手続き
「失礼致します」
3の鐘が鳴ってすぐ、リリーが起床を知らせにくる。
「おはよう、リリー」
「おはようございます、クラリッサ様。…………ってえぇ!? クラリッサ様!? あの寝起き最あ……じゃなくて朝の弱いクラリッサ様が既に起きてらっしゃるなんて何事ですか!?」
……今、「寝起き最悪」って言わなかった? この子。
でも、起きるのが苦手で中々起きられないのは事実だから何も言えないか……。
リリーの失言は気にしないことにして、支度しやすいように移動する。
「寝入りは良かったのだけど、途中で目が覚めてしまって、そのあと寝られなくて」
「そうでしたか……今日は養子縁組、そして明日からはオスカー様とのお勉強も開始ですもんね。寝不足でお体辛くはありませんか?」
「……大丈夫。今日の予定は養子縁組の手続きだけでしょう?」
「おそらくは。クラリッサ様の支度が終わったら、ラミウムが来てくれますから、その時に予定を確認して下さると思います」
そんな話をしていると、マロウとシスルも朝の支度にやってきて、私はあっという間に3人の着せ替え人形と化した。
「マロウ、クラリッサ様はお体が小さいから、こちらのレースがたっぷりついたモスリンのドレスがお似合いになるんじゃないですか?」
「そうね、色もローズピンクで今のお年頃にぴったりですし、ではドレスはそれにしましょう」
何着もドレスをあてがわれて、やっとマロウとシスルの中でドレスが決まったらしい。
どれでもいい、と言ったら「良くありません!」と2人に息ピッタリで指摘を受けた上に、「ドレスや装飾品を見定める目も養わなければなりませんね………奥様に相談しましょうか」という言葉まで貰ってしまったので、私はされるがままにすることにした。
ただでさえ3年分の空白を埋める勉強をこなさなくてはいけないのに、余計なことを言ってさらにやるべきことを増やされたらたまったものではない。
やっと支度が終わり、椅子に座って一息ついたところで、ラミウムがやってきた。
「クラリッサ様、おはようございます」
「おはようございます、ラミウム」
「早速ですが、本日のご予定の確認をさせて頂きます」
「えぇ、お願い」
「ご朝食後、4の鐘が鳴りましたら応接室に移動し、旦那様と奥様と共に養子縁組の手続きを行います。昼食後の予定に関しては……レイチェル様より、お茶会のお誘いが届いております」
そういって、ラミウムは木札を渡してくれた。
私は受け取って書かれた文字を見る。
“昨日のお茶会とても楽しかったわ! 今日は、ソフィーと私、クレアとお母様の4人で、女の子だけの女子会をしたいと思ってるの! 6の鐘が鳴ったらテラスでお茶会しましょう。良いお返事が貰えると嬉しいわ♪”
……昨日の様子からすると、養子縁組の話とオスカー様の話がしたいんだろうなぁ。後で根掘り葉掘り聞かれるよりは、おば様が一緒の方が止めて貰えるだろうし、断る理由もないし、参加が無難かしらね。
私は参加の返事をしてもらうようにお願いした。
「かしこまりました。それでは私はお返事をして参ります。後程マロウ達が朝食をお持ち致しますので、少々お待ち下さいませ」
朝食を済ませ、食後のお茶でまったりと過ごしていると、4の鐘が鳴った。
「お時間ですね」
「えぇ……いよいよね。ラミウム、リリー、いきましょうか。マロウ、シスル、あとはよろしくね」
「「かしこまりました」」
ラミウム、リリーと共に、階段を降りて1階の応接室に移動する。
入室許可を貰い、応接室に入ると、おじ様とおば様、そして立会人を務めて下さるオスカー様が既に揃っていた。
「おはようございます、おじ様、おば様、オスカー様」
「おはようございます、クラリッサ嬢」
「おはようクラリッサ。そちらにお座り。早速始めよう」
おじ様に促され、私は入口側の席に着いた。
テーブルを挟んで向かい側におじ様とおば様、テーブルの右手側にオスカー様が立っていて、テーブルの上にはこれから使うであろう道具が準備されていた。
大小2枚の羊皮紙に、インク壺、羽ペン…………に、宝石? のような石と、鎖のついた金属が2つ……? 後半の2つは何に使うんだろう?
そんなことを考えている間に、オスカー様が小さい方の羊皮紙を用いて養子縁組の書類を書き上げた。
「こちらが、クロスフォード公爵より依頼された養子縁組契約の内容になります。双方、御確認下さい」
オスカー様から書類を渡され、クロスフォード公爵夫妻が確認する。
「うむ。問題ない」
そう言って夫妻が書類に署名し、私にも確認するよう書類が渡された。
(1)クロスフォード公爵夫妻、すなわちウィリアム・クロスフォードとユリアナ・クロスフォードは、クラリッサ・リーストエルと養子縁組し、養女とする。
(2)養子縁組期間は、クラリッサ・リーストエルが15の成人を迎え、リーストエル侯爵の爵位を賜るまでとする。
(3)養子縁組期間中、クロスフォード公爵夫妻はクラリッサ・リーストエルに対し、実子と変わらぬ待遇と庇護を約束するものとする。
私は内容を確認し、「大丈夫です」と告げた。
「では、署名を」
インク壺と羽ペンを受け取り、署名する。
その間にオスカー様はテーブルの真ん中に大きい方の羊皮紙を広げた。
羊皮紙には魔法陣とクロスフォード家の紋章、そしてその下に私の名前が書かれている。
「クラリッサ嬢、そちらの羊皮紙をこの上へ」
私はオスカー様に言われた通り、署名した羊皮紙を魔法陣の描かれた羊皮紙の上に置いた。
オスカー様はその上にさらに先ほど不思議に思った宝石を置く。
「では、皆様、魔法陣に手をおいて、魔力を流して下さい」
…………
……………………
……………………………………どうやって?
魔力操作なんてやったことがない。
私が戸惑っていると、察したらしいオスカー様が私の横にやってきた。
「クラリッサ嬢はまだ魔力操作できませんでしたね。失礼しました。……血液で代用しますので、手を出して頂いても?」
私が言われた通り右手を差し出すと、オスカー様はナイフで私の人差し指に小さく傷をつける。
「……っ」
指先に痛みとともに、赤い液体が姿を表した。
痛い……!
私の痛みなんて気にする素振りもなく、「血液を魔法陣へ」とオスカー様が促す。
私は血を見ないようにしながら指先を魔法陣に押し付ける。
途端、魔法陣が光りだした。
私が光に魅入っていると、右側からオスカー様の声が聞こえた。
「フェアトラーク・イニーツィオ」
光はさらに勢いを増し、魔法陣の上に置かれた羊皮紙と宝石を包み込み…………宝石に吸収されるかのように消えていった。
光が消えたテーブルの上からは羊皮紙が消え、残されたのは、宝石だけ。
オスカー様が指をパチンッと鳴らすと、宝石にヒビが入り、パキンッと小さな音と共に3つに割れた。
!?
私の驚きなど気にもとめず、オスカー様は3つに割れた内の2つ……半円球状の宝石を鎖のついた金属に嵌め込み、1つをおじ様へ、もう1つを私に差し出す。
「どうぞ、クラリッサ嬢」
オスカー様から手渡されたそれはネックレスとして使えるようになっていた。
先ほど割れた宝石がペンダントトップになっている。
「綺麗……」
宝石はピンクともオレンジとも言えない複雑な色をしていて、光を受けてキラキラと輝いている。
覗き込むと、先ほど魔法陣に描かれていたクロスフォード家の紋章と、その下に私の名が刻まれている。
────クラリッサ・リーストエル・クロスフォード、と。
「これで貴女は、正式にクロスフォード公爵夫妻の庇護を受けるクロスフォード家の養女です。それは貴女の立場を守る証明ですから、肌身離さずお持ち下さい」
微笑みながらオスカー様にそう告げられ、私はネックレスを握りしめた。
「はい。……ありがとうございます、オスカー様」
「うむ。引き継ぎで忙しい所に無茶を言って悪かったな、オスカー。たが、助かった」
私同様、オスカー様からネックレスを受け取ったおじ様も、確認を終えてオスカー様を労う。
「お気になさらず。もう引き継ぎはほとんど終えていますし……もしなにかあれば、クロスフォード師団長自ら後始末して頂けるそうですし?」
「うっ……もちろん手助けはするが、何もないように頼む……これ以上私の仕事が増えたら子供達と接する時間が足らなくて死ぬ!」
悪戯っぽく笑うオスカー様に対し、顔色を悪くしながらおじ様が懇願していて、どっちが大人で上司かわからない。
そんな様子を見ていたおば様がコホンッ、と咳きこんだ。
「お二方とも、その辺に。クラリッサに笑われますよ。それと、旦那様、こちらもお渡ししないと」
「! ……いかいんいかん、そうだったな。クラリッサ、こちらにおいで」
「? ……はい」
まだ何かあるんだろうか?
わからないけれど、とりあえずおじ様のところへ向かう。
「無事我が養女となった其方にこれを贈ろう」
おじ様が布を広げたかと思うと、次の瞬間にはそれで身体を包まれていた。
「これは…………マント?」
身体を包み込んだのは紫色の柔らかな布で、金糸で刺繍が施されている。そして留め金がついていて、羽織ることができるようになっていた。
「そうだ。学院では全員制服の着用が義務づけられていて、爵位ごとにマントの色が変わり、一目でわかるようになっている。制服は厳しい規定があって専門の商会から入手するしかないのだが、マントだけは各々で準備することができてな、貴族の子供は学院に入る前に親からマントを貰うのが通例なのだ」
「そして其方は今しがた我がクロスフォード家の養女となった。よって、このマントを授与する。これからの半年間、遅れを取り戻すのは大変だろうが、其方の頑張りに期待しているぞ、クラリッサ」
「はい! がんばります。ありがとうございます!」
おじ様は私の頭を軽く撫でると、頭越しにオスカー様に声をかけた。
「オスカー、すまないが、後の処理も宜しく頼む」
「心得ております。それでは、私はこれで失礼致します」
そう言って、オスカー様は3つに割れた宝石の残り1つ、薄い円形となった宝石をハンカチーフでくるみ、懐にしまうと、退室していった。
「……さて。クラリッサ、お疲れ様でした。部屋に戻って、傷の手当てを受けなさいな」
ネックレスに魅入ってすっかり忘れていたけれど、おば様にそう言われて指先に傷があることを思い出した。
思い出した途端、傷口がズキズキと痛みを主張してくる。
「……そうですね。そう致します。ありがとうございます、おば様」
私がそういって退室しようと礼をすると、クラリッサ、とさらに声をかけられた。
「…………はい?」
「貴女はもう私達の養女なのですから、私の事は『養母様』とお呼びなさい」
「あ……そうですよね。失礼致しました。養母様、養父様。御前失礼致します」
「えぇ、それではまた後で」
再度退室の挨拶をし直し、私は応接室から退室した。
胸元で、ネックレスが光輝いているのがわかる。
自室へ向かう足取りが、少しだけ軽やかになった気がした。