一話 初めての登校
「おはようございます。赤太です」
いつものようにインターホンを押し、毎朝呪文のように同じ文句を言う。そんな今は、四月七日午前七時三十分。
「「はーい、赤太君おはよう。ごめんね、ちょっと待っててくれる? ……霞流ーっ! 赤太君待ってるわよー」」
インターホンの音声を切っていないせいで、家の中の音声が丸聞こえだ。
「「え? 赤太、もう来たの? ……あっ、入学式って集合時間早いんだっけ!?」」
電子音声越しで聞こえるその声は、おそらく話し口から相当離れているはずなのに、しっかりと明瞭に聞き取れる。要するに声がでかい。
「「赤太ごめんっ! あと五分だけ待って。超特急で済ませるからっ!」」
「おう」
急に音量がでかくなったと思ったら、話すなりプツリとインターホンが切れた。
幸い高校への通学手段は徒歩。電車やバスだったら、遅刻ということもあり得たけど、徒歩なら走れば帳尻を合わせられる。
今までも、こんなことが無かったわけじゃないけど、大して気にならなかった。もちろん今日も。
数分、島郷家の外観をぼうっと眺めていたら、霞流が玄関から押し出されるように出てきた。
「ごめんごめんっ! あ、おはよう赤太」
真っ黒なナチュラルボブに、綺麗に揃えられたぱっつんヘアー、そこからニカっとした笑顔が少しだけ見えた。
「おはよう。……早めに歩こう、初日だし遅れたら流石にばつが悪い」
「そだね」
新しい高校のブレザーを身にまとった彼女は、そう言って俺と学校に向かった。
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「男子の制服は、変わらず学ランなんだねー」
「確かに。……まあこっちのほうがしっくりくるかも。……女子は結構変わったね。そのなんていうか……」
「……」
変なことを口走ったせいで会話が滞る。正直、朝、玄関口で霞流を見たとき、すごく似合ってると思った。でもそんなことを口にするのは何か違うと思ったので、心の中に封印した。
「急いで着たんだけど……そ、その……。似合ってる……?」
「……似合ってる」
「よかったあぁ」
めちゃくちゃ安堵しながら早歩きしている霞流は、端から見るとすごい変なんだろうなあ。まあ俺も早歩きしてるんだけど。
「その、私が遅れたこんなときにいうのも何なんだけどさ、その、もうちょっと……恋人らしくしない?」
「……」
恋人らしくって言われても今更感がすごいし、何より付き合い始めたのなんて、ほんの数週間前である。
「一緒にいる期間が長すぎて、急に変えろって言われても難しい」
「でも、赤太から告白したんじゃん」
『でも』の使い方が少しおかしい気がしたけど、それを言ったら面倒なことになると思ったので言わなかった。あと、俺から告白したのは本当なので、正直黙るしかなかった。
「具体的にはどうすればいいの?」
「うーん、デートとか?」
もう一度言うが、二人とも、朝の住宅街を早歩きしながらこんな会話をしている。
「デートならいつもしてたじゃん。霞流の服見に行ったりとか、夜ご飯食べに行ったりとか」
「確かに。……ってあれはなんていうか……その、違うじゃん!」
「何が?」
「うーん。やっぱ同じか……」
正直、付き合う前から変に仲が良かったせいで、付き合ってからこういうことになってしまっている。
「……それにしても霞流も合格出来てよかった」
「ちょっと、めっちゃ強引に話し逸らしたっ! ……まあ確かに合格出来て良かったけど……」
現在目的地の学校に入るのは本当に骨が折れた。偏差値六十五、とスーパーエリート校とまではいかなくても、そこそこ頭がよくて、地元の中学校が近いから倍率が1.8倍くらいあって、四割くらいの人が落ちる結構な難易度だ。
「ほんと数学の試験は死ぬかと思ったよー。赤太に教えてもらわなかったら絶対落ちてたー」
「あの時は、霞流もめっちゃ頑張ってたし、もともと才能があったってことじゃない」
「またまた~。そんなこと言っても、昼ご飯はおごりませんぞ赤太殿っ!」
そろそろ早歩きしながら喋るのも疲れてきたころ、例の高校、県立喜納高等学校の校門が見えてきた。
「歩いた距離は中学校と変わんないから、なんか高校感ゼロだねー」
「ある意味それが最大のメリットだからね」
こんな近場でなきゃ、霞流はもう少しランクを落とした高校に通っていたはずだ。
「私、満員電車だけはどうもダメなんだよねー。ほんと頑張った甲斐があった!」
「それは同意」
校門付近には、花飾りで飾りつくされた『入学式』の看板と、新入生をお出迎えするかのように十数人の先生たちが、昇降口に向かってレールを敷くように並んでいた。
「なんかビビっちゃうね、もう高校生なんだ私たち」
「先生たちがあんなにニコニコなのは今だけでしょ」
「あー、もうっ! なんで赤太はすぐそういうこと言うのっ!」
「ごめん」
「謝るのはやっ!」
そんなこんなで、誘導されるままに校舎へ足を踏み入れた。
俺と霞流が違うクラスなのは元から知っていたので、ここでお別れになる。
「赤太は九組だっけ? 私は二組だから……じゃあまた後で!」
軽く手を振り返して、俺は廊下の突き当り、九組の教室に入った。