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となりにゆうき

作者: もみぃ
掲載日:2009/03/13

『駄目じゃ!スケジュールは変えられん!』

『えぇ…オッサンのケチィ!』

『オッサ…何と失礼な!ワシャ神様じゃぞ!』

『神様なら何とか出来るでしょぉ?』

『仏様に怒られるのはワシなんじゃ。ゴタゴタは嫌いじゃ!』

『ふぅん…俺ぇ、さっき女神様の連絡先教えてもらったんだけどなぁ』

『なっ…何じゃと?』

『女神様ぁ、年上の人が好きだって言ってたぁ』

『…』

『せっかく仲良くなるチャンスなのにぃ。あぁ残念…』

『…どれぐらいじゃ』

『さっすがオッサン!一日でいいよぉ』

『神様と呼ぶんじゃ!』

『ありがとぉ神様のオッサン!』

『えぇい!抱き付くな鬱陶しい!』

 親友が昨日死んだ。

俺の名前は(やま)()(ゆう)()。死んだ親友は(まつ)(もと)(ゆう)()

その日はごく普通の一日だった。朝はいつもの十字路で合流し高校へ。午前中は夢の中を漂い、早弁をさっさと済ませ、午後はゲームや漫画を持って裏庭の卒業記念樹で寛いだ。掃除の時間に生徒指導部のマッチョに捕獲され職員室へ連行。書き慣れた反省の言葉を綴って釈放された。

 何もかもが日常だった。違ったのは、下校が別だった事だけだ。「今日は先に帰ってぇ」と言われた俺は、何も気にせず手を振って教室を後にした。「また明日」と言って。松元に『また明日』が来ないなんて、その時は全く考えもしなかった。

 今朝は霧が濃い。ボンヤリとしているその中を歩く。ポケットに手を突っ込み、そろそろ限界の靴を眺めながら。

「おはよぉ山路ぃ。すげぇ霧だなぁ」

 十字路を過ぎた所で朝の挨拶を交わした。やる気のない制服が俺の隣を歩く。鞄は見当たらない。必要のない物は持ち歩かない主義らしい。まぁ、俺の鞄も財布と携帯電話しか入っていないが。

「古文の小テスト勉強したか?」

 していない事を確認する為に俺は質問した。

「霧で中止になると思ってさぁ」

「なったら九十九円やるよ」

「あと一円ないのぉ?」

「ない」

 なんて会話をしているうちに昇降口に着いた。霧でやけにテンションが高い奴が多数いる。簀の子が軋む音や、子猫の鳴き声の様な下足箱の開閉の音、上履きが廊下や簀の子へダイブしている音がそこら中で響いている。果たし状が入っていたと騒いでいる奴もいる。その呼び出しの方法がまだ現存していた事に驚きだ。

 現存…ん?現存…そう言えば昨日…

 俺が急にズバッと振り向いたので、それに驚き簀の子と廊下の段差に足を取られてバランスを崩す奴がいた。十字路で合流し、今まで会話をしていた相手。そいつは「ギャ」と「ヒャ」の中間の声を発して、遠慮なく尻餅をついた。

「何だよぅ。びっくりさせんなよぅ」

 素の顔が泣き顔。だから本当の泣き顔をすると最上級。ナキガオ、ナキガァ、ナキガスト。

 そんな事はどうでもいい。こいつがナキガストであってもそうでなくても、今ここにいる事がおかしいのだ。脱げた右の上履きが俺の足元に転がっている。それに書かれている名前。

 松元祐樹。

 立ち上がって尻を叩いている松元に、俺は遠慮気味に話しかけてみた。

「松元ってさ、昨日でこれにて終了だったと思うんだけど…」

そうだ。俺は昨日の夜連絡を受けた。松元がトラックとぶつかったんだと。なのに、朝のいつもの自然な流れのせいで、全く違和感なくここまで来てしまった。

「そぉ、昨日で閉店した松元でぇすぅ」

 泣き顔が見せる最大級の笑い顔。両手の人差し指を頬に当て、頭と腰をクネクネさせている。何がそんなに楽しい。

「なら、おかしいと思わねぇの?この状況」

 俺は松元の肩に手を乗せてクネクネを停止させた。あ、触れるんだこいつ。

「え?俺って何かおかしいのぉ?」

 いちたすいちは、にじゃなかった様な顔してやがる。

「だって…昨日お前は…」

「あぁ、死んだよぉ?」

「あっさり言うな」

「だって今更そこで粘ってもしょうがねぇしぃ」

 ニキニキ笑う松元。俺もつられて「ですよね」と笑った。違う、何を同意しているんだ俺は。

「俺が言いたいのはだな…その松元が何故ここにいるかって事だよ」

「えぇっ?俺邪魔ぁ?」

 いちたすいちは、さん。

「邪魔とか邪魔じゃないとかの問題じゃなくてさ…」

 俺は吃ってしまった。要するに今目の前にいるのは、俺が肩を掴んでいるのは、幽霊の松元祐樹なのだ。本人も、自分の死を否定する事なくあっさり認識している。はい、俺は今幽霊です。それが何か?

 朝礼五分前のチャイムが鳴った。久しぶりに松元から視線を逸らし周りを見ると、昇降口にいる生徒達の視線が、全部俺達に向けられていた。全員一時停止。当たり前だ。松元の事を知っている奴ならば不思議で堪らないだろう。

 マッチョがズドンと登場した為に、昇降口の一時停止が一斉に解除された。さすがマッチョ。強力なリモコンである。しかし俺だけマッチョリモコンの範囲外にいたのだろうか。なかなか再生出来ないでいる。バインダーで頭を叩かれて漸く動き出した俺は、松元がいない事に気が付いて、天井に向かってつっこんだ。

「消えれんのかよ!」

 が、マッチョが目を光らせた為、早足で教室へ向かった。

「もう一度訊く。松元、お前は昨日…」

 俺はその後の言葉をどうしても言いたくなかった。現実は受け止めなければいけない。俺が受け取りを拒否したところで、何も変わらないのは分かっているのだが…。

「だから死んだってばぁ。今日告別式ぃ」

 両手の人差し指を頬に当て、頭と腰をクネクネするポーズ。松元はテンションが高い時によくこれをする。

「是非お越し下さいませぇ」

 だから何がそんなに楽しい。

 あれから、マッチョに尾行されながら教室に入った。一瞬で静まるクラスの奴ら。重たい空気。俺が机に鞄を投げ椅子を跨いだ時、「大丈夫?」と後ろの奴が訊いてきた。

「ああ、平気平気」

 さっきまで喋ってたから、という言葉を省いて俺が答えると、「ほんと?」と他の奴。「無理すんなよ」「ゆっくりでいいと思うから」と周りが口々に言う。

「いい奴らだよなみんなぁ」

 お前、いつ来た。そして今まで何処にいた。松元が半穴で俺の机に体重を預けている。

 俺は少しにやつきながら集まって来た奴らにこう言った。

「昨日の知らせは忘れた方がいいぞ」

 間。「そりゃ忘れたいけど…」誰かの相槌。これはかなりのリアクションが期待出来そうだ。と言うか、何故目の前の松元にみんな気付かないのか。

「見ろ、ご本人の登場だ」

 俺は立ち上がって松元を指差した。指された本人はびっくりして、指で作ったバツ印を口元で必死に前後させる。何が駄目なんだ。こんなに堂々と現れている癖に。俺はそんな松元の肩に手を乗せ、新入部員を連れて来たみたいに言った。

「まぁ、これからも仲良くしてやってくれ」

 間。先ほどよりも長い。松元は、わちゃぁとナキガストになっている。

 続く間。ノリが悪いな。幽霊が教室にいるんだぞ。もっと騒いだらどうなんだ。漸く返って来た返事も、「山路、本当に大丈夫?」「ちょっと休めよ」「先生には言っておくから」だった。俺が求めたのはそんな言葉ではなかったのに。

 俺はその意を込めて松元を見た。松元はナキガストのまま言った。

「みんな俺の事見えてないんだよぉ」

 俺も間。頭には、松元が見えてない奴らの視点での自分の行いがリプレイされた。

 十字路で急に独り言を言い出す俺。

 昇降口でジェスチャー付きで笑ったり困ったりしている俺。

 教室でいきなり立ち上がって何かを指差し、空を掴んでこれからも仲良くと発言している俺。

 松元が言った事が本当で、朝からの俺の行いがみんなに広まっていたのならば、そりゃあ「山路、本当に大丈夫?」である。

「そういう事は早く言え!」

 俺は松元に向かって怒鳴った。みんなが呆気に取られる。またひとつ、大丈夫?な行動を増やしたが、恥ずかし過ぎて気にする余裕なんてなかった。松元の襟首を掴み、入って来た担任と入れ違いに教室を飛び出した。俺を引き止めようとした担任を、クラスの奴らが優しく引き止めた。「今はそっとしてやって下さい」と。もう何とでも言ってくれ。

 そして今俺達は裏庭にいる。十数年前の卒業生の記念樹を背凭れにして、俺と松元は並んで立っていた。職員室から死角になるこの記念樹の付近には、煙草やいかがわしい雑誌の切れ端が沢山落ちている。俺達も含め、ここでマッチョに捕獲連行されていく奴らが多発している。

「じゃあ、松元がこの世の人間じゃなくなったっていうのは、現実なんだな…」

 俯いた俺をヒョコッと見た松元は、

「この世の0Bになっちゃいましたぁ」

 とクネクネしたが、俺のノリが悪いのを察し、「うん」と頷いた。

「けどさぁ」松元が言葉を続ける。「こうなっちまったもんはしょうがないしぃ、ジタバタする気もないしぃ」

「じゃあ何故ここにいる?」

「えぇっ?いたら駄目ぇ?不都合ぉ?」

 俺はこの反応とナキガストを見たくて、わざとこの質問をした。心の中で軽く謝り、

「理由があるなら教えてくれ」

 としゃがみながら訊いた。

 ビーズクッションの様な風が吹き、雑誌の切れ端が散歩する。

「理由は手紙ぃ」

 松元も答えながらしゃがむ。そしてズボンのポケットを探り始めたが、「あれぇ?」と首を傾げた。

「はぁ…その手紙忘れてきたぁ」

「忘れたって、何処に?」

「駅ぃ」

「駅?そこのか?」

 俺は駅がある方角を指差した。松元は手紙とやらの捜索を止めないまま首を横に振る。そして「そこのぉ」と上を指差した。松元の指の方向につられ、俺は空を見る。

「空に電車は通ってないと俺は認識してるんだけどな」

 半笑いで言った俺に、松元はニキニキ笑いながら答えた。

「それがあるんだよぉ。天国行きの電車だぜぇ。雲みたいにフワフワでさぁ。運転手は長ぁい口髭が立派な神様のオッサン」

 何やらよく分からない世界の話である。

「神様のオッサンに席に案内された時に思い出したんだぁ。手紙渡せてないってぇ。だからお願いして乗る電車を後のにしてもらったぁ」

 急用で待ち合わせ時間を遅らせてもらったみたいなニュアンス。俺はそれがおかしくて少し肩を震わせた。

「へぇ…遅刻は何時まで許されてるんだ?」

「告別式までぇ。それに乗らないと仏様のスケジュールが狂う事になって怒られるんだってさぁ。仏様って親の七光りでぇ、神様のオッサンも頭上がらないんだってぇ」

 俺は遂に吹き出してしまった。何だその御伽噺は。

 松元は至って真剣に話していたが、俺が笑っているのを見て一緒にニキニキ笑い出した。

「美人だけど太ってる女神様もいるんだぜぇ」

 神様がその女神様に恋をしていると聞いて、俺の腹は更に攣る。

「…で、肝心な手紙とやらはやっぱりねぇの?」

 松元は頷き、再びナキガストとなって途方に暮れていた。余程大切なものだったらしい。

「松元、迷子ポケットは?」

「あっ!」

 迷子ポケット。制服のポケットの底は破れやすく、そこから迷い込んだ私物達は、生地と薄い内生地の間を彷徨う破目になる。ブレザーの内ポケットに住んでいる生徒手帳が一番被害に遭いやすい。

「あったぁ!よかったぁ」

 松元のブレザーの迷子ポケットから取り出されたのは、ほんのり桜色の封筒。と、少し遅れてほんのり緑色の封筒。覗き込んで見ると、桜色の封筒には『祐樹くんへ』と書かれている。遠慮がちにハートまで。

「何それ?ラブレター?」

 松元は二キッと笑う。

「そぉ。昨日帰る時に机に入ってるの気付いてさぁ。んでぇ、こっちがその返事ぃ」

 桜色が貰ったラブレター。緑色が松本が書いた返事だそうだ。

 松元から「読んでみてよぉ」と桜色を受け取った。「いいのか?」と訊いたが、松元は返事をせずに迷子ポケットの状態を検査している。

 俺はそっと手紙を開いた。

『好きです。

 もしよかったら、付き合って下さい。

 いきなりごめんね。』

 風が吹いたら飛んでしまいそうなペン字。しかし整っていて読みやすい。文章は特にひねる事なくストレート。差出人の気持ちが直球で伝わってくる。

俺は、春の日差しに包まれた雪だるまの気分になった。心地よく溶けていきそうだ。

 桜色に浸っている俺を見た松元は、プヘッと吹き出して足をバタバタさせた。我に返った俺は、あつあつの頬を腕で覆った。他人宛のラブレターで何やってるんだ俺は。

「…んで、お前の返事はマルだったわけ?」

 松元はニキッと笑った。さっきからずっとニキニキしっぱなしだな。

「その日中にちゃんとしたかったから手紙持って道ダッシュしてたらぁ、十字路でトラックとドカーンだよぉ。俺初めて空飛んだなぁ。空中で回転して体操選手の気分だったよぉ。けど着地は失敗…」

「それ以上言うな」

 ニキニキにクネクネを加えながら自分の最期を語った松元。お前、よく平気だな。一気に現実に引き戻されてしまったじゃないか。

 俺の言葉に、松元はさすがにクネクネは止めた。

「…したけどぉ、手紙は守ろうと思って空飛びながらポケットにしっかり入れたからぁ、この通り無事でしたぁ」

 我が命よりラブレター。優先順位間違えてないか?よっぽど受け取った手紙が嬉しかったのか。まぁ、そうだな。第三者の俺でも溶けかけの雪だるまになったぐらいだ。

 松元の意図が大体予想出来てきた。

「それでなぁ、山路にこの返事を渡してもらいたいんだぁ」

 ビンゴ。

「なぁ、いいだろうぉ?返事さえ渡せたら満足なんだぁ。俺の最後のお願いだよぉ」

 最後のお願い。胸にグッときてしまう。

「よし任せろ。で、相手は誰?」

「ほんとぉ?」

 松元はクネクネしながら立ち上がり、桜色の差出人を発表した。その名は、俺の中で一番登場して欲しくなかった人物を指していた。

「同じクラスの()()()さんだよぉ」

 一年前、俺達の入学式が終わった。俺と松元は並んで欠伸をし、重たい足を何とか動かして教室へ向かっていた。どうすればこの眠気を取り去る事が出来るだろうか。だが、直後にそれはすっかり取り去られ、足は風船の様に軽くなった。俺達の目の前を歩いていた女子集団の一人が上履きを誰かに踏まれ、それを中腰で直し始めたのだ。新雪より純粋な白が見え隠れする。俺と松元の視線に気が付いたのか、その子はハッと振り向いた。それが喜多野さんだった。「絶対見たでしょ」と顔を真っ赤にしてスカートを押さえる。その姿がとても可愛く、俺の心をしっかりと掴んだ。

 恋のきっかけなんてこんなものだ。喜多野さんの恋もこの時始まったのだろうか。「何を?」と惚ける俺の横で、「何ってぇ、パンツの事だよなぁ?」と、逆に喜多野さんに訊き返す度胸の持ち主の松元へ。

「山路君ごめん。私…それ受け取れない」

 ふられた。正確に言うと、松元の書いた手紙がふられた。俺がふられたんじゃないぞ。

 昼休み。俺は記念樹の煙草やいかがわしい雑誌の切れ端を全て掃除した。途中マッチョに見付かり、握手を求められ右手を痛めた。マッチョの協力もあってかなり綺麗になったこの場所に、喜多野さんを呼び出して緑色の手紙を差し出した。その返答がこれだ。両手で持っている緑色が虚しく風に揺れる。

「え?喜多野さんが松元に書いた手紙の返事だぜ?」

 早く受け取ってくれ。事情を知らない奴が見たら、俺は完全に告白を断られた男として捉えられてしまう。

「違うの…」

 喜多野さんはおでこに手の甲を当て、バツが悪そうに俺を見る。「よりによって何で…」

 俺は怒られているのか。それは松元にしてくれ。松元が昨日空中回転なんかするから、俺がこんな目に遭ってるんだぞ。

 俺は後ろにいる松元を睨んだ。…がいない。お前は都合が悪くなると消えるのか。どうせ俺にしか見えてないんだから、その行動は意味が無いって事に気付け。

「私がね…」喜多野さんが涙ぐみながら言う。「私が手紙を渡したかったのはね、松元祐樹君じゃなくて…山路祐樹君だったの…」

 グゥワーンッと言う声が聞こえた。俺と喜多野さんがいる記念樹の二つ隣の木。そこにいたのか。ナキガストの松元は、あの時の喜多野さんの純粋な白より真っ白になり、左右に青緑の火の玉を沢山飾って浮かんでいる。漸く幽霊に見える姿を披露してくれた。

 そんな松元の姿と喜多野さんの言葉で混乱した俺は、よく分からない声を出していた。裏返った声で「はい?」と「蝿?」の中間を。

 喜多野さんの事情説明が続く。

「二人って、同じ名前だし席隣どうしでしょ?私、一列間違えて手紙入れちゃったの。封筒には名前だけで苗字書かなかったから、絶対勘違いされちゃうって思った。でも、それに気付いたのが昨日の夜だった。だから今日、松元君に事情話して謝って、手紙返してもらうつもりだった。でも今日の朝訃報聞いて…」

 今の話が俺の空耳でなければ、喜多野さんは俺宛に手紙を書いてくれた事になる。あの春の日差しの手紙を。俺の好きな人。純粋な白。夢ならば今の内に覚めてくれ。早い方が落胆が僅かだが少ない。

「あの…喜多野さん…じゃあ俺の事…」

 俺は恐る恐る確かめる。

「うん…でも…こんな私の事なんか嫌いだよね?」

「好きです」

 即答。ずっと伝えたかった言葉だ。

 俺と喜多野さんは暫く見つめ合った。天使達が俺達の周りを飛んで祝福している。薔薇の蕾が開花。白馬が馬車を曳いてやって来た。俺達はそれに乗る。青空と真っ白な雲の中を飛ぶ。天使達が薔薇の花弁を撒きながらついてくる。

 喜多野さんが俺の手を握って微笑んだ。

「ありがとう。よろしくね」

 雪だるまはすっかり溶けた。春だ。

『サヨナラ』

 記念樹にこの文字が刻まれ大騒ぎになった。見付けたのは五時間目をサボっていた奴ら。赤褐色の文字が不気味過ぎてマッチョに通報。よって六時間目は、マッチョがひとクラスずつ事情聴取をして回っていた。

 俺に春が来たあの時、後ろでは夏や秋を通り越して冬が来ている事に気が付いた。しまった。喜多野さんを呼び出した本来の目的を忘れていた。俺は喜多野さんにばれない様に、ゆっくりと背後を確認する。中身のない松本が風に揺れていた。もうナキガストどころではなく、色は白ですらない。透明。その透明がどんどん薄くなっていく。そして消えた。しかし沢山の火の玉達はまだ残っていて、俺達の記念樹へ移動して来た。俺達を囲んでぐるぐる回り始める。

 後悔と恐怖でパニックになった俺は、「もうすぐチャイムが鳴る」と喜多野さんを教室へ誘導した。要するに逃げた。恐る恐る振り返って見ると、火の玉達は記念樹の周りを虚しく漂っていた。『サヨナラ』が刻まれたのは恐らくこの直後だろう。

 松本の告別式にはクラス全員で行った。けれど俺は、どうしても焼香する事が出来なかった。松本もしてほしくないだろう。こんな裏切り者に。クラスの奴らは、まだ現実を受け止められないのだろうと同情してくれた様で、俺が列を脱け出しても何も言わなかった。

 すっかり暗くなった記念樹の前にはマッチョがいた。腕を組んで仁王立ちしている。騒ぎの犯人が夜にも現れると思ったのか。今見付かれば確実に疑われてしまう。俺は二つ隣の木からそっと様子を窺った。

 昼休みに見た火の玉達が、マッチョの頭や肩に乗って揺れている。左右の胸に引っ付いて揺れているのや、股の下を潜って遊んでいるのもいる。更にチビ助の火の玉達が集まり、マッチョの頭上で何やら作り始めた。数秒後、出来上がったのは『マッチョはじめました』の文字。俺は堪え切れず吹き出してしまった。「誰だ!」と素早く叫んだマッチョは、俺がいる木と全く反対方向へ走って行った。

 俺はマッチョを見送り、少しよそよそしくなった火の玉に囲まれながら、記念樹を背凭れにしゃがんだ。

 声が聞こえた。

―山路が急に抜け出したから俺も抜けて来たよぉ

「時間大丈夫なのか?」

 俺が訊ねると、文字を作っていたチビ助の火の玉達がひとつになり、隣に着地した。

―電車が事故で遅れてるんだってさぁ

「そうか」と俺は笑った。

 間。無言。言うべき事が沢山ある筈なのに言葉として纏まらない。どうすればいいのだろうか。

 その無言の時間を遮ったのは、松元だった。

―これ受け取ってよぉ

 隣の火の玉が、何かを取り出そうとしている様に見える。しかし「あれぇ?」だ。

「迷子ポケット」

 俺がそう言うと火の玉は「あっ!」と飛び上がり、無事に見付け出せた様だ。

 火の玉が器用に持っているのは、ほんのり桜色の封筒。

―山路宛なんだから山路がちゃんと持ってなくちゃぁ

「でも…」

―他の奴じゃなくてよかったぁ

 中々受け取らない俺に、松元が催促する。

―早くぅ、燃えちゃうよぉ

 案の定、やっと受け取った手紙は左下が少し焦げた。もしも喜多野さんにこれが見付かったら、何て説明しようか。

―あ、電車来たぁ。ちょっとしか遅れてないのに、神様のオッサンあんなに謝ってるよぉ

「そうか」俺は再び笑った。

 記念樹と俺を囲んでいた火の玉が段々とその数を減らしていく。俺はそれをボンヤリと眺めていた。

―出発進行ぉ

 松元の声が響く。ナキガストになってなければいいな、と俺は思った。

―まぁたなぁ、山路ぃ

 結局俺は何も言えなかった。

「またな…松元」

 これが見送る精一杯の言葉だった。

 最後まで残っていた足元の火の玉が、クネクネしながら消えていく。

「またな…松元」

 俺はもう一度言って立ち上がり、告別式へ戻った。

「これは松元からの喜多野さん宛の手紙だから、喜多野さんがちゃんと持っていてほしい」

 漸く俺は、松元の手紙を喜多野さんに渡す事が出来た。火の玉でいっぱいだった昨日とは打って変わって、今日は至って普通の記念樹。『サヨナラ』の文字ももうない。一番首を傾げていたのはマッチョだった。

 頷いて手紙をそっと受け取った喜多野さんは、お菓子に付いているオマケを開けるみたいな笑顔で封を切る。

 見ていいのか駄目なのか分からなかった俺は、見てない、と主張出来る程度の横目で覗いた。…が、読めなかった。松元は字が汚くて有名だ。喜多野さんも解読に苦労していたが、その内クフッと笑い出した。そして俺の目の前に手紙を差し出す。「ここ見て」

 今度は俺が手紙をそっと受け取る。中身はアラビア文字だ。よく訳せたね喜多野さん。

 ここ、と喜多野さんがある文を指差す。目が慣れてきた様で、アラビア文字が漢字と平仮名に変身していく。

『…とまぁ、花粉の話はこれくらいにしておいてぇ』

 何故ラブレターの返事で花粉の話題になる。俺は喜多野さんを見たが、「まぁまぁ、その次だよ」と笑って先を促された。

『最後に一言ぉ。喜多野さん、山路の机の中はもっと汚いからねぇ。お幸せにぃ。』

 喜多野さんが空を見上げて言った。

「松元君、分かってたんだね…。私が机間違えた事…」

 

 松元の言葉が蘇る。

「その日中にちゃんとしたかったから手紙持って道ダッシュしてたらぁ、十字路で…」

 ダッシュの先は俺の家?

「手紙は守ろうと思って空飛びながらポケットにしっかり入れたからぁ、この通り無事でしたぁ」

 やっぱり優先順位間違えてるよ松元。

「他の奴じゃなくてよかったぁ」


「大丈夫?」

 喜多野さんがそっとハンカチを差し出してくれた。

「あ、飛行機雲…」

 喜多野さんが呟く。目が滲んでいた俺には、それが二本のレールに見えた。


「あれ?何これ?」

 足元に落ちている紙を喜多野さんが拾った。いかがわしい雑誌の切れ端ではないかと俺は慌てたが、覗いて見ると、それには数字が記してあった。ハイフンがあって電話番号の様に見えたが、こんな市外局番は見た事がない。

 ふと、紙の端が少し焦げている事に気が付いた。俺は思わず吹き出してしまった。首を傾げる喜多野さんからその紙を受け取り、空に向かって高く揚げ、大きな声で叫んだ。

「松元!忘れ物!」

『このワシを騙しおったな!』

『違うよぉ神様のオッサン…本当に教えてもらったんだってばぁ』

『ならばさっさとワシにも教えんか!』

『だからぁ、書いてもらった紙がないんだってばぁ』

『出鱈目ばかり言いおってこの小僧が!』

『本当だってばぁ…あっ!もしかして迷子ポケットかなぁ?』




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