フィトゥニール
マリエルとパトリチィアを呼びだした日から3日後の木の日。私は久々にプラーティ先生の研究室に顔を出した。
「失礼します」
俯きながらそう挨拶して顔を上げると、既に他のメンバー4人は揃っていた。奥には柔和に微笑むプラーティ先生もいる。
「よぉ、クラリッサ嬢。久しぶりだな! さっそくだが、これを見てくれ!」
意味ありげにこちらを見つめて微笑むマリエルとパトリチィアに微笑み返しながら、リオ兄様とゲオルク様に近づく。2人の手元には金属製の箱と、魔法陣が描かれた羊皮紙。
「もしかして――完成したのですか?」
私が目を輝かせながら問いかけると、リオ兄様が「まだだよ」と言いつつにやりと笑う。
「ほぼ完成ではあるけどね。あとはこの魔法陣を起動させて加護をその箱の魔石に付与するだけだ。新緑祭とかでバタバタしてちょっと遅れたけど、先日やっと魔法陣が完成してね。せっかくなら、クラリッサがいるところで魔術具を完成させたいと思って、今日まで待ってたんだ」
羊皮紙の上に覆いかぶさる勢いで魔法陣を眺める私の横で、リオ兄様がそう説明してくれた。その説明を聞いて、私は顔を勢いよく上げると、隣のリオ兄様の左手を手に取る。
「私のために、わざわざ待っていて下さったのですか――? ありがとうございます! では、早速完成させましょう!」
「う、うん。そうだね」
若干引かれた気がしたけれど、そんなことは些細なことだ。酒の神の加護を付与するという、見たことの無い魔術具の完成に立ち会える。その素晴らしさに、私は心が浮き立って仕方がない。
じゃあ早速やるか! とゲオルクが気合を入れ、広げた羊皮紙の魔法陣の中心に金属製の箱を置いた。蓋の真ん中には、黄緑色の宝石がはめられている。その宝石を覆い隠すように、リオ兄様が大きめの葉っぱを置いた。
「よし、じゃあやるか!」
「うん」
魔法陣に手をついたゲオルクとリオ兄様が瞼を閉じる。2人は静かに息を吐くと、同時に呟いた。
「「――アムレートゥム」」
魔法陣から淡い光が溢れてくる。光は真ん中に置かれた金属製の箱に向かって集まっていき、箱の上に置かれた葉はいつの間にか見えなくなった。光が収まると、葉の下に隠れていた黄緑色の魔石が光は全て吸収した、と言わんばかりに輝いていた。
「で、できた……」
「完成だっ!」
完成の感動で勢いよく立ち上がったリオ兄様とゲオルクががしっと抱擁を交わす。その様子を微笑ましく眺めていると、お二人の向こう側から「私達も負けてられないわね」というマリエルの声が聞こえてくる。
「悪いな、俺らは先に一抜けだ」
リオ兄様との抱擁を解いたゲオルク様がそういってニヤリと笑う。
「別に早さを競ってなんてないでしょう? それに、まだまだ研究発表会に向けてやることは残ってるわよ」
呆れたようにマリエルがそういうと、うんうん、とリオ兄様が力強く頷く。ゲオルク様の笑みは「ははは……」と苦笑いに変わっていた。
「……リオ兄様。研究発表会に向けて、他に何をするのですか?」
魔術具の完成以外に、何をするのだろう。と不思議に思った私が訊ねると、着席したリオ兄様が「えっと……」と呟きながら右手を広げた。
「この魔術具の量産は絶対だね。この魔術具の有用性を証明するために、期間を分けて最低でも5つは予め作成しておいて、素材を入れて封じておかないと。それから研究発表会までにもっと簡単な魔法陣にできないかとか、魔石を使わずに作れないかとかの改良を進めたり、他の触媒での実験をしたり、ってところかな?」
指折り数えている様子を見ながら、「まぁ何はともあれ完成して一安心だな」と言ったゲオルクに、「そうだね」とリオ兄様が目を細めながら答えた。
「ところで、2人とも。この魔術具の名前は考えてあるの?」
パトリチィアの質問に、ゲオルクとリオ兄様が固まる。
「名前か……全然考えてなかったな」
「どうしよっか……クレア、どう思う?」
急に話題を振られて、私は思わず困惑する。
「私ですか? これはリオ兄様とゲオルク様の魔術具なのですから、お二人が考えてください」
断ったのも束の間、ゲオルクまで「いや、むしろクラリッサ嬢が決めた方がいいだろ」と言い出した。
「ゲオルク様まで……」
「無理に、とは言わないけど。この魔術具はクラリッサ嬢が酒の神について調べてくれたおかげで完成したようなものだ。研究発表会で出す以上、作者として名前が出るのは俺とエリオットだけだけど……実際はそうじゃない。ならせめて、クラリッサ嬢に名前を付けてもらいたい」
「うん、僕もそう思う」
2人からそう言われて、私は先程完成した魔術具に目を移す。こう言われてしまっては断り辛い。
「そう言われても……名前なんてぱっと思いつくものじゃないですよ……」
「まぁまぁ、難しく考えなくてもいいから。何か思いつかないかい?」
難しく考えるな、と言われても、私が言った名前が今後使用されるのであれば、下手なことは言えないのだから、考えないわけにはいかない。
保存する魔術具……植物でしょ? んー……。
「……簡潔に、植物保存庫――“フィトゥニール”でどうですか?」
考えてはみたものの、急すぎてあまり思いつかない。仕方なく、魔術具から連想される古語をくっつけて造語にしてみた。
「フィトゥニール……いいんじゃないか?」
「うん、僕もいいと思う」
「そんな簡単に決めちゃっていいのですか……?」
「いいんだよ、クラリッサ嬢が考えてくれた名前なんだから」
「そうそう」
「じゃあ決まりだな!」
ゲオルクとリオ兄様がパンッと手を合わせる。こうしてお二人の魔術具の名前は“フィトゥニール”に決まった。
その様子を微笑ましそうな顔で眺めていたプラーティ先生が口を開く。
「うんうん、“フィトゥニール”は僕もいいと思うよ。――さて、これからアピアーナの葉をもっと使うんだろうから、僕のお手伝いをしてもらおうかねぇ?」
ほっほっほっ、と笑いながら、プラーティ先生が2人に植物園の手入れを依頼する。植物園から触媒であるアピアーナの葉を採取している手前断ることもできず、2人は大人しく頷いて植物園へと向かっていった。
「――さ、うるさい男どもが外に行って静かになった今のうちに魔法陣を完成させちゃいましょ」
ゲオルク様とリオ兄様を見送る私の後ろでマリエルがそういって、「そうね」とパトリチィアが返事する。振り返った私に「クラリッサ様、ここ、どう思う?」とマリエルが魔法陣を指差した。私はその指差す先に目線を送る。
「……四角で季節を表現しているのは悪くないと思います。なら、頂点を結ぶように円を描いては?」
「円?」
「はい。季節はそれぞれ独立したものではなく、移り変わり循環するものですから。それを円で表現すると、魔力の流れが綺麗になるかと」
私が指で描いた魔法陣を、すかさずパトリチィアが羽ペンで描き足していく。
「なるほど、たしかに。なら、ここはこうして……」
「じゃあ、こっちはこうね」
私の一言が起爆剤となったのか、少しちぐはぐな印象を受けた魔法陣が2人の手で洗練されていく。シュッシュッ、という羽ペンの走る音を聞きながら2人が魔法陣を改良していく様子を眺めていると、パトリチィアが木札を取り出し何かを書き始めた。
「クラリッサ様、申し訳ないのだけど、お使いを頼んでもいいかしら? この感じだと、もうすぐ魔法陣完成できそうだから、起動まで今日中にこぎつけたいの。植物園から、触媒にする予定の植物を採取してきてほしいのだけど」
「構いませんよ。木札、お借りしますね」
パトリチィアが差し出した木札に目を通し、立ち上がる。植物園に通じる扉に向かおうと部屋の奥を振り返ると、プラーティ先生がこちらを見てにこりと笑った。
「……プラーティ先生?」
「いってらっしゃい。――ついでに、僕の欲しい植物も採取してきてもらえるかな?」
そういって、プラーティ先生は木札に書いた素材表を私に差し出す。
……このお人は、本当に人を使うのが上手いというかなんというか……。
歪な笑みになりそうになるのを必死にこらえ、はぁ、と小さく息を吐いた私は「かしこまりました」とだけ言ってプラーティ先生からも木札を受け取った。




