新たな出会い
テラスでのティータイム後、私とリリーは迎えに来たおば様のメイドに案内され、執務室に向かう。
おば様の執務室は、クロスフォード公爵家のエントランスから階段を上がって2階、向かって左側に位置していた。
「失礼致します」
部屋に入ると、奥におば様の執務机があり、その手前に応接用のテーブルと両脇にソファが配置され、向かって右奥におば様、そしてその隣には見知らぬ男性が凛とした佇まいで座っていた。
「どうぞ、そちらへ」
着席を促され、私はおば様の向かい側のソファに着席し、リリーは私の背後に待機した。同時に、部屋まで案内してくれたメイドが奥の部屋から手早くお茶を運んできてくれる。
お茶が全員に行き渡り、メイドが奥の部屋に下がったのを確認してからおば様が口を開いた。
「お待たせしてごめんなさいね、クレア。まずは紹介しましょう。これから半年間、貴女の専属教師を勤めて下さる、オスカー=グレンツェン・ミドルトン様です。オスカー様、こちらが私の姪のクラリッサ・リーストエルでございます。半年間、どうぞ宜しくお願い致します」
おば様が紹介してくれたのは、瑠璃色の髪に灰味のある淡い青色の瞳をした、青年とも、少年とも見える年若い男性だった。
いくつぐらいなんだろ……アル兄様と同じぐらい?
そんなことを考えながら、私は簡単に自己紹介をする。
「はじめまして、オスカー様。クラリッサ・リーストエルと申します。3年間眠っていたので、至らない所が多々あるかとは存じますが、何卒宜しくお願い致します」
「ご丁寧にありがとうございます、クラリッサ嬢。オスカー=グレンツェン・ミドルトン、年は16です。特務師団に所属しております。特務師団長であるクロスフォード公爵とのご縁で、この度専属教師として勤めさせて頂くことになりました。どうぞよしなに」
特務師団に所属するようなエリート様が私の専属教師……!?
クロスフォード公爵、つまりおじ様との縁というのはわかる。けど、それだけで多忙な特務師団の方が専属教師を引き受けるとは思えないのだけど……。
「オスカー様には4の鐘から5の鐘までと、昼食を挟んで7の鐘までの時間、貴女に授業をして頂きます。特務師団の方が非常に忙しいことはクラリッサも知っているでしょう? その貴重な時間を使って下さるのですから、集中して真面目に取り組むように。宜しいですね?」
私の戸惑いをよそに、おば様は有無を言わさぬ雰囲気で今後の予定を伝えてくる。最後の一言は例の表情で言われたので、私は戸惑いを忘れてただ頷くしかなかった。
「では、私はこれからの準備がありますので、今日はこの辺で失礼致します。クラリッサ嬢、授業は明後日から始めます。4の鐘がなったら図書室にお越しください。クロスフォード公爵家は蔵書が豊富で良い教材に恵まれていますから、図書室でお勉強致しましょう」
「かしこまりました。これから宜しくお願い致します、オスカー様」
オスカー様が退室し閉まった扉を確認して、それでは、私も失礼します……と発言しようとしたけれど、おば様が使用人を呼ぶベルを鳴らしたことで言うことができなかった。
ベルが鳴るとすぐに、部屋に使用人が3名入室してくる。
「まだ用件は済んでいませんよ、クラリッサ。次は、今日から貴女に仕える使用人を紹介します。リリーだけでは手が足りませんからね」
そういって、おば様が3人を紹介してくれた。
「バトラーのラミウムと、メイドは右からマロウとシスルです。皆働き者ですから、よく仕えてくれることでしょう」
「お気遣いありがとうございます、おば様。皆さん、改めまして、クラリッサ・リーストエルです。今日から宜しくお願いしますね」
簡単に挨拶すると、皆微笑み返してくれた。
皆、いい人そうでよかった……。
「では、ラミウム。後の指示は貴方に任せます」
「かしこまりました奥様。マロウ、シスル、いきますよ」
「かしこまりました」
退室の挨拶をして、3人は部屋から出ていった。
えっと……私は退室していいのかしら……?
おば様は優雅にお茶を飲んでいて、退室を促してくる気配はない。
どうしようか、と思っていると、お茶の入ったカップを置いておば様が口を開いた。
「……まだ、緊張していますか?」
「……!!」
「屋敷に着いてから、ずっと借りてきた猫のようでしたよ。ねぇ、リリー?」
おば様が、私の後ろに控えるリリーに目線を向ける。
「……そうですね。記憶を失っているクラリッサ様からしたら、知らない人の屋敷にきて、知らない人達に1日中囲まれて、その人達とこれから円滑な関係を築けるように会話しなくてはいけなかったのですから、緊張するなという方が難しいとは思いますが……」
「……それもそうね」
リリーとおば様には、私の内心はバレバレだったらしい。
これでも、悟られないように頑張っていたのだけど……。
「えぇ、とても頑張っていたと思いますよ。少なくとも、気づいたのは私とリリーだけでしょう。少なくとも4兄妹は全く気づいてないわね」
「そう……ですか…………」
「そんな中、あの子達と話してみて、どうだった?」
「……みんな、とてもいい人でした。私の好きだったものを準備してくれて……私が記憶を失っていることを気遣って、話題も自己紹介に近い話をしてくださいましたし」
「……受け入れてもらえないと感じたかしら?」
「いいえ! むしろ、少し安心しました……記憶を失っていても、拒絶されないことがわかって……でも……」
「でも?」
「今後、私の行動が、発言が、どう受け取られるかはわかりません。だから……」
「恐怖は拭いきれない……ということですね」
コクリと頷き、私はおば様の発言を肯定した。
先ほどのお茶会でだいぶ不安は軽減されたけれど、今後次第でやっぱり違う、なんて言われる可能性もゼロじゃない。
だから、私から恐怖心がなくなるなんて、どだい無理な話なのだ。
「……だそうですよ、あなた」
……? 今のは、私に向けた言葉じゃない?
理解が追いつかず、おば様を見つめながら首を傾げると、おば様の目線が右に移った。
その目線の先を追うと、おば様の執務机のさらに先、先程まで誰もいなかった場所に、壮年の男性が立っていた。
橙色の髪に茶色の瞳。深い青地のジュストコールは黄色と紫色で細かく刺繍が施されていて、橙色の髪によく映える。
ぱっと見ただけでも、威厳と風格を感じさせられた。
もしかして……。
「おかえりなさいませ、旦那様」
リリーが男性に向けて声をかけた。
……やっぱり。クロスフォード公爵、その人。
私が挨拶しようとすると、公爵は手を上げてそれを制した。
「堅苦しい挨拶は結構。久しいな、クラリッサ。記憶を失っているという報告はユリアナから受けていたが……なるほどなぁ。私も覚えていない、か」
「ふむ。それでは緊張や恐怖心を持っても仕方ない……というか持って当然か。先ほどまでのやり取りも見せさせてもらった。姿を隠していてすまなかったな。立場上、姿を晒す前にクラリッサの言動を確認しておく必要があったのでな」
どうやら、この部屋に入ってきてからの一連のやり取りは全て公爵に見られていたらしい。
「それで、あなた。例の件ですが……」
「うむ、やはり対処は必要だろう」
「では、準備をしても?」
「頼む。許可も降りたからな」
例の件? 対処? 準備? 許可?
おじ様とおば様の間でどんどん話が進んでしまい、ついていくことができない。
私が不安に思っているのを感じ取ったのか、公爵は私の頭を撫で、「心配するな」と微笑んだ。
「そう不安そうな顔をするな。悪いようにはしない。……ところで、腹が減ったな。そろそろ7の鐘が鳴る頃ではないか?」
おじ様そうが言った丁度その時、遠くから鐘の音が聞こえてきた。
おば様、おじ様と共に晩餐室に向かうと、すでに4兄妹は席に着いていた。
「お父様! お帰りになっていらっしゃったのですね!」
レイが嬉しそうにそう出迎えると、他の3人も「おかえりなさいませ、お父様」と続く。
「あぁ、ただいま。早速だが、晩餐にしよう」
私達が席に着くと、使用人達が待ってましたとばかりに配膳していく。
「では、実りの神に感謝を」
「実りの神に感謝を」
「こうして皆と晩餐を囲むのは久しぶりだな。私が不在の間のことをぜひ教えてくれ」
4兄妹が1人1人近況を報告していく。
そんな中、ふいにおじ様と目があった。
………………?
「皆、有意義に日々を過ごしていたようで何よりだ。さて……ここで、皆に話したいことがある。クラリッサのことだ」
――――――――っ!
皆の視線が私に向かう。
何だろう。さっきの話と関係がある話?
「皆も知っての通り、クラリッサが目覚めた。今後、半年後の学院入学に向けて、準備を進めていくことになる。勉強に関しては、オスカーが専属教師をしてくれることになったから問題ない。問題は……」
「オスカー様が専属教師って本当ですかお父様!」
レイが驚いた勢いでおじ様の言葉を遮る。他の3人も言葉こそ出さなかったものの、目を見開いていて驚きを隠せない様子だ。
……オスカー様って、有名人なのかしら?
私がそんな風に思っていると、おば様がゴホンッ、とわざとらしく咳をした。
「レイチェル、今はお父様が話している最中です。人の話を遮るなど、淑女として恥ずかしいですよ」
「……っ! すみません、お父様、お母様……」
「ふふっ、レイチェルは相変わらずだな。まぁそこが可愛いところなんだが……」
「あなた、今はクラリッサの話でしょう。それに、あなたがそうやって甘やかすから、レイチェルがこうやって身内の前だと淑女らしからぬ癖が抜けないのです」
「うっ……すまん、ユリアナ。えー、話を戻そう。問題は、クラリッサの立場だ」
……私の立場。
それはつまり、両親がいない孤児で、親戚であるこのクロスフォード家に厄介になっているこの状況のことよね……。
私はテーブルの下でぎゅっとスカートを握った。表情だけは、不安を表さないように、意識して。
「クラリッサは両親を失った。リーストエル侯爵家は現在、当主不在で国に爵位を返上している状態だ。これが何を意味するか、わかるか?」
おじ様が、子供達の成長具合を図るかのように問いかける。
それに答えたのは、アル兄様だった。
「クラリッサは孤児となり……自身を守る後ろ楯を失っている状態です。貴族として生きていくには、致命的ですね」
「その通りだ。今の生活では問題なくとも、学院に行き、貴族として生活するならこれほど危険で不安定な立場はない。《リーストエル》という家名は意味を成さず、平民同様に扱われても文句は言えない」
「そして、クラリッサがリーストエルの血を引いていると知れば……強引にクラリッサを手に入れようとする者も現れるだろう。クラリッサが15になれば、リーストエルの爵位を国に再度賜ることもできるのだから」
…………!!
私は見通しの甘さに、自分で自分を叱りたくなった。今まで私は、クロスフォード家での自分の居場所がなくなることしか考えられていなかった。
貴族社会はもっと広い。《リーストエル》の爵位や両親の残したものを狙う輩も、学院で私に後ろ楯がないことをいいことに下らない不満の捌け口にしてくるような輩もいるのだろう。
私は、どうしたらいいのだろう…………。
自分に待つ未来が暗いものしか想像が出来なくなって、いつの間にか俯いてしまっていたらしい。
「クラリッサ」と呼ばれ、はっとして声のする方を向くと、おじ様が「心配するな」と言うかのように微笑んでいた。
「だから……私は、クラリッサと養子縁組を結ぼうと思う」