承認と選択と決断
「養子……縁組……」
そう呟いたのは私か、4兄妹か。
優雅にお茶を飲んでいるおば様以外は、皆初耳だったようだ。皆一様に口をポカンと開けている。
「現状では、対外的には貴族の血を引く孤児の生活を助けているだけだ。法的拘束力は何もなく、横槍を入れられた時には為す術がない」
「だが、養子縁組をすれば対外的にもクラリッサをクロスフォード家の人間として扱うことができる。未成年者を持つ保護者としての保護義務も発生するから、いざというときに動きやすい。クラリッサ目線でいえば、≪クロスフォード公爵家≫の後ろ楯を公式に得ることができる。悪くないだろう?」
悪くないどころか、私からしたら破格のお申し出なのですが!
さっきのおば様とのお話も、これだったのだろうか。許可とか何とか言っていた気がするのだけど……。
そんなことを考えていると、アル兄様が口を開いた。
「私は、父上と母上のお考えに賛成です。クラリッサの今の立場は不安定すぎる。養子縁組が今取れる手段の中では一番でしょう」
それに続くように、リオ兄様も口を開く。
「僕も意義なし。昔からクラリッサは妹みたいなものだったし」
「私も賛成です! 私はクレアお姉様が私のお姉様になって下されば、といつも思っていましたから、嬉しいです!」
ソフィーも賛成してくれた。
あとはレイだけ……だけど、レイは口を開かなくて、私の座る位置からはおじ様とおば様の方を見るレイの顔を見ることができず、私はレイが今どんな顔をしているのか確認することができない。
「レイは、どう思いますか?」
おば様が、レイに意見を促す。
「……お父様と、お母様のお考えはわかります。それがクレアの立場を安定させる最善手だということも。……1つ、確認したいのですが、宜しいですか?」
おじ様が、目線だけで先を促す。
「クレアがお父様達の養女となった場合……我がクロスフォード家の後継者に、クレアも入るのでしょうか?」
アル兄様、リオ兄様、ソフィーが目を見開く。
その様子を見て、私はレイが養子縁組に即賛成しなかった理由を思いつくと同時に納得した。
おそらく、クロスフォード公爵はまだ跡継ぎを正式に決めていないのだろう。公爵自身がまだ若いし、4兄妹もまだアル兄様以外成人していないから急いで決める必要もなさそうだし。
子供達全員に等しく跡を継ぐ権利がある状態で、私が養女として入るのであれば、跡を継ぎたいと考えている人からすれば、私は邪魔者でしかない。そして、レイはおば様のようになりたい、とはっきりと公言している。
それはつまり、クロスフォード公爵家を継ぎたい、ということなのだろう。
しかし、レイからこういう話題が出るのは想定内だったのか、おじ様もおば様も特に動揺を見せることはなかった。そしておじ様はレイの質問に応える。
「案ずるな、レイチェル。そこにクラリッサが入ることはない。養子縁組をするとはいえ、実質期間限定だ。クラリッサは成人したらリーストエル侯爵家の爵位を賜らなければならないからな。クロスフォード公爵家の跡継ぎは、今まで通り其方ら4兄妹の中からやる気と能力のある者に任せるつもりだ」
当然ながら、私自身もクロスフォード公爵家の跡継ぎ争いに加わるつもりは毛頭ない。おじ様がきっぱりと否定してくれたから、レイとの間に禍根が残ることもないだろう。私は誰にも気づかれないよう、小さく安堵の息を吐いた。
「……でしたら、私からは意見はございません。クレアの立場が不安定なのは、私も同感ですし。お父様とお母様の決定に従いますわ」
「ありがとう、我が子達。其方らがクラリッサを受け入れてくれて、嬉しく思う。……さて、クラリッサ。我が子達の承認は取れた。後は其方の決断だけだ。貴族として生きていくなら、この養子縁組は其方の助けとなるだろう」
「しかし、相応の覚悟と努力が必要だ。しがらみもある。逆に、全てを捨てて、自由に平民として生きていくという選択も、今なら取れる。……どうする? 其方の人生だ、其方が選べ」
おじ様が、真剣な眼差しで私を見つめてくる。
まだ若干気になることはあるけれど、今後の生活の保障は、今私が喉から手が出るほど欲しいものだ。そして、自由に平民として生きる、という選択肢は、記憶を取り戻すために動きたい私にとってそもそもありえない。
なら……私はただ頷くだけでいい。
「私に決定権を委ねて頂きありがとうございます、おじ様。私には、平民として生きる、という考えはありません。私は貴族として生き、成したいことがございます。ですから……力をお貸し頂けますか? 養子縁組、してくださいませ」
私は頷きながら、私自身の選択を告げた。
「宜しい。そうと決まれば善は急げだ。たしか明日は、クラリッサは特に用事はなかったな?」
おじ様がおば様に予定を確認する。
「えぇ、オスカー様とのお勉強は明後日からですので」
「なら、明日、オスカーに立会人になってもらって養子縁組の契約をしよう」
「かしこまりました」
「では、堅苦しい話はここまでだ。晩餐も終わったことだし、子供達はもう就寝の準備に入りなさい」
おじ様に促され、私と4兄妹は就寝と退室の挨拶をして、晩餐室を後にした。
シスルとマロウに湯浴みを手伝ってもらって身体を清め、すっきりした私は窓辺の椅子に座り、リリーが持ってきてくれたお水を飲んで一息ついた。
私の部屋としておば様が用意してくれたのは、屋敷の3階の角の部屋だった。
窓からは、夜の庭園が見渡せる。
「とても長い1日でしたね」
リリーがお水のおかわりを注いでくれる。
「そうね……緊張したり、動揺したりで精神的に疲れたわ……」
「お疲れ様でございます。明日の養子縁組を終えれば、その緊張もしなくてよくなるでしょう。さぁ、湯冷めしてお風邪を召されては大変です。今日はもうお休み下さいませ」
「そうさせてもらうわ。お休みなさい、リリー」
「お休みなさいませ、クラリッサ様。明日は3の鐘が鳴ったら起床のご挨拶に伺いますね」
寝室の灯りが消され、暗闇と静寂だけが室内に残った。
緊張の糸が解れたからか、寝台に入ってすぐに私は眠りに落ちた。
――――っ!
唐突に、目が覚めた。
まるで何かを掴みたかったみたいに、右腕は天井に向けて伸ばされている。
暗闇の中、カーテンからわずかに差し込む月明かりだけを頼りに私は伸ばされた右腕を引き寄せて、掌を見る。
何も掴むことのなかった右手は、しかし薄っすらと汗ばんでいる。
……夢を見た、ような気がする。
その夢の中で、私は何かを掴みたかったのだろうか。
少し思い出そうとしてみたけれど、まるで頭の中に靄がかかったみたいな感じで、思い出せない。
仕方なく、私は再び瞼を閉じた。
ひょっとして、明日の養子縁組に知らずの内に気持ちが高揚していたのかしら……?
そんな風に考えて、もう一度眠りにつこうとした。……したはずだった。
…………寝られない。
まだ朝日が昇るには暫くかかるだろうに、全くもって眠れる気がしない。
仕方なく、寝台から出て、窓辺に近づく。
月明かりが差し込むカーテンを引けば、夜の庭園が広がっている。
……そういえば、庭園散策できなかったなぁ。
しばらくボーっと窓の外を眺めていたけれど、夏とはいえさすがにこのままだと風邪を引きそうだ。
私は再び寝台に戻る。
……寝台に横になって今後のことでも考えていよう。そのうち、また眠気がくるかもしれないし。
……そうやって色々考えている内に、カーテンから差し込む光が月明かりから朝日に変わることを、その時の私は知らなかった。