回顧
「あの年は、わらわが新入生の実力テストを担当していた。暇すぎて襲ってくる睡魔と戦いながらなんとか筆記が終わり、さっさと実技を終わらせて戻ろうとわらわは思っておった――」
やっと最後の1人か――
目の前の学生から魔石を受け取り、わらわは教壇に置かれた名簿に目を向ける。
「――ジャスミン・クランブルック」
「はい」
名簿の最後の名前を口にすると、教室にぽつんと残された少女が俯きがちな顔を上げて返事をした。
金色の髪を後方にたなびかせ、碧い瞳に好奇心を湛えながら少女――ジャスミンはゆっくりとした足取りで教壇にやってくる。
「では、こちらを光らせるように」
「かしこまりました」
実技テスト用の魔石をジャスミンに渡しながら、光ったのを確認したらさっさと切り上げよう――そう考えていたわらわの耳に、予想外の音が飛び込んできた。
――ピシッ
……ピシ?
視線を音の方に向ければ、ジャスミンに渡した魔石は指示通り強い光を発していた。しかし、それと同時にヒビが入っている。
「――なっ」
ジャスミンの顔を見ると、集中しているのか瞼を閉じていた。ヒビが入ったことにも気づいていないのか、今なお魔力を注いでいるようだった。
「やめっ……」
――パリンッ
止めようとしたものの時すでに遅し。ヒビはあっという間に魔石全体に広がり、ついには魔石が砕け散った。
「――え?」
ようやく本人も異変に気付いたらしい。閉じていた目を開くと、小さく驚きを口にする。
ジャスミンの両手からは、砕けた魔石が形を失い、砂のようになったそれがサラサラと零れはじめていた。
「えっと……」
ジャスミンが戸惑いの声を発する。しかしわらわはそれに応える余裕はなかった。
魔石が、砕けた? 実力テストでただ光らせるだけだというのに? この娘、どれだけ魔力を持っている……?
意図せず口角が上がるのがわかる。わらわのそれを見て不思議に思ったのか、ジャスミンは戸惑いながら小首をかしげた。
「あの……先生……?」
「あぁ、すまんの。ふむ……其方、わらわの研究室に来ないか?」
気づけば、わらわは目の前の娘を勧誘していた。
「魔石が……砕けた……?」
わらわの目の前に座るクラリッサは、そう呟くと己の手の平を見つめる様に俯いた。
魔石が砕けること自体は、珍しいことではない。
極端に小さな魔石や、元となる宝石の質が悪いと魔力に耐えきれず砕けることはよくある。
しかし、国内すべての貴族の子息子女が通う学院において、新入生の実力テストで砕けるような質の悪い魔石は使わない。
そして、クラリッサが両手を見つめているように、子どもであれば両手で持つ大きさの魔石は、通常であれば砕ける筈がなかった。
「……あれ、砕けるものなんですか?」
「いや。普通なら砕けるどころかヒビ1つ入らん。其方も見たことなかろう? それほどまでに、其方の母は魔力量が豊富じゃった」
……豊富というより、膨大と言うべきか。むしろ、多すぎて困っていたぐらいじゃったしのう。
口には出さず、心の中で呟く。今でこそある程度の魔力量があるとはいえ、少なさに課題のあったクラリッサに追い打ちをかける様にそれを言うのは気が引けた。
魚の様に口を半ば開いたまま動かないクラリッサを見つめながら、わらわは思い出話の続きを口にする。
「そうそう――この話には続きがあっての」
「まだあるんですか?」
クラリッサがぎょっとした顔でこちらを見る。
「うむ。実技はまぁさっき言った通りだったわけじゃが、職員室では別の話題で賑わっておってのう――ジャスミンを帰らせて職員室に戻ると、採点をしていた職員に取り囲まれたのじゃ」
「一体何が……?」
先を促すようにそう問いかけられて、わらわはニヤリと笑いながら事の顛末を口にした。
「ジャスミンは、筆記が壊滅的な点数だったんじゃよ」
「……はい?」
ぽかんとした顔つきでそれだけ口にしたクラリッサに、わらわはより具体的に話す。
「たしか神学は満点だった筈じゃが、それ以外は軒並み黒――すなわち落第点じゃった」
「お母様は、クランブルック公爵家の娘ですよね……? 公爵家出身者がそんなことってあり得るのですか?」
信じられない、と目を白黒させるクラリッサ。しかし、現実としてそれは発生していた。
「わらわも当時は驚いた。だが、事実じゃ。後日ジャスミン本人に座学の壊滅さを問い詰めたことがあったが――『そんなこと言われても。仕方ないんです。むしろ、神学が満点だったことを褒めて頂きたいぐらいです』とか言っておったのう」
あの開き直りっぷりにはわらわも驚かされたわ、と付け加えると、クラリッサは「私の抱いていたお母様の印象と違い過ぎて別人の話のようです」と口にする。
「其方が抱いていた印象のう……幼い頃の記憶か、ユリアナから聞いたジャスミンの話、といったところか?」
両方ですね、と答えるクラリッサに、わらわは頷いて見せる。
「それも間違ってはおらん。入学当時こそ其方とは逆の意味で規格外じゃったが、その後の成長は目を見張るものがあった。ユリアナが入学する頃には、名実ともにウルラに相応しい人物になっておったからの」
「そうですか」と呟いたクラリッサの声音は、淡々としていて感情は汲み取れない。
今までとは違う母親の一面を聞いて困惑しておるのか? 規格外の魔力量を持っていた母親と自らを比較して落ち込んでいるのか? それとも――?
俯いて考え込んでいる様子のクラリッサに、何を伝えるべきか――
「其方が何を考えておるか知らんが――安心せい。其方はジャスミンとそっくりじゃから」
とりあえず安心するよう声を掛けるか、と発言すると「そっくり?」という言葉が返ってくる。
「うむ。その金髪碧眼の容姿といい、全属性といい、努力家なところも突拍子もない発想をするところも色々と規格外なところもそっくりじゃ」
呵々と笑いながらそう言うと、「後半は余計です……」と若干不満そうな声でクラリッサが答える。
「でも、お母様のことを知ることが出来たのは嬉しいです。ありがとうございます、ファルネーゼ先生」
にこりと微笑みながらそう言い切ったクラリッサの声と表情には、わらわが案じるような感情は含まれてはいなかった。




