王都
「本日は宜しくお願い致します」
「えぇ。では、参りましょうか」
今日は養母様と学院への入学申請と、制服の発注をしに、王都へ行くことになっている。
馬車に乗り込み少しすると、突然揺れがなくなり、得体のしれない違和感に襲われた。
「……!?」
「あぁ、ごめんなさい。言い忘れていました。王都に行くのに地上を走らせると時間が掛かり過ぎますから、今日は空を飛んでいくのですよ」
言われて馬車から外を見ると、地面がずっと下の方に広がっていて、遥か遠くまで見渡すことができた。
「すごい……」
「魔力消費が激しいので、普段使いには向きませんが、複数人での移動や使用人を伴っての移動にはこれを使うことが多いのですよ」
「これはどういう原理で飛んでいるのですか?」
「馬は馬蹄を通常の鉄製のものではなく、魔術具としての馬蹄にするのですよ。あとは車輪もそれにして、魔力を通わせることで飛行を可能としているのです」
これから向かう王都のことや手続きについても話を聞いていると、ふいに隣に座っていたシスルが声を上げた。
「見てください、クラリッサ様! 王都が見えてきましたよ!」
外を眺めると、先程まで見えていた緑と茶色の先に、2つの大河に挟まれた白亜の城とその手前に栄えた街並みが見えるようになっていた。
「ここまで来たらもう少しで着きますよ。地上が近づいてきたら、一瞬着地の衝撃が来ますから、心の準備をしておいて。外に出たら、クラリッサは伝えた注意事項を守ること。いいですね?」
「かしこまりました」
せっかく王都まで来たのだから、街並みの1つでも見て回りたかったけれど、それは叶わなかった。
馬車は建物のすぐ目の前に到着し、降りると同時に建物に入れるようになっていた。
馬車から降りた私達は、養母様を先頭に、私とシスルが連れ立って建物に入る。
建物の中には大勢の人がいたけれど、正直私に周りを見る余裕は皆無だった。私は少し大きめのマントの裾を踏まないように、それでいて俯いて歩かないように、必死に淑女らしい笑顔を張り付けながら一歩一歩慎重に歩かないといけなかった。
「淑女らしく、いかなる時も優雅に笑顔でいるように」
先程の馬車での養母様の声が頭の中で再度聞こえてくる。
優雅に、優雅に……。
前を歩く養母様の足が止まったのを察して、私も立ち止まる。少し上を見上げると、受付に着いたらしい。
養母様はそこで何か書類を書いて提出し、近くの待合所に設置されたソファに移動した。私も後を追い、ソファに座る。
「ふぅ……」
「まだ終わっていませんよ。気を緩めないように」
ソファに座ることで裾を踏む危険から解放された私は軽く息をついたけれど、すぐさま養母様に注意を受けて姿勢を正さざるを得なかった。
このマント踏みそうで怖いのですよ……。あぁ、早く帰りたい……。
淑女らしい笑顔を張り付けながら、内心ではそんなことを考えていると、職員らしき女性が受付から出てきた。
「クロスフォード公爵夫人、お待たせ致しました。どうぞこちらへ」
女性職員に呼ばれ私達が立ち上がった、その瞬間。人々の声で騒がしかった建物の中の空気が一変するのを感じた。
「クロスフォード公爵夫人……? こちらに顔を出すとは珍しい……」
「一体何の要件だろう……?」
「連れている金髪の子供は一体……? クロスフォード公爵家に金髪の子供はアルバート様だけではなかったか……? しかし、マントを羽織っているな……」
そんな、名前も知らない人達の囁きが後ろの方から聞こえてきたけれど、養母様は振り向きもしないので私もそのまま真っ直ぐ案内された部屋へと入っていった。
通された部屋は、机が一つとそれを挟んで長椅子が2つ配置されたシンプルな応接室で、奥の長椅子に男性が1人座っていた。
「お待たせ致しました、クロスォード公爵夫人。どうぞこちらへ」
私達が着席すると、案内してくれた女性職員がお茶を運んできてくれた。
「お忙しい中ご足労頂きありがとうございます、クロスフォード公爵夫人」
「こちらが急にお願いしたのですから、出向くのは当然ですわ。こちらこそ、急なお願いにも関わらずお時間を作って頂きありがとうございます。こちらが先日お話しました、我が家の養女となったクラリッサですわ」
「クラリッサ、こちらはファビアン様です。学院の教員の1人で、本日クラリッサの入学申請と適性検査を担当して下さる方ですよ」
「ファビアン様、初めまして。クラリッサ・リーストエル・クロスフォードです。本日はお忙しい中ありがとうございます」
「初めまして、クラリッサ嬢。ご挨拶ありがとうございます。ファビアンと申します。宜しくお願い致します。さて、早速ですが手続きを始めましょう。先程申請の書類は確認させて頂き、特に不備はございませんでした。……クラリッサ嬢、そちらの庇護の証をお借りしても?」
「はい、どうぞ」
私は首にかけていたネックレスを外し、ファビアン様に手渡す。ファビアン様は受け取ると、ゆっくりとネックレスのペンダントトップ――魔石に刻まれた私の名前とクロスフォード公爵家の紋章――を確認した。
「……ふむ。確かに、クロスフォード公爵家の紋章が刻まれていますね。……クラリッサ嬢、ありがとうございました。こちら、確認が取れましたのでお返しさせて頂きます。では、あとは魔力の確認だけですね」
ファビアン様がそう言うと、先程の女性職員が手の平大ほどの大きさの、無色透明の丸い石を持ってきて、私に手渡してくれた。
「そちらの魔石に魔力を流して、光を生み出してください。光らせるだけで結構です」
ファビアン様にそう言われ、私は昨日オスカー様に教えてもらった魔力操作の仕方を思い出す。
――手の平を蝋燭の火にかざしている様なイメージで。体の中の魔力を手の平に集める……。
私は両手でお皿を作るように魔石を持ち、ゆっくりと呼吸して意識を集中させ、魔力を手の平に集めていく。
すると、ゆっくりと魔石が淡い光を帯びて輝き始めた。
「……宜しい。そこまでで結構ですよ、クラリッサ嬢。お疲れ様でした。魔石をそちらの職員にお返しください」
私は言われた通り魔力操作を止め、魔石を女性職員に返した。
ファビアン様は書類に何やら記入すると、私と養母様に向き直った。
「適性検査は合格です。多少、起動までに時間を要したのは気がかりですが……」
「すみません、ファビアン様。クラリッサはお伝えした通り、眠りから目覚めたばかりで、魔力操作も先日習ったばかりなのですわ」
「えぇ、もちろん承知しておりますよ。規定時間内ですから、手続きには問題ありません。ただ、学院入学までにはもう少し早くなるようにこれから練習していって頂ければ、と思っただけです」
「それは、もちろん」
養母様がそう答えて、私も「頑張ります」と伝えた。
「宜しい。では、入学申請は受領させて頂きます。私はこれで失礼しますので、あとは女性職員と制服の発注をお願い致します」
私と養母様がお礼をすると、ファビアン様は退室され、代わりに女性職員が入ってきて、制服発注の話が始まった。
「……では、こちらで承ります」
「宜しくお願い致します」
養母様がそう答える後ろで、私はシスルに手伝ってもらって脱いだ服を着せてもらった。
通常ならわざわざ服を脱ぐ必要はないそうだけど、私の場合体が小さすぎるということで、服を脱いで細かい採寸が必要と言われ、下着以外脱がされたのだ。
「では、私達も退室しましょうか」
「はい」
私が着替え終わるのを待って、養母様が立ち上がり、応接室から出るため扉を開けた。
――ざわっ
扉を開けると、また変な空気が生まれた。
「やはり……」
「あれが例の……?」
私は少しだけ怖くなって、養母様の陰に隠れるように移動した。
その時、1人の男性が少し遠くから養母様に声を掛けてきた。
「これはこれは、クロスフォード公爵夫人ではありませんか!」
――――チッ。
……え、今養母様舌打ちした? とても小さな音だったので、おそらく私にしか聞こえなかっただろうけれど、普段淑女たらんとするあの養母様が舌打ち?
私が驚いて養母様を見上げると、養母様は目の笑っていない例のお顔で私に向き直った。
「すみません、クラリッサ。少々お話が長くなってしまいそうなので、シスルと一緒に馬車まで先に戻っていて下さる? シスルは、以前エリオットの手続きの時に来たことがあるから、馬車の場所わかりますね?」
「はい、奥様。大丈夫です」
そういうと、シスルは男性が来た方とは逆側に歩いて行くので、私はその後を追うようにして建物内を歩いた。
歩いている途中にも、知らない人々の私を見る目線が突き刺さり、言葉が時折聞こえてくる。
「やはり、あの話は本当だったのか……」
「ついに……」
「あれが、ウルラの……」
「ようやく、後継者が……」
大勢の人々の喧騒に紛れても、距離が近くなればそれだけ具体的に聞こえるようになる。
出口に近づくほど、それは大きくなっていった。
……ウルラって何? 後継者って?
今までとは違う具体的な言葉が聞こえてくるようになって、しかもそれがよくわからない言葉で、私はますます怖くなる。
あぁ、出口までの距離がこんなに遠く感じるなんて……!
走り出したい衝動に駆られるけれど、淑女らしく、という養母様の言葉を守る為には歩かなくてはならない。
あと少し、もうちょっと……!
やっと扉に辿り着き、外に出る。シスルが「クラリッサ様、こちらです」と案内してくれる方へ、私は歩を進めた。
シスルの後について歩き、馬車が停めてある場所に向かう。
……もうだいぶ歩いた気がするけれど、そんな遠くに停めているのかしら……?
私は不安になってシスルに声を掛けた。
「ねぇ、シスル。道、こっちであってる? だいぶ歩いた気がするけれど……そんなに馬車を停めている場所って離れているの?」
「あってますよ、クラリッサ様」
もう周りに人気はなくなっているけれど、シスルは細い路地をどんどん進んでいく。
こんな路地の先に馬車が……? と思っていると、前を歩くシスルが私の方に振り返った。
「……ごめんなさい」
――え?
私が固まった瞬間、後頭部に激しい痛みが走って――次の瞬間、私の世界は暗転した。
 




