俺さ、優香が歌うこの曲のピッチピッチチャップチャップランランランってとこ好きなんだよね」
「何それ、私の歌の全てが好きって言ってくれてもいいんだよー?」
「それは当たり前!もちろん全部好きだよ」
これも
「私さ、いつか光の運転する車でドライブデートしたいな」
「おぉ!いいねそれ!じゃあ頑張って免許取るよ」
全部、全部思い出した!!確か光は本当に免許を取ってくれてドライブデートをしたはず。それで確かそのあと……。
「ねぇ、光は!光はどうなったの!!?」
私は嫌な記憶が蘇り慌てて母に尋ねる。
「ねぇ!光は!?私が事故を起こした車を運転してたはずでしょ!!光は!光はどこにいるの!!!」
母は無言で首を横に振った。
私はそこから三日間誰とも顔を合わせなかった。あの後母から光に庇ってもらったことも教えてもらった。
「また雨か……」
梅雨の季節だからだろうか。最近は雨が多い。雨の景色を見ていたら、ふと石橋先生が言っていたことを思い出した。
「雨の日の記憶を忘れてはいけないよ」
記憶喪失の人になんて酷なことを言うのだろうか。
私はなんとなく、外に出た。雨が頬にあたり、冷たさを全身に感じる。
「あめあめふれふれかあさんがー♪」
この歌は悲しみを洗い流してしてくれるだろうか。
「じゃのめでおむかえうれしいなー♪」
この歌で誰かを喜ばせることはできるのだろうか。
「ピッチピッチチャップチャップランランラン♪」
この歌は……天国まで届くだろうか。
気付けば雨は止み、空には綺麗な虹がかかっていた。
「そう言えば一緒に虹を見たこともあったなぁ」
私の頬は濡れている。それが雨によるものなのか、涙によるものなのか。それは私にも分からない。
ただ一つだけわかることがある。
私は光のことを世界で一番「愛していた」
過去編〈笠倉が記憶を失う前〉
それは運命的な出会いだった。学校で少し嫌なことがあって、雨に濡れて帰ったあの日。確か高二の十月くらいだっただろうか。出会った瞬間、声を聞いた瞬間。私には世界が光り輝いて見えた。
「はぁ、やっちゃったなぁ……」
帰る人でごった返している放課後の廊下を、私は人と人との間を縫うようにして歩いていた。「なぁ、帰りにゲーセン寄っていかね?」「いいね、行こー!」「雨なのに寄り道かよー」周りからはそんな声が聞こえてくる。私だって、いつも一人寂しく帰っているわけではない。いつもは仲の良い友達と五人で帰るのだ。
下駄箱に着くと、先回りしていた友達が話しかけてきた。
「なぁ、さっさと夢歌と仲直りしてさ!今日もみんなで一緒に帰ろうぜ、な?」
「陽向もしつこいなぁ。今日は気分じゃないって言ったじゃん!明日になったら夢歌も私も冷静になって、自然に仲直りするよ」
彼の名前は熊谷陽向。「いつも一緒に帰る仲の良い五人」の内の一人だ。
「あー、それにさ、あれだよな。夢歌も流石に怒りすぎだよなぁ、『白馬の王子様』に憧れるのはわかるけどさ。優香がそんなのいる訳ないって言っただけで、あんなにキレるなんて思わねぇよ、普通。うん!優香は悪くない!!」
そう言って陽向は頭を撫でようとしてきた。励ましのつもりなんだろうか。
「やめて!」
私は咄嗟に陽向の手を振り払っていた。
「……ごめん、本当に今日は一緒に帰る気分じゃないから」
そう言って逃げるように外へ向かって走った。後ろから陽向の叫ぶ声が聞こえたが、私の足は止まらなかった。今日は濡れて帰りたい気分だ。
「賢人隊長!!優香に振られちゃった可哀想な男性を一名発見しました!!!」
「よくやった詩織隊員!!えーっと『極・恋愛攻略完璧版』女子は頭を撫でると喜ぶ……。この生物はこんな胡散臭いタイトルの本から得た情報を鵜呑みにしてしまったようですな!」
優香が走り去った直後、賢人と詩織が柱の裏から顔を覗かせた。
「見てたのかよ」
俺がそう言うと賢人が肩を組んできて、わざと詩織にも聞こえるような声量で耳打ちしてきた。
「実はね、俺は見てただけなんだけどさ、詩織は慌ててノープランでt」
「ば、ばか!!何バラそうとしてんのよ!」
詩織が慌てて賢人の言葉を遮る。
「おい、何の話だ?」
気になって聞くと、詩織は少し考えてから言った。
「あのー、慌ててノープランでトマトを食べると危ないよねって話」
するとすかさず賢人が煽る。
「てことは詩織はトマトを食べる時、緻密に計画を練ってから慎重に食べるんだねぇ」
「お前はトマトを何だと思ってんだよ、毒でも入ってんのかぁ?」
俺が煽りに便乗すると、詩織の顔は恥ずかしさで真っ赤に染まった。
「そ、そんなことより早く帰ろ!」
そう言って詩織が外に出ようとしたので、俺は慌てて腕を掴んで引き寄せた。
「お前、まだ上履きだぞ」
そう言ったあと、ふと詩織の顔を見てみると、それはもうトマトより赤くなっていた。
「い、いつまで掴んでんのよ」
「あ、ご、ごめん」
俺は慌てて掴んでいた腕を離した。少しだけ気まずい雰囲気が流れる。
「じゃあ既に履き替えてる俺と熊谷は先歩いてるんで、詩織は後から走って追いかけてきてねぇー!」
賢人がそう言って俺を強引に外へ連れ出した。正直このフォローはありがたかった。
「え、ちょ、嘘でしょ!ちょっと待ってよ!!」
靴を履き替えに戻る詩織を尻目に、俺たちは外に出た。
残された詩織の呟きだけが、誰もいない下駄箱へと響く。
「陽向が優香といい感じになりそうだったから、ノープランで突撃しようとしたなんて言えるわけないじゃん。あ、てかそもそも!」
彼女はこう続ける。
「私は陽向の恋を応援するって決めたじゃん!なに突撃しようとしてんのよ、私のばか!!」
彼女は自分の頬を軽くつねり、笑顔を作って大好きな友達の元へと走った。
「あめあめふれふれかあさんが♪じゃのめでおむかえうれしいな♪」
こうして一人で帰っていると、いつもより雨の音が大きく聞こえてくる。その音を聞いていると、悲しみが増す気がして……だから私は歌を歌う。
「ピッチピッチチャップチャップランランらあっ!!」
歌というものは不思議なもので、歌っていると気分が上がる。でも気分が上がって、雨の中スキップなんてした日には、盛大に転ぶ未来が待っている。ということを私はこの日初めて知った。
「痛てて」
立ち上がろうとすると、ふいに頭上の雨が止み、目の前に手が差し伸べられる。
「大丈夫ですか?歌、凄く上手ですね」
それは白い馬に乗った……いや、『白い傘を持った』王子様との運命的な出会いだった。
「あ、ありがとうございます」
私は彼の手を取り、立ち上がる。
「あと、ちょっと言いにくいんですけど……」
彼は本当に言いにくそうに続けた。
「それ、上履きのままですよ」
「えっ?」
私は咄嗟に自分の足を見る。するとそこには、ずぶ濡れになった自分の上履きがあった。恥ずかしすぎて今すぐ穴を掘ろうかと思ったが、なるべく平然を装って言った。
「お、教えてクダサリありがとうごいマシタ、で、では私はコレで」
すると彼はくすりと笑って言った。
「びっくりするくらいカタコトですね。あー、それに傘持ってないんですよね?なら、俺もついて行きますよ」
(それって相合傘ってこと!?初対面でいきなり!?)と思ったが、彼の顔を見ていると下心なんてなく、純粋に自分を心配してくれているということがひしひしと伝わってくる。だからこそ、私は反応に困った。すると彼は小さく咳払いをして、片膝をついて言った。
「俺があなたの傘になりますよ。なんちゃって」
その笑顔に魅せられて、私もつい笑顔になった。
「まるで少女漫画に出てくる騎士様みたいですね。じゃあ、お名前を聞いてもよろしくて?」
「もちろんです、お姫様。俺は雨宮、雨宮光。高校三年生です。あなたは?」
「笠倉、笠倉優香!あなたを私の傘に任命します!!」
すると彼はまた、くすりと笑って言った。
「お任せをっ!」
その後、世間話をしながら一緒に学校に戻った。そこで別れるのかと思っていたが、雨宮先輩は私の家までついてきてくれた。実は折り畳み傘を持っていたので、少し申し訳ない気持ちになったが、それでもこの時間は幸せだった。ずっと続けばいいと思った。学校に戻る時に、陽向たちと出会わないか心配だったが、たまたま道路を挟んだ反対側にいたのでバレずに済んだ。家に着く直前に雨が止み、綺麗な虹が掛かったので、なんとなく写真を撮った。家についた私はまず手を洗い、次に自分の部屋に戻ってベッドに寝転んだ。すると幸せな気持ちやドキドキしていた感情が少しずつ収まっていき、心身ともに冷静になっていくのを感じる。冷静になってくると、途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
「騎士様みたいですねってなんだよ!!!!!」
「優香―!近所迷惑だから少し静かにしなさーい」
リビングから母の声が聞こえてくる。
「ごめーん!!」
私は一度座り直して外を見ながら呟いた。
「夢歌にどんな顔して会えばいいんだろ……。あなたの言う通り白馬の王子様は居ました!とか言える訳ないじゃん……」
ここから優香は雨宮先輩と……いや、光と付き合うことになるのだが、付き合うまでの過程は割愛しようと思う。なぜか。これは決して愛する人と付き合う「ラブコメ」なんかではないからだ。愛する人が死ぬまでのお話。そうこれは雨宮光の死に隠された物語「シークレットストーリー」なのだ。
その出会いから約二ヶ月が経った。夢歌には正直に光のことが気になっているということを伝えた。あの時のニヤニヤとドヤ顔が混ざったような夢歌を忘れることは、今後何があっても絶対にないだろう。しかし陽向たちには光の存在自体伝えなかった。陽向の気持ちにも薄々気付いていたし、詩織の陽向に対する想いも知っていた。この複雑な関係に「雨宮光」という終止符を打ってしまったら、積み上げてきたものが全部なくなってしまう気がしてならなかった。全部なくなるというのはきっと想像も出来ない程辛いことだと思う。少なくとも私はそう思う。
「ごめーん、待った?」
私はすでに待ち合わせ場所に立っていた光に声をかけた。
「いや、俺も今来たところだよ」
光はさも当然かのように手を握ってきた。
「じゃあ、行こうか」
そう言って私たちは夕方のクリスマスの街を歩き始める。
「昨日はごめんな、急に夜中、電話したりして」
「ううん、起きてたから全然大丈夫だよ。まぁ、電話で告白された時は流石にびっくりしたけどね」
そう私たちは昨日の夜に付き合ったばかりだ。つまり今、私たちは付き合って一日目にしてクリスマスデートをするというハードル高めのことをしているのである。
「いやぁ、どうしてもクリスマスにデートしたくてさ」
「えー、例えば今日出かけた後にサプライズで告白!!とかさ、そういう方が嬉しかったなぁー、なんて……」
私が照れ隠しで冗談を言うと、光は真に受けてしまったようで、しゅんとした顔をしていた。その姿が可愛くて、ますます光のことが好きになる。
「ねぇ、光」
「ん?」
私は少し微笑んでから言う。
「来年のクリスマスも、再来年のクリスマスも、これからもずっと一緒にいようね!!」
「なに急に、当たり前じゃん!俺もこんなに人を好きになったのは初めてなんだから。任せて、幸せにしてあげる」
「ありがとっ!」
その後、水族館に着いた私たちは最高の初デートを過ごした。最新のプロジェクションマッピングを使ったイルカショーは圧巻で、私も光も思わず感嘆の声を漏らした。水族館にいる生き物で一番可愛かったのは、やはりペンギンだろうか。時間を忘れてずっと見ていたら「ペンギン好きなの?」と聞かれて、少し恥ずかしかった。ちなみにペンギンは大好きだ。その間も私たちはずっと手を繋いでいた。そしていよいよ別れの時間がきた。
「俺が立てたデートプランだったけど、ちゃんと楽しんでもらえた?」
「うんっ!めちゃくちゃ楽しかった!!」
「ならよかった!」
そう言って光は鞄の中から何かを取り出した。
「はい、これクリスマスプレゼント!」
渡されたのは雫の形をした、とても綺麗なキーホルダーだった。そして光はもう一つ同じキーホルダーを取り出して言う。
「じゃーん!お揃いなんだ!いいでしょ!」
「えっ!お揃いなの嬉しい!!」
お揃いのキーホルダー。それをもらうことで、私と光が付き合っているという実感が今更ながらに湧いてくる。私が嬉しさに浸っていると、光は突然水を取り出して自分のキーホルダーにかけた。するとそこには写真が浮かび上がっていた。
「このキーホルダー凄いでしょ!雨に濡れると写真が浮かび上がるんだよ!」
「へぇー、すごい!めっちゃおしゃれだね!」
「でしょ?この写真覚えてる?」
私が光のキーホルダーを覗き込む。そこには虹を背景にピースをしている私たちの姿があった。
「あ、これ、私たちが出会った日に撮った写真だ!確か途中で雨がやんで、虹がかかったんだよね!」
そう、あの時の写真。なんとなく虹が綺麗だったから、もう光と会うこともないかもしれないと思ったから。だから記念に撮った普通の写真。そんな普通の写真をこんな最高の一枚にしてくれたことが嬉しすぎて、涙が出そうになった。
でも一つ、問題があった。
「あ、あの……」
私は今日の午前中忙しくて、クリスマスプレゼントを買えていない。だから自分だけこんなに綺麗なキーホルダーをもらうのは申し訳なかった。私がそのことを伝えようとすると、先に光が話し出す。
「クリスマスプレゼント買えてないんでしょ?」
「え?」
私が驚いた顔をしていると、光はくすりと笑って続けた。
「俺が昨日の夜に誘ったんだもん。買えてなくて当然だよ!」
「で、でもっ」
私の言葉を遮るように光は言った。
「俺があげたくてプレゼントしてるんだから、受け取っていいんだよ。その方が俺も嬉しいし!それにさ……」
光は少し溜めて言った。
「来年も再来年もこれからもずっと一緒にいるんでしょ?それまでに何回クリスマスがあると思ってんのさ。来年、期待してるよ」
「……うん、うんっ!!本当にありがとう!!」
私はくしゃくしゃになるくらい笑った。それでも私のキーホルダーは写真を映し出した。
「昨日のクリパ楽しかったなぁー!!」
朝、教室に入ると早々に賢人が私と夢歌に迫ってくる。
「ご、ごめんって、用事が入ったんだよ、仕方ないじゃん!!」
「ごめんねー、賢人―」
私が謝ると、夢歌も棒読みで形だけ謝罪した。
「夢歌も優香も賢人じゃなくて私に謝るべきだと思うよ!優香は用事、夢歌は弘人とデートって何!?クリスマスパーティーで男子二人が盛り上がってる中、端っこの方で賢人の妹のお世話してた私の気持ちわかる!?」
教室に詩織の叫びが響く。
「俺たちだけで盛り上がっちゃってごめんな、詩織」
「俺の妹のお世話お疲れさん!楽しかったかぁ?」
陽向は詩織に謝り、賢人は詩織に渾身の煽りをかます。
「優香の用事はなんだったの!?夢歌は弘人とのデート楽しかった!?」
「詩織は酔ってんのか?」
賢人の言う通り、詩織のテンションは少しおかしかった。でもお酒を飲んでいるわけがないので、多分昨日の深夜テンションが続いているのだろう。
「詩織が酔ったら、こんな感じなんだろうね」
私がそう言うと詩織以外の全員が一斉にうなずいた。そしておそらく全員が同じことを思った。『何この可愛い生物』
「みんなして、なにジロジロ見てんのよ」
「あー、そうそう、うちの弘人の話聞きたいんでしょ?聞いて!まじでうちの弘人かっこいいの!!」
「でたよ、もういいよ弘人との惚気話は!」
「その話で良い気分になるの夢歌だけだからなぁー」
「いや、だって詩織が聞きたいって言うから!!」
「詩織はほら、酔っちゃってるからさ、自分に」
「自分に!?!?」
「酔ってないもん!」
「私、お酒飲んでないのに顔膨らませて怒る人初めて見た」
「お前はハリセンボンかよ。はい!パーン!」
「誰の許可を得て、私のほっぺたに触ったのよ!」
「叩くどころか触るのすら許されないの!?」
「むしろなんで賢人は許されると思ったの?」
「熊谷が触れって脅してきたんです……」
「嘘でしょ!?陽向……見損なった!!」
「え、俺!?!?」
「よーし、そんな陽向はうちが逮捕しちゃおうかな!」
「なるほどな?言っておくが俺は全力で逃げるぞ?弘人のとこに」
「ちょ!ここで弘人を出すのは反則でしょ!?」
「全く関係ないけど優香誕生日おめでとう!」
「本当だよ、みんな忘れてたの?言い出すの遅すぎるよ……って今日誕生日なの優香じゃなくてうちな!?」
「いいねぇー夢歌!今日もキレッキレのノリツッコミ!素晴らしい!!」
「嬉しくないわ!!」
「ちなみに私の誕生日は十一月二十五日ね!」
「夢歌おめでとう!!まぁ俺、なんのプレゼントも用意してないけど!」
「右に同じく」
「いいもん!男共には最初から期待してないし!優香と詩織はプレゼント買ってきてくれたよね!!」
「「……」」
「うわあああああー!!!」
その時学校のチャイムが聞こえた。
「お、もうこんな時間か、じゃあまたな」
別のクラスの陽向と賢人と詩織はバタバタと教室を出て行った。
私も自分の席に座ろうと思い、椅子に手をかけると、夢歌がニヤニヤしながら近づいて来た。
「昨日のデート楽しかった??」
私はデートのことがバレていることに驚く。
「え!?なんで知ってんの!?」
すると夢歌は得意げに言った。
「少女漫画に侵された、うちの右脳と左脳が優香の用事はデートのことだ!って告げたからね!」
なんだ勘か。私は少し安心した。もしずっと手を繋いでいたことまでバレていたら、恥ずかしすぎて叫んでいただろう。
「ほうほう、この様子だと手も繋いだね。私の前脳がそう言ってる」
「優秀すぎるだろおぉぉぉ!!!!!」
「笠倉さん、静かにしなさい」
私は先生からも生徒からも白い目で見られた。
「あ、あの!雨宮先輩!好きです!付き合って下さい!!」
またか……と俺は思う。
「ごめん、気持ちは嬉しいけど、俺にはもう彼女がいるから」
そう言うと、名前も知らないその子は走ってどこかに行ってしまった。
「また告白されたのかぁ?あ・め・み・やせーんぱい!」
「翔人に先輩って呼ばれると、なんだか無性にイライラするよ」
翔人はいつものようにケラケラ笑って言った。
「話は変わるんだけどよぉ、再来週の日曜に遊園地でも行かね?」
「遊園地?」
普段はあまり外に出ない翔人が、遊園地に行きたがるなんて珍しいと思い、少しびっくりする。
「そー!遊園地!なんかね『ランコントルランド』が俺の好きなアニメとコラボするらしくてさぁー、だから行きたいんだよね!」
「結局アニメに繋がるのか」
翔人がいつも通りで少し安心した。
「んじゃ、そゆことでー」
翔人はそう言って走り去っていった。
「うおー!!遊園地だー!!!!」
「賢人、はしゃぎすぎ!もう少し静かにしてよ!」
今日はいつもの五人で遊園地に来た。
「まずはジェットコースター乗ろうぜ!」
「え、いきなりかよ」
「ジェットコースターね……。じゃあ、うちは座ってるから、みんな楽しんできてね……」
「なに言ってるの?夢歌も乗るんだよ??」
「やだよ!てか遊園地に行くなら言ってよ!」
「だって言ったら夢歌来ないじゃん!」
「サプラーイズ!」
「嬉しくないわ!!」
私たちはいつものように、くだらないことで盛り上がっていた。
その時だった。私の耳に大好きな声が響いたのは。
「あれ、優香?」
「え、光?」
頭が真っ白になっていくのを鮮明に感じた。
「あ、やっぱり優香だ!来てたんだね!クリスマス以来、忙しくて会えてなかったから嬉しいよ!」
みんなの視線が私に集まる。それはトゲのように尖っていて、胸が苦しい。今すぐにでも逃げ出したい。しかしそれは叶わぬ願いだった。
「えーっと、もしかして優香の彼氏さんだったり?」
冗談っぽく陽向が聞くと、光は頷いた。
「そうだよ、優香のお友達だよね?たまに優香から話聞くよ!すごく面白い友達がいるって、初めまして俺は雨宮光」
光は陽向に手を差し出したが、陽向は困惑していて、それに気が付けない。すると賢人が光の手を取った。
「俺は網仲賢人、こっちは親友の熊谷陽向。よろしくね!雨宮さん!」
「あ、えっとね、うちは空木夢歌!このびっくりしてる顔の子が天野詩織ね!」
光は、なぜ陽向が手を取らなかったのか少し不思議がった様子だったが、すぐさまいつもの顔に戻り、会話を続ける。
「みんなよろしくね!ちなみにこいつは久我翔人。まぁ人見知りだけどいい奴だから、仲良くしてやってくれ」
「ども、久我です。よろしく……」
そこから先は見てられなかった。私と陽向と詩織と久我さんはなにも喋らず、他の三人だけが気を使いながら解散するタイミングを伺っていた。最初に仕掛けたのは賢人だ。
「まぁ、今回優香は俺らがもらってくんで!今度先輩たちも含めて七人で遊びましょ!」
もちろん賢人だって本気で七人で遊びに行く気はないだろう。
「もちろん!じゃあそろそろお互いに遊園地で遊びますか!ほら翔人行くよー」
光は帰り際に耳打ちしてきた。
「彼らには付き合ってること隠してたんだね、ごめん。でも最低限の尻拭いはするから」
なにか無茶をするんじゃないかと思い、不安になった私が光のことを見ていると、光はくすりと笑って言った。
「大丈夫、無茶はしないから。任せてよ」
それから光はみんなの方を向いて言った。
「あーそうだ、付き合ってることを内緒にして欲しいって言ったのは俺だからさ!優香のことはあんまり責めないでくれよ?」
「もちろんです!言われなくても責めたりしませんよ!!」
賢人がそう言うと光は満足そうな顔をした。
「ならよかった!じゃあね!」
「……」
光たちが去った後、私たちは無言の時間を過ごしていた。それを最初に破ったのは夢歌だ。
「で、なんか言いたいことある人いる?」
「え?」
そう来るとは思っていなかったので、私は驚いて声を漏らした。
「いや、うちはこの五人と弘人が大好きだからさ!まだ仲良くしたいわけ!こーゆー時は気なんて使わずに言いたいこと言うのが一番だと思うの!!」
夢歌の強気な発言に乗っかったのは陽向だ。
「じゃあ、正直に言う。みんな気が付いていたかもしれないけど、俺は優香のことが好きだ。大好きだ。この世の誰より、お前を愛している自信がある。それは雨宮先輩よりもだ!だからさ……」
私たちは次の言葉を待った。
「お前の幸せをこの世の何よりも優先したい。だからお前が、優香が雨宮先輩を選ぶなら文句なんて言わないよ。でも!でも!!」
陽向は優しい笑顔で言った。
「俺が優香を好きなことは変わらない」
「……本当にそれでいいの?好きな人の幸せを願うだけって、後悔するよ」
少し間を置いて、そう言ったのは詩織だ。
「後悔なんてしねぇよ」
「いや!絶対する!!今私がしてるもん!!!」
普段大声で話すことが少ない詩織が大声をあげたので、全員驚いて詩織を見る。
「なんで!?なんで陽向じゃないの!?陽向は、陽向はこんなにも優香のことを想ってるのに!こんなことになるなら私が陽向を幸せにしたかった!!!陽向の恋を応援するって決めたあの日から、私はずっと、ずっと苦しかった!涙なんてとっくに全部出しきった!!あの日からずっと……私の……」
そこまで言って詩織は泣き崩れた。それでも、か細い声で何かを叫ぶ声が聞こえてくる。
「私の……私の心の中に降る雨が止まないんだもん……」
遊園地に遊びに来ているお客さんの視線が詩織に集まる。夢歌が気を利かせて、詩織をベンチに運んだ。
「……ごめん、俺ちょっとトイレ行ってくるわ」
そう言って陽向はトイレに向かった。少し遅れて賢人もトイレに行った。
「今日はもう解散しよっか」
そう言ったのは夢歌だ。いや、夢歌が言い出さなかったとしても、きっと誰かが言い出しただろう。陽向たちが戻ってきた後、私たちはそのままそれぞれの家に帰った。
ここは少し時間を遡って、陽向がトイレに行った直後の話。
俺はトイレに着くと、まず鏡を見た。しかし鏡がボヤけていてよく見えない。
「まさか優香に彼氏がいたなんて驚きだよな」
返事が返ってくるわけでもないのに、俺は鏡の中にいる俺に話しかける。
「ほんと、幸せになってほしいよな……お前もそう思うだろ?いや、優香のことはいいんだ。別に。気にしてないし。でも……一つだけ不安なことがあるんだけどよぉ。鏡の中のお前から見て、俺はちゃんと笑えてるか?なぁ、答えてくれよ」
「無理に笑うなよ、泣きたい時は泣いていいんだぜ?」
突然背後から声がしたので、びっくりして振り返ると、そこには賢人がいた。
「泣きたい時は泣いてもいいし、叫びたい時は叫んでもいい。大丈夫、ここには俺とお前しかいないからな」
それを聞いた瞬間、涙が止まらなくなった。いや、本当は最初から泣いていたのだろう。
「なんでだよ……。なんで俺じゃないんだよ!!!俺はこんなに優香が好きなのに!!大好きなのに!!なんで!!?」
その後も俺は叫び続けた。叫んで、叫んで、叫んで、叫んで!!そうして叫び疲れた俺は涙を拭った。
「なぁ賢人、俺はちゃんと笑えてるか?」
賢人は言った。
「あぁ、いい笑顔だ」
俺の口は無意識に呟いていた。
「いつもありがとな……」
「え?なんか言ったか?」
その問いに、俺は人生で一番の笑顔でこう答えた。
「なんでもねぇよ!」
「おはよー!」
遊園地の次の日の朝、学校に着いて、いつものように優香たちに挨拶をする。
「おはよー、陽向!」
「おはよー!!」
「熊谷、おはよう!」
今日は学校に着くのが遅かったので、四人から返事が返ってくる。はずだった。なぜか今日は一人足りない。
「あれ?詩織は?」
俺がそう聞くと夢歌が答えた。
「んー、まだ来てないみたい」
「そっか……」
俺たちはいつものようにくだらないことで笑い合った。授業を受け、四人で集まって喋って、授業を受け、集まって喋る。そうこうしているうちに、どんどん時間は過ぎていき、とうとう放課後になった。
その日、詩織は学校に来なかった。次の日も、次の日もその次の日も、詩織が学校に来ることはなかった。
そして詩織が来なくなってから二週間が経った日の放課後。俺の前には優香が立ちはだかっていた。
「夢歌は補習、賢人は妹のお迎え……まさかとは思うけど、陽向まで一緒に帰れないとか言わないよね??」
「……ごめん、今日は用事がある」
「えぇー!?陽向も!?もういいよ、一人で帰るし……」
俺はショボショボと歩いて行く優香の背中を見送った。惜しいことをしたかなと思いつつも、不思議と後悔はない。俺は深呼吸をしたあと、真っ直ぐ詩織の家へと向かった。
「ピンポーン」
詩織の家のチャイムを押した。しばらくすると詩織の母親が出てきた。
「あら、熊谷君!いらっしゃい!あがってあがって!」
「あ、お邪魔します」
俺は靴を脱ぐと、しっかりと揃えて壁際に寄せた。
「詩織なら二階にいるわよ」
まだ用事を伝えてもいないのに、詩織の母さんは見透かしたような目で言った。俺は苦笑いして「ありがとうございます」と言いながら、階段を上がった。
「詩織―、元気かぁー?」
俺は詩織がいるであろう部屋の、扉越しにそう話しかける。
詩織からの返事はなかったが、俺は話し続けた。
「優香に彼氏がいたのはびっくりしたよな。俺もめちゃくちゃ驚いたし。詩織の本当の気持ちも知れて嬉しかった。でも……先に謝らせて欲しい。俺は詩織の気持ちには応えられない」
部屋からは物音一つ聞こえない。
「詩織はさ、俺の幸せを願って自分の気持ちを我慢してくれてたんだよな。ならさ、これからも……今まで通りに、俺を応援してくれないか?酷いことを、苦しめることを言っているのは理解してる。でも俺は優香を追いかけ続ける。これからもずっと。だから、だから……」
気づけば俺は泣いていた。こんなやり方しか思い付かない自分が情けなかった。
「ごめん、俺は不器用だからさ、今まで通りの関係に戻すくらいしか、思いつかねぇんだ……」
すると横から聴き慣れた声が耳に届いた。
「陽向?私の部屋の扉の前で何してんの……?」
詩織の顔を見た瞬間、状況を理解し、恥ずかしさで頭がいっぱいになった。
「え、も、もしかして俺の話聞いてなかった……?」
「うん」
俺は慌てて涙を拭った。
「多分、私が学校に行ってないのを心配してくれたんだよね?大丈夫!!ちょっと体調が悪くて休んでただけだから!明日からは学校にも行けるよ」
「そ、そうだったのか……」
優香の件が関係なかったことを知り、尚更恥ずかしくなった。
「陽向に風邪を移しちゃ悪いからさ!今日はもう帰ってよ」
「え、う、うん」
俺は詩織に流されるがまま帰路についた。
「じゃあ、また明日学校でね!」
その時の詩織が笑っていたので、俺は安心して帰ることができた。
「はぁ、これで明日から学校に行くしかなくなっちゃったなぁ」
私は気分転換に顔を洗うため、洗面所に向かった。鏡を見ると、思っていたのとは違う表情の自分がいた。
「あれ?私、なんで泣いてるんだろう」
少し考えて、一つの結論を出した。
「ああそっか。陽向が私に苦しいことをさせようとしてくるからか」
でもきっと、そんな不器用だけど真っ直ぐなところに惹かれてしまったのだろう。鏡を見ることをやめた私は、手の中に冷たい水道水をたくさん貯めて、思いっきり顔にかけた。そしてそれを何度も、何度も繰り返す。
「あれ?なんでだろう、泣いてる理由も分かってるのに、洗っても洗っても涙が止まらないや……」
「チリン♪」季節外れの風鈴が鳴った。
「あぁ、そっか……もう、終わったんだ」
私の心の中で降っていた雨は、悲しく晴れた。
「どうしたの?今日はやけにご機嫌だね」
今日は久し振りに光とのデートだ。もちろんそれも嬉しいのだが、ご機嫌な理由はそれじゃなかった。
「実はね、最近学校に来てなかった友達が、昨日学校にきたんだよね!」
「そうなんだ!鼻歌、歌っちゃうなんてよっぽど嬉しかったんだね」
「え、うそ、私歌ってた!?」
詩織が笑顔で登校してくれたことが嬉しくて、無意識に歌ってしまっていたようだ。
「俺さ、優香が歌うその曲のピッチピッチチャップチャップランランランってとこ好きなんだよね」
突然の告白につい笑ってしまう。
「何それ、私の歌の全てが好きって言ってくれてもいいんだよー?」
「それは当たり前!もちろん全部好きだよ」
光が少し慌てたように言ったので、少しからかってやろうと思い、心を込めて言った。
「私も光の全部が好きだよ!!」
ブオォーーン
「え?今なんて?」
残念ながら私の声は車にかき消されてしまったようだ。言い直すようなことでもないので、私はふと思ったことを言った。
「私さ、いつか光の運転する車でドライブデートしたいな」
「おぉ!いいねそれ!じゃあ頑張って免許取るよ」
でも……。と言って、光は疑いの視線を向けてくる。
「本当にそう言ったの?今たまたま車が通ったから思い付いただけじゃなくて?」
全くもって光の言う通りなのだが、言い直すのは恥ずかしいので嘘をついた。
「本当にそう言ったよ!!」
「そう?ならいいけど」
まぁ、好きって言う機会なんてこの先いくらでもあるよね。そんなことを思いながら、目的地へと歩き続ける。
「うわっ!!」
考え事をしていたからだろうか。私は石に躓き、転んだ。いや、転びそうになった。
「良かった、今度は守れた」
光に支えられたおかげで転ばずに済んだのだ。
「あ、ありがとう」
私が体制を整えると、光は手を離す。
「あの日、転んでくれてありがとな」
その言葉を聞いて、私の中にある仮説が浮かんだ。
「もしかして、ピッチピッチのところが好きな理由って……」
「正解!!」
光の笑顔に私はため息をついた。
「……免許、そんなに急いで取らなくてもいいからね」
私がそう言うと、光は少し考えてから言った。
「それはフリ?」
「いやいや、違うよ!!」
否定したはずなのに、光はくすりと笑って「まぁ、任せて!」と言った。
「優香!免許取れたよ!!安いやつだけど、車も買えたし!早速今からドライブデートしない?」
光に家に来て欲しいと言われて行ってみたら、そこには新品の車が置いてあった。
「えっ!?もう取れたの?早いね!一年はかかると思ってたのに」
でも私は努力していた光を一番そばで見てきた。車を買うために私に隠れて、たくさんバイトしていたのも知っている。だから素直に凄いと思った。
「だけどなんで今日?免許取ったばっかりで走らせてみたいのは分かるけど、雨の日は危ないよ。あと一ヶ月すればクリスマスだからその時とかにしない?」
「いいから!行こ!大丈夫、任せて!!」
それを聞いた時、ふと様々な思い出が蘇った。
「……免許、そんなに急いで取らなくてもいいからね」
「まぁ、任せて!」
「彼らには付き合ってること隠してたんだね、ごめん。でも最低限の尻拭いはするから」
「大丈夫、無茶はしないから。任せてよ」
「来年のクリスマスも、再来年のクリスマスも、これからもずっと一緒にいようね!!」
「なに急に、当たり前じゃん!俺もこんなに人を好きになったのは初めてなんだから。任せて、幸せにしてあげる」
「笠倉、笠倉優香!あなたを私の傘に任命します!!」
「お任せをっ!」
突然の記憶のフラッシュバックに驚いて、少し嫌な予感がしたので、私はなんとなく光に聞いた。
「ねぇ、もし私がおばあちゃんになって、光のこと忘れちゃったらどうする?」
突然の質問に困惑した様子だったが、光は丁寧に答えてくれた。
「んー、そうなったらこのキーホルダーを見て思い出してよ。俺たちが出会ったのは雨の日でしょ?だから雫の形のキーホルダーなんだよね!ここに俺たちの思い出をたくさん詰めよう。これからもずっと」
それは去年のクリスマスに光がくれたキーホルダーだった。
「ふふ、懐かしいね。あと一ヶ月で初デートから一年になるんだ。早かったなぁ」
「そーだね!」
光の笑顔は出会った時と全く変わっていない。きっとこれからも変わることはないのだろう。
「そういえば、なんでそんなに今日に拘っているの?明日じゃダメ?」
「ダメだよ!だって今日は……」
そこまで言って、光は我に返ったように慌てた。
「あ、やっぱり教えない!帰りに教えてあげるよ!!」
よっぽど隠したいらしいので、仕方なく聞かなかったことにしてあげた。
「分かったよ、じゃあ楽しみにしてるね」
「うん!早く乗っちゃって!」
「了解!!」
私は笑顔で車に乗り込んだ。
その後、光も「ペンギンのぬいぐるみ」を持って車に乗り込む。しかしそのぬいぐるみに優香が気付くことはなかった。
これが雨宮光の描いてきた
「人生の物語」
ちなみに、最後の瞬間、彼はくすりと笑ってこう言ったらしい。
「誕生日おめでとう」
読んでくれてありがとう!
感想やアドバイスなどお待ちしております!!
個人的には風鈴のとこが1番好きです!
風鈴といえば夏。春夏秋冬。