第一話 開封の儀
第一話。ようやっと始まります。
ピピピピ…ピピピピ…
「………」
耳障りなアラームの音で目が覚めた。
蝉よりはマシだけど。
「よっ…と。」
俺はベッドから抜け出し、アラームを響かせるタブレットを小脇に抱えて階下のリビングに降りる。
『おはようございます。神崎 空さん。』
「ふぁ…今朝のニュースは?」
『…このように日本全体が高気圧ですっぽりと覆われており、ここ一週間は快晴が続く見込みです。学生の皆様にとっては待ちに待った夏休みだとは思いますが、外出の際は暑さ対策をしっかりと…』
ぽすっ。
俺はタブレットをソファーに放り投げ、換気のために窓を開ける。
「…暑い。」
やっぱ閉める。俺が干からびたら元も子もない。
動き出したクーラーへの遠慮も知らずに鳴き出した蝉が、軽やかな音楽と共に流れるニュースの音声を曖昧に溶かしていく。
季節は夏。
最高気温が毎年のように更新され、段々と外で活動するのも厳しくなって来た夏。
今年は先程のニュースにも会ったように連日快晴が予報されており、あまりの猛暑に世間の風潮も外出を控える方向へシフトしている。
しかし、現状この家には俺しか居ない。フライパンを洗ってくれる人も居ない。
父と姉は仕事から帰ってくる気配が全く無いし、割と近くに住んでいる陸兄は……知らん。気が向いたらくるだろ。多分。
…とまぁ、そんな感じ。
だから折角の休みなのにすっっっごく暇だ。
「…食料買わないと尽きるな。」
雑に拵えたトーストを平らげ、皿をシンクに投下。
ソファーの上に流れる何処かで起きた火事の報道を通販の画面に切り替える。
「お、米も卵も安いな。」
お得な商品をいくつか選び、まとめてカートに放り込む。
良くも悪くも時間がゆるやかに流れる平凡な日常。
それが今日も滞りなく始まろうとしたその時。
『ーーーフィィィィン』
「…?」
閉めたカーテンの向こう側。
ゆっくりと移動する小さな影が窓の外を音もなく横切ると、玄関の前でピタリとその動きを止めた。
「…あれ、なんか頼んでたっけ?」
俺はカップラーメンの吟味を中断し、即座に購入履歴を開く。
えっと発送中発送中…『Alter Axiom Online』!?
「…マジか!」
着の身着のまますぐさま開扉。
予想通り、玄関前には段ボールを抱えたドローンが茹だるような熱気を背負って静かに佇んでいた。
俺はソレを受け取るや否や、陽射しに焼き焦がされぬ内にそそくさと中に引っ込む。
「くっそ…サンダル半分くらい溶けてた…」
そして、引き出しの奥に眠っていたカッターを取り出し、段ボールの牙城を切り崩しにかかった。
「『Alter Axiom Online』…そっか、そっか遂に回ってきたか!」
俺は緩む頬を引き締めつつ階段を駆け上がり、緩衝材に包まれていた小箱と共に枕元に放置してあるダイブ用ヘッドセットの元に向かう。
今や宅配サービスはドローンのシェア率が八割を超え、在来線の線路跡を利用した新型リニアが全国的に開通し、AIが医療システムやゲームの運営に携わるような時代。
そんな中、四年前に日本で主に最先端の医療機器やそれに関連するAIを取り扱っている『AI Zetas Axiom Company』…通称『AlZAC』が突如発表したのが、このフルダイブVRMMO『Alter Axiom Online』だ。
当時のフルダイブ業界は一部の廃人がやらかした健康被害だの大手企業(淘汰済)が引き起こした産業テロだの紆余曲折を経て、やっと一般に普及し始めた言わば黎明期。
未だ業界を牽引するようなゲームが存在していなかった事も相まって、『AIZAC』が行った方向性の複線ドリフトは多くの注目を集めた。
…が、あまりに差異がありすぎるジャンルへ手を伸ばしたが故に、
『箱庭療法の応用とかフルダイブ舐めすぎだろ』
『箏の奏者がヘビメタに転向した』
『医者がメスの代わりにゲーム業界の覇権を握ろうとしてやがる』
などと、否定的な意見も数多く見られた。
では、蓋を開けて見ればどうなったかと言うと。
\味覚や嗅覚など五感の完全再現!/
\追求されすぎた自然現象や物理法則!/
\生きているとしか思えない高性能NPC!/
\マジで何でも出来る自由度!/
はっきり言って異常である。
こんな常識を二、三段蹴飛ばすような馬鹿げたクオリティーのゲームが爆発的人気と天文学的売上を叩き出さない訳はなく…ネットで好き放題言っていた人々は悉く手首が捩じ切れるほどに回転させる羽目になった。
そんなAAOのサービスは一年ほど前から始まっているが、技術的問題か運営のこだわりか、未だにダウンロード版が発売される予兆がない(無慈悲)
だから当然の如く品薄。
今回は運良く手に入れられたが、普段であれば通販の在庫なしの表示は動かざること山の如し。
それがこの『Alter Axiom Online』なのだ。
…んな事言ってる内に包装を剥き終わってしまった。
小箱を開封して中身を漁ると、薄い袋に包まれたカセットケースと、簡素な説明書きが一つ。
…あらすじも世界観の説明も全く書いてないのに、不思議とワクワクが止まらないのは何故だろうか。
「質素だなぁ…さすが『AIZAC』」
こう言った広報に無頓着な所も、一般的なゲームとは明らかに異質な経緯で出来上がったのが推し量られる。しらんけど。
俺は早速カセットを挿入すると、エアコンの直射を避けてベッドに寝転がる。
「よし…やるか!」
ヘッドセットの装着と共に電子音が唸りを上げ、視界が暗転した。
* * * * * * * * * * * *
『ようこそ、新たな世界『Alter Axiom Online』へ。』
ザ・ガイド音声といった感じの声が響く。
俺はいつの間にか真っ白な空間の中で、空中に胡座をかいていた。
「見て分かる技術の最先端。」
俺は恐る恐る自分の腕を掴む。
帰って来る触感も見た目も質感もリアルの皮膚そのものだ。ヘッドセットぶっ壊れるでこんなの。
『接続の確立を確認。キャラクリエイトへと移行します。』
「!?」
唐突な効果音と共に現れる、真っ白なマネキンと半透明なスクリーン。
「キャラクリか…」
俺はVR酔対策の賜物である乱回転トゥーループを中断し、静かに展開されているスクリーンに目を向けた。
さてどうしよう。いつもの俺なら適当に細マッチョで済ますんだけど…
「バリエーションが凄いなぁ…一体どれぐらいのデータ量なんだコイツは…」
身長や体型、指の長さまで細かく設定出来る上、目の色や肌の色は合わせると多分200種類は超えている。
「流石にアンバランスな体系は無理、と。」
試しに腕を6メートルぐらいに思いっきり伸ばしてみると、
《このアバターは快適なプレイを著しく阻害します》
と表示され、腕の長さが標準まで縮んだ。
どうやら『AIZAC』はヨガパワーが嫌いなようだ。
コントローラでとは訳が違うとは理解しているものの、この手のゲームで異形アバターが作れないのは少し寂しい。
その代わりにアバターの重心やバランスなどはシステムアシストで最適化されているので、よほど常識を逸脱しなければリアルに動かせるのは有難いが。
「やばいな…ここだけで一日消化しそうだ。」
ここまで細部に目を向けた親切設計なのだから、キャラクリをやり込まない理由は無い…が、人を待たせているので少し急がないと。
「うーん…多分当たり判定も変わるんだよなコレ。チビキャラはリーチが短くなるけどそれはそれで…」
俺は腕の長さや身長を弄り回しながら、試行錯誤を繰り返した。
そして何時間か後。
…急ぐとか言ってる癖に時間かかり過ぎだと思った?大丈夫俺もそう思う。ちょっと反省。
「出来たは出来たけど……どうしてこうなった。」
疲れ果てた俺は満足と呆れが混ざった溜息を吐く。
目の前にあったマネキンは、今や絶世の美少女へと変貌を遂げていた。
俺はまず小回り重視の童顔ショタやスタンダードな細身のイケメンなどを作ってみたが、システムアシストで整えてられても何故かしっくりこなかった。なんか、こう…微妙にのっぺりする。
ならばと試しに美少女を作ってみた所、あり得ないぐらいに出来が良くなった。
皆がやたらと美少女ばかり作るせいでシステムの学習が偏りでもしたんだろう。
…垣間見える人間の業。
身長140センチぐらいの小柄な体形に、透き通る様な蒼眼と絹のように白い柔肌。
残念ながら虹色などの遺伝子に真っ向から喧嘩をふっかけるタイプの髪色は無かったので、青みがかった銀髪にしてみた。
うーん…すげぇ。
人間離れした美貌なのに作られた感が全く無い。 コレが紳士諸君のSEIHEKIを絶えず吸収し続けたAIのなせる技か…
「うーん…これで行くか?」
小さい当たり判定に小回りの効きそうな身体。
見た目と中身の相違はともかく、望むプレイスタイルには十分合致した身体だ。
ネカマはもはやMMOの文化とも言えるし、別にガチで姫ムーブするつもりもないからあまり抵抗はない。ない、が…
……
「…いや、無理だな。」
俺は縦に傾きかけた首を横に振った。
「流石に兄バレすんのはキツい…」
頭の中に初期リスで待ち構えているであろう兄の顔が思い浮かぶ。
もし俺が陸兄の元にこの完全無欠美少女ボディーで赴けば、少なくとも二週間はイジリ倒されるだろう。
うわぁ、めんどくさい未来と殴りたい笑顔が手に取るように見えちまった。あとで目洗わないと…
「よし、作り直す。」
俺はため息を吐くと、スクリーンの左上にあるアイコンに触れた。
《リアルアバターの設定を開始しますか?》
「最初からこっちやっとけばよかったな…」
このゲームでアバターを作る方法は二種類ある。
一つは、マネキンで一から作り上げるキャラクリエイト。
その自由度と可能性については目の前に佇む数時間物の美少女が示す通り。
もう一つは、現実の見た目をベースに作り上げるリアルアバターだ。
こちらは現実の見た目からあまり手は加えられないが、一から細かい設定をする手間が省ける。これを利用する人も割と多いらしい。
因みにリアルアバターを使用しているプレイヤーは『リアリスト』と呼ばれるそうだ。
「リアリスト…逃避先のゲームに現実を持ち込むなってか。」
まぁ、もし飽きたら口直しに美少女アバターを作り直せば良い。多分もう一度作れるだろう。多分。
…ボディパラメーターどんなだったっけ?
俺は再現性の無さという一抹の不安を振り払い、細かな設定を進めた。
『リアルアバターの適用を開始します』
「おし、細部まで余す事なくやっ…」
言質一つ。
返答は眩しい光。
「あっ…ま」
身体中に軽く火傷の様な痛みが走る。
(何だこれ…熱…身体が…)
意識が落ちていく。
ぼんやりと光る泡の中へ、どこまでもどこまでも。