第三話 戯れは水の味
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ひ弱な少女にとっての喧騒と活気あふれる人混みは、ベーリング海峡の荒波と化すらしい。
「や、やっと抜けた…」
俺は疲労を多分に含んだ溜息を吐くと、ひんやりとした空気に釣られて噴水のへりに座り込んだ。
「動画だとワープとかあったはずだけど…」
しかし辺りを見回しても、それっぽい移動をしている人は見かけない。
陸兄がゲームのイロハを教えてくれるって言うからチュートリアルぶっ飛ばしちゃったんだよなぁ…
「………」
そっと目を閉じる。
背中に感じる冷たさと流れ落ちる水の音が心地いい。
「噴水付近はちゃんと涼しくなって…「バサッ」…ん?」
すると身近に短い羽音一つ。
目を開けると、噴水の中を泳いでいた真っ白なアヒルが俺の隣に鎮座していた。
「……」
「……」
両者沈黙。
ならばと俺は手を伸ばし、ほんの少し水気を含んだアヒルの背中にそっと触れた。
「グワッ!」
「うぉぉっ!?」
沈黙を破ったのはアヒルの突撃。
唐突に懐に飛び込まれた俺はバランスを崩し、噴水のへりから地面に落下した。
「…あっ…おい待っ…」
「グワァッ!」
「ちょっ…うぇ…」
調子に乗ったアヒルは倒れた俺の頭の上に飛び乗ると、勝ち誇ったように翼を広げた。
「ちょっ…離れろ!」
「グワッ!グワッ!」
くっ…コイツ!場所が場所なら鶏肉にしてやるのに…!
「…何やってんだお前。」
そんな感じでアヒルと戯れているとこ暫く。
突然頭上から聞こえてくる、あまりにも聞き覚えのある声。
「!?」
俺は咄嗟に立ち上がり…立ち上が…立っ…ああもうバサバサバサバサ鬱陶しいなぁ!?
「ふんっ!」
「グワァア!?」
俺は頭上のアヒルを引っ掴んで噴水に投げ込むと、今度こそ埃を払って立ち上がった。
「来たか陸兄!声も雰囲気もファッションセンスも相変わらず!」
「うるせぇ!最後の一つは余計だろ!」
目の前の男は俺の正論にずっこけると、俺を指差して抗議の声を上げた。
目の前に立つ呆れた声の主は俺の兄。陸兄こと神崎陸哉だ。
陸兄も『リアリスト』なので雰囲気で何となく分かる。あと服のセンスも。
いい加減自覚すれば良いのに…
「そういうお前こそ……」
そこで言葉を切った兄は一歩下がると、おもむろにカメラを構えて写真を撮った。
「…何で撮った?」
「別に?お前が健全に成長している証拠を親父に送るだけだ。」
「おいばかやめろっ!」
このクソ兄、咄嗟に最適な心折行動を取りやがった!
「ホイ送信っ」
「あっやm(絶命)」
(´・ω...:.;::..サラサラ..
陸兄は再び膝を折った俺を見て満足げに笑うと、噴水のへりにドカリと腰かけた。
「よし、んじゃサッサと行くぞ。夏休みが始まった直後はモチベ高いやつがごった返してっから…
(ボルテージMAXの跳ね起き)(殴りたい笑顔をロックオン)(流れるような怒りのパンチ)
…っと、あぶね〜」
ちっ、流石に受けられたか…
「まぁまぁ落ち着け。青春の1ページに思い出を刻んでやったんだから感謝しろよ。」
「消せない刻印なんだよなぁ!?」
俺は再び力を込める。
唸れ俺の拳!今度こそその邪知暴虐な精神を噴水に突き落として濯いでやるぅ!
………
……
…
それから暫く後。
AAO産の水の味は、きめ細かな舌触りだったとだけ言っておこう。
「うへぇ…開始早々ずぶ濡れに…」
噴水にダイブしたせいで変な注目を集めたし、闘志もすっかり鎮火されてしまった。
因みに濡れたからといって服が透けたりはしない。そんなことしたら女性プレイヤーは雨の日に外を出歩けなくなる。
「よし。気が済んだらさっさと行くぞ。」
「誰のせいだと思って…はぁ……」
もう対抗する気力もない。湿気たマッチに火は付かないのだ。
プレイヤー:リクからのパーティー招待が届いています。
「…『承認』」
目の端に浮かび上がったウィンドウに手を触れると、メニューのパーティーメンバーの欄にリクの名前が加わった。
「よし、それじゃあ早速……なんでお前《RL》表記ついてんだ?」
「…《RL》表記?」
陸兄に促されるままにステータスを開くと、確かに名前の横に《RL》の文字がある。
曰く、それは『リアリスト』の証らしい。キャラクリをサボった証とも言えるが。
「…えっと、(カクカクシカジカ)」
俺は兄に『リアリスト』で設定したが、何故かバグってこのアバターになってしまったと説明した。
まぁ、バグったのは現実の方なんだけどね。
嘘は言ってないのでセーフ。
いっそ全部吐いてしまう事も考えたが、それはそれで面倒な事になりそうなのでやめた。
「なるほどなるほど…つまり没にしたとは言え美少女アバターは作ったと…」
「うごっ…」
事実だから何も言えねぇ…
「一から作ってんのか。なーんかどっかで見た事ような気がすんだけどなぁ…」
陸兄は暫く首を捻った後、俺にバグ報告を促しつつ再び歩き出した。
暫し後。
「そう言えば…初心者って何をすれば良いんだ?」
俺は陸兄が売店で買った串焼きを頬張りながら、大通りを歩く陸兄に問いかける。
…肉汁すっご、これほぼ100%再現だろ。
「そうだな…セオリー通りにコツコツ行くか、アバターを賭けた一世一代のギャンブルするか…どっちが良い?」
そう言うと、陸兄は悪い笑みを浮かべながらこちらを振り向いた。
「悪い笑みだなぁ…俺がどっちを選ぼうがどうせギャンブルするんじゃないの?」
「いや、ちゃんと選ばせてやるつもりだったぞ?さっきまでは。」
「ほーらやっぱり。」
溜め息を吐く俺をよそに、陸兄は再び前を向いて歩き出す。
俺は一抹の不安とそれを覆い隠す程のワクワクを抱えながら、陸兄の背中を追いかけた。
【突撃アヒルのアクラック】
多分AAOで一番有名なアヒル。
主にアークトリアの巨大噴水を根城にしており、噴水に座ったり侵入しようと試みるプレイヤーに向けて容赦なく突撃する気性の荒い性格。
しかし、少しでもレベルが上がれば痛くも痒くもなくなるので、被害に遭うのは主にログインしたての初心者に限られる。