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その一 なぜそれを持ってきた?

こういうこと、皆さんもありましたか?

 


 あれは私が小学二年生の頃。季節は秋の頃、だったと思える週末の土曜日。私は友達二人と家で遊んでいました。


 当時、私の家には水色と黄色の二羽のセキセイインコがおりまして、二階にある親の部屋で、普段はカゴの中に、インコと遊びたくなったらそこから出して指に止まらせて、おはよう、こんにちはと話しかけては返事を待つということをしていた記憶があります。

 名前は付けていなかったと思います。


 習性なのか、止まる指の上に重ねるように、お腹に触れながら指を出すと、はいはい、よいしょ、とそこに登ってくるのがとても可愛く思えました。


 そしてその土曜日も例に漏れず、インコたちをカゴから出して、友達二人と一緒に部屋の中を飛び回るインコを追いかけて遊んでいると、その日に限って開いていた窓の隙間からインコが出て行ってしまいました。ぱたぱたって。二羽ともに。


 あーっと、三人で声を出して捕まえようとしたけど時は既に遅く、ベランダの手摺りに止まっているなと思う間に、インコは二羽とも飛び立って行ってしまったのです。ばざばさって。まさに、フリーダームって感じでした。



 一方の私はフリーダムどころの騒ぎじゃありません。早く捕まえなくてはと、階段を駆け降りる私の慌てようは相当なものでした。

 だって、一階のリビングには飼い主の父がいたのですから。


 その父にインコが逃げたことを告げ、そそくさと帰っていく友達を見送って、早くインコを見つけて捕まえないと悲惨な目に遭うことを、物理的に血を見ることを知っている私の前に立ちはだかる黒くて大きな影がひとつ。もの凄い顔をして怒り狂う父がいたのでした。


 私はさっとその横を通り過ぎて、窓が開いていてね、そこからインコがぁと必死に言い訳をしながら靴を履いて、いざ、虫取り用の網を持って素早く家を出られたらよかったんですけど、てめぇこのやろう、このくそぼけかすがぁと怒鳴り、怒り狂う父に竦んで動けなかったのでした。


 父は血の気が多く好戦的で高圧的、私たち子供が何か父の気に入らないことをするとすぐに手をあげる、機嫌が悪ければそれを隠さず態度に出す人で、その恐怖は小さな頃から私の中に染み付いてしまっていました。


 突っ立ってねぇで早く探してこいと怒鳴られて、私は弾かれるように家を飛び出しました。

 けれど私は、物置きから網を取り出しながら、怒れる父の前から消えることができてよかったと、浅はかにもほっとしてもいたのでした。



 私の家がある住宅地は当時、周囲に畑や林があって夏はクワガタとかカブトムシとかカミキリなんかを捕まえることができたそんなところでした。


 取り敢えず、インコが飛んで行った近くの林がある方へ行こうと早足で歩いていると、おい、どこいくんだと、背後からそら恐ろしい声がしたのです。


 あの顔見たくないなと思いつつも恐る恐る振り向いて、あっちの方に逃げたから行ってくると、逃げるように歩き出し私の後ろをついて来る何か、というか父。もう、生きた心地がしませんでした。


 だって、インコを探しながら後ろの鬼に気を配るという、小学二年生が遂行するにはとてもハードなミッションが課されたのですから。


 そして再び歩き出した次の瞬間、私の太ももの裏に、ばしっと気持ちいい音を出して硬い何かが当たったのです。

 振り向くと、転がったボールを拾う父の姿に私は全てを理解しました。その痛さと怖さに私の目に涙が溜まっていくのが分かりました。


 そうです。正解。それは、B級と呼ばれていた軟式のボール。軟式のボールの中でも硬い部類に入るB級。当てられたももの痛さからしてもそうとしか考えられないB級のボールでした。家にカラーボールが無かったことが悔やまれます。



 いけ。びしっ。

 はい。びしっ。

 探せ。びしっ。

 はい。びしっ。

 鳥はどこいくんだ? びしっ。

 森。びしっ。


 上から順に、父、私と続く会話。その会話をする度に投げつけられるボールの痛さに当然、私は泣いていました。はい。ガン泣きです。


 虫捕り用の網を持ってびーびーと泣く子供が、後ろからついてくる大人にびしびしと硬いボールを当てられながら歩く様は、今の時代なら虐待として確実に通報事案だったと思います。


 けれど、当時の私は父親とはそういうものだと思っていたのでした。

 後に、高校生の頃、友人の父親の話を聞いてまさかそんなと、親と友達の様に話をするなんてあり得ないと衝撃を受けたものでした。




 ばしばしと私のももに容赦なく当たる硬いボールに涙しながら怒れる父を背にふらふらと林へ向かったところで私の記憶は途切れています。その後、どこをどうしてどうなって、その日の残りをどう過ごしたのかも思い出せません。


 どうやら人の脳というものは、本当に辛い体験をするとその記憶を封印して二度と取り出せないように自らの精神を守るものなんだと今は思っています。


 そして、そしてその時の怒れる父が、なぜ軟球を持って来たのか、しかも硬い方、数ある中からなぜB級のボールにしたのか、私には今も謎のまま。なんかもやもやします。


 私が何度かなんでと訊ねても、俺そんなことしてないよと、ボールを投げつけまくったことすら彼の中では無かったご様子です。

 そんなこと記憶に無いだなんて、政治家や官僚も真っ青です。すごくもやもやします。


 インコを逃してしまったことはごめんなさいと思いますが、その腹癒せに敢えてそれを持ってきたのかと考えると、まさかそんなと、いや、でもあの父だしなと悩ましく酷く思えます。もしもそうだったとしたら、自分のことながらとても可哀想で泣きたくなります。





 今は父は鳥が好きだと知っていますが私は当時それを知りませんでした。だから酷い人だなとずっと思っていたのです。


 そしてその何年後かに見つけた父の、使われた形跡のない古い手帳を何気無くぺらぺらと捲っていると何か書かれてページを発見したのです。



 インコ二羽とも元気



 えぇぇ。

 そう走り書きされた文字を目にした時、私はなんで手帳にこれだけ書いておくのと思うと同時に少しだけ、逃しちゃって本当にごめんなさいと申し訳ない気分になりました。


 とは言えあの時の記憶は今も途切れたまま戻っていません。余程の目に遭ったと推測されますが、果たして一体何があったのか。

 当時を思い出すといまだにとてももやもやします。




小さい頃、私はこんなことばかりでした。泣けますね。


読んでくれてありがとございます。

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