後の事
養父様とオスカー様は任務が忙しいらしく、お二人と会えるのは目覚めてから7日後になるとのことだった。
目覚めてから3日後には身体の調子もだいぶ良くなっていたので、その期間はレイ達とお茶をしたり、クランブルック公爵邸で貰ってきたお母様の本を読んだりして過ごした。
「……ふぅ」
パタン、と本を閉じて一息つく。薄紫色の本をテーブルに置いて、お茶を一口飲み込む。
テーブルには、先程読んでいた1冊の他に、深緑色と茶色の表紙の2冊が置かれている。
――クランブルック公爵のご厚意で頂いたお母様の本……先に読んだ2冊はいずれも神話の零れ話の蒐集本だった。これはこれで興味深かったけれど、これは……。
薄紫色の本を裏返す。表紙には、≪失われた時代と忘れられた神々≫と題名が書かれている。
今の歴史の通説では、失われた時代は政治が乱れたことによる内乱の頻発と未知の疫病の流行によるものが大きな要因とされているけれど、この本曰く、失われた時代は神々の戦争が行われていたというのだ。
神々の戦争は長きに渡り、結果として今現在シアンファテオ12神として崇められている神々が勝利した。
敗北した神々は力を封じられ、神々の世界から追放されたことでやがて人々の記憶から忘れ去られた――そんな戦争があったから、地上でも数多の混乱が起きて、そのさなかで活躍したアメリア様が初代ウルラとなった、というのがこの本の唱える失われた時代の真実だった。
大きな齟齬は見られないし、説得力も十分ある……なんでこれが普及していないのかが不思議なくらいだ。ご丁寧に敗北した神々に関しても記述があるし……と再び頁をめくろうとしたところで、ラミウムに声を掛けられた。
どうやら養父様とオスカー様が到着されたらしい。開きかけた薄紫色の本を閉じて、私は自室を後にした。
「思ったよりも元気そうで何よりだ、クラリッサ」
「ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした、養父様……オスカー様も」
「クラリッサ嬢がいなくなって焦ったり、戻ってこられたと思ったら倒れられたり、あの時は寿命が縮まる思いがしましたが、ご無事で何よりでした」
もう一度「ご心配をお掛けしました」と頭を下げると「ご無事ならよいのですよ」と言って微笑んでくれた。
「――さて。ユリアナから話は聞いたが……記憶が戻ったそうだな?」
「はい」
「そして、其方とリーストエル侯爵夫人を襲った犯人がフェリーチェだったと」
「……お母様の姿越しに声を聞いただけですが、おそらくは」
私の言葉に、「ふむ」と養父様が顎を撫でる。右手を顎に添えたまま、隣に座るオスカー様に視線を向ける。
「オスカー、どう思う?」
「……現実的に考えれば、不可能です」
「そうだよなぁ」
頭を掻きむしりながら、養父様は再び私に視線を戻した。
「クラリッサ、他に何か事件に関して思い出したことは?」
「そうですね……お母様の誕生季祝いの準備をしていたら、急に爆発音が聞こえて……お父様が急いで私を地下に連れて行ったんです。『こちらから開けるまで、決して出てこないように』と言い残して……1人寂しく待っていたらお母様が来てくれたけれど……」
「結局、ジャスミンは負けてしまった、か」
私の言葉を引き継いだ養父様に、私はこくりと頷いた。
「そうか……やはり解せんな。いくら護衛が少数だったとはいえ、連れていたのは優秀な者たちだった。まして、リーストエル侯爵とウルラであるジャスミン様がいたにも関わらず、それを当時13歳だったフェリーチェに、どうして倒せよう?」
場が沈黙に包まれる。誰も、その問いに答えられる人はいなかった。
「……とりあえず、フェリーチェについて調査はするとしよう。其方が記憶を取り戻し、多少なりとも事件当時のことがわかったのだから、確実に前進してはいるのだ。そう暗い顔をするな」
養父様が大きな手を私の頭にのせて撫でる。「はい、ありがとうございます」と答えると、満足そうに笑った。
「では、私は王都に戻る。調査計画を組まねばならんからな。……後の事はオスカー、頼むぞ」
「かしこまりました」
手を振りながら部屋を後にする養父様と、それを見送るオスカー様を眺めながら、私は首を傾げる。
……後の事って?
養父様の姿が見えなくなると、オスカー様がこちらを向いた。
「――さて。それではクラリッサ嬢、外に出ましょうか?」
「はい?」
前を歩くオスカー様の背中を追って、クロスフォード公爵家の庭園を進む。開けた一帯まで来たところで、オスカー様が振り返って微笑んだ。
「この辺でいいでしょう。クラリッサ嬢、何か適当に魔術を発動してください」
「あの、オスカー様? 話が全く見えないのですけれど……何故こんなところに? あと、適当に、って言われても困るのですけれど……」
戸惑いを隠せない私に、オスカー様は質問には答えずに微笑んだまま「口で説明するよりも実際にやってみた方がわかるかと思いますので」とだけ返事した。
一体何なのかしら……これ以上話すつもりはないみたいだし、魔術を使うしかなさそうね……。
説明を求めるのを諦めた私は大人しく右手を前に出す。庭園にいる以上、草花を痛めるような魔術は使えないし、なら水やり程度に水属性の魔術にしよう、と呪文を口にした。
「えっ――?」
呪文を口にした途端目の前の辺り一帯が水びだしになって、私は目を白黒させる。
な、なんで?
土が湿る程度でいいかしら、と思っていたはずなのに、湿るどころか洪水の様相を呈している光景に固まっていると、オスカー様が「ご理解頂けましたか?」と声を掛けてきた。
「オ、オスカー様……これは一体?」
「ご覧の通りです。クラリッサ嬢は気づいておられないようでしたが……身体から魔力が漏れ出てるのですよ、今の貴女は。それほどの膨大な魔力を急に得てしまっては魔力操作がうまくいかずに魔術が暴発するのは必然でしょう?」
オスカー様の言葉は最初から最後まで仰る通りで、私は「その通りですね……」と頷く。
「ですので、先程師団長から貴女の魔力操作の特訓任務を仰せつかりました。ご理解頂けましたか?」
「あ……は、はい……宜しくお願い致します、オスカー様……」
後の事、ってそういう事だったのね……とやっと理解しつつ、私はただでさえ忙しいオスカー様に再びお世話になることになってしまった事実に申し訳なさを感じて、ただただ頭を下げるしかできなかった。




