ヴァルプルギウス、夜霧の館④/ラティエルと真実
ミカエルとクロネがヴァルプルギウスの領地に入る前。
時間は少し遡り、ラティエルがヴァルプルギウスの領地に入った頃。ラティエルは揺れる馬車の中でこれからどうなるかを考えていた。
「第一真祖『老血』ヴァルプルギウス……最古にして最強の真祖。第二、第三真祖を不死にした吸血鬼……」
これだけの情報しか知らないが、絶望的だった。
どういう技術か魔法なのかは知らないが、天使の力は封じられている。吸血鬼の技術は相当な進歩をしているようだ。もしこの技術が外に流出すれば、人間でも天使に勝てるかもしれない。
ラティエルが知っているのは、ヴァルプルギウスが最強の真祖ということだけ。自分は間違いなく血を吸われる。
「……なんとか逃げなくちゃ。ミカちゃんが探してるかも」
だが、天使の力を封じられているラティエルは、人間の少女と変わらない。
というか、ラティエルが天使の力を解放しても、ヴァルプルギウスはおろか吸血鬼を相手に戦うことはできない……十二使徒と言えども、戦闘に特化した能力ではないのだ。
そして、馬車は止まった。
「降りろ」
御者をしていた吸血鬼に促され、ラティエルは馬車を降りる。
ここは、どこなのか。
周囲を見ても霧に包まれていてわからない。
というか、どう見ても森だ。霧に包まれた森のど真ん中にラティエルは立っていた。
「まっすぐ歩け。そのまま進めば到着する」
「……え?」
「いいから歩け」
御者の吸血鬼に言われ、ラティエルは歩きだす……今は逆らえない。
言われた通りに歩くこと一分。急に目の前が明るくなり、ラティエルは目を閉じた。
「ぅ───まぶし」
「ようこそ。聖天使協会十二使徒……ええと、ラティエルだったかの?」
「……え」
目を開けるとそこは、なんとも古めかしい家の中だった。
木造りの簡素な家の一室とでも言えばいいのか。暖炉がパチパチ燃え、簡素なテーブルと椅子が並び、テーブルの上にあるカップからは湯気が出ている。
いつの間にか、後ろにいた御者の吸血鬼は消えていた。
ラティエルの目の前に、初老の男性が揺り椅子に座っている。
「……だ、第一、真祖」
「ほ。自己紹介はいらんの。ほれ、座れい」
「え、あの」
ヴァルプルギウスは、近くの椅子をラティエルに勧める。
おかしいくらい、敵意が感じられなかった。
ラティエルが座ると、ヴァルプルギウスはお茶の支度を始める。
「どうせ、変な噂にでもなっとるんじゃろう? 第一真祖はバケモノだの、天使を何人も殺したのだと」
「え」
「ふふ、だいたいわかる。ほれ、お茶でも飲め」
ヴァルプルギウスは手際よくお茶を淹れ、ラティエルの前にカップを置く。
椅子に座り直し、自分のカップを手に持つと、未だ硬直しているラティエルに言う。
「ほれ、飲みんさい。せっかくの茶がぬるくなる」
「え、あ、はい……いただきます」
「ほほ。じゃ、かんぱい」
飲むべきか迷ったが、ラティエルはお茶を飲む……そして。
「あ……おいしい」
「そうじゃろ? ふふふ、紅茶の名産地であるホワイトパールから仕入れておる」
「ホワイトパール……え、まさか、外交を行って!?」
「当然じゃ。ま、おおっぴらにはできんからこっそりとな」
独自の文化を築き、他国とは一切のやりとりをしないブラックオニキスが、ホワイトパールと貿易を行っていたことにラティエルは衝撃を受けた。
「安心せい。あとで家まで送ってやる」
「…………血を、吸わないのですか?」
「考え方が古い。血を飲まんでも吸血鬼は生きていける。肉や野菜を食べればいいし、血はあくまでも嗜好品じゃ。ハンプティダンプティのような吸血主義者、ツァラトゥストラのような異常吸血主義者と一緒にするいでない。むしろ、わしはそういった奴らから人間や天使たちを保護しておる……ほれ」
ヴァルプルギウスが指を鳴らすと、部屋の窓が開いた。
ラティエルが視線を向けると、そこには。
「え……うそ、なにこれ」
「驚いたかの?」
「…………」
ラティエルが見たのは……『町』だった。
天使、獣人、人間、そして……吸血鬼。それ以外の種族もいた。
この家は、街中にある何の変哲もない一軒家だ。外の往来には様々な人があふれかえっている。
今まで、いろいろな人間の町を見てきたが、ここはそれらと同じだ。
店があり、商売があり、活気があり……吸血鬼の国とは思えない。
「同じじゃよ」
「え……」
「人も天使も獣人も、吸血鬼も同じじゃ。この世界に生きる一つの命に変わりない。わしは、ハンプティダンプティのところで作られた命を可能な限り引き取り、この地に住まわせておる。もちろん、強制はしない。仕事もあるし、娯楽もある」
「な、なんで……」
なんで、そんなことを。
ラティエルは聞くしかなかった。
第一真祖『老血』ヴァルプルギウスは、最強の吸血鬼だ。
吸血鬼は、排他的な社会を作り、何者とも関わらないはずじゃなかったのか。
その前提が崩されていた。
「何を勘違いしておる。わしは昔から変わらんよ。全ての種族は皆平等だと思っておる……まぁ、そんなことを言っても天使は信じないし、ハンプティダンプティとツァラトゥストラも信じない。この国を守るために戦ったこともあるがの」
「…………」
ヴァルプルギウスは、善人だった……のか。
ラティエルは十二使徒で最も甘い性格をしていると言われている。このヴァルプルギウスの言葉全てを信じかけていた。
「わ、私は……」
「別に信じても信じなくてもええ。お前さんは家に帰してやるし、このことを上に報告するのもしないのも自由じゃ。ただし……ここの暮らしや平和を害するなら容赦はせんぞ」
「っ……」
一瞬だけ向けられた本気の殺気に、ラティエルは竦む。
この真祖は……いや、吸血鬼は違う。閉鎖的な種族だから情報が少ないということもあった。憶測だけで吸血鬼の情報を計ったこともあった。
だが、もしかして……間違っているのは、天使側なのでは。
ラティエルは、もう一度外の景色を見る。
「……」
「気になるなら、見てくるといい」
「……いいんですか?」
「うむ。もとより、お前さんを縛るつもりはない」
「……あの、その前に質問していいですか?」
「む? なんじゃ」
「どうして……人や天使を作ってまで、血を飲むんですか?」
「……ハンプティダンプティのことじゃな」
「はい」
ラティエルは、この国がほかの真祖の国とあまりにも違うことが気になった。
同じ真祖なのにどうして。人や天使、獣人を製造してまで血を求めるのか。
「……歪み切ったあやつらの行いはわしにも止められん。真祖は不干渉というルールがあるしの。真祖の立てたルールは絶対……どうしようもないのじゃ。だからわしはできる限りの範囲で人や天使を保護しておるのじゃよ」
ヴァルプルギウスは深くため息を吐く。
「この国のことは気にせんでもええ。ほれ、気分転換に町で散歩でもしてこい。その間、お前さんの帰り支度を済ませておくからの」
「あ、あの……たぶんですけど、私の友達が来てるかも」
「む? 友達?」
「はい。ミカちゃん……ミカエルが」
「なんと。炎のミカエルとは……わかった。迎えを出そう。おそらく、『夢幻老獄』に囚われるしの。おーい、オードレン」
「はい、マスター」
すると、どこからともなく一人の男性が現れた。
二十代の優し気な男性。やはり吸血鬼だろうとラティエルは思う。
「話は聞いとったな? 迎えに行っておくれ」
「かしこまりました」
そう言い、男性は消えた。
「さ、お前さんも外の空気を吸ってきなさい」
「……はい」
ラティエルは立ち上がり、外へ通じるドアノブを手にし───振り返る。
「あの、ありがとうございます。私……あなたを信じます」
「ほ。ええよええよ、そんなこと気にせんでも……ほれ」
「はい。では、失礼します」
ラティエルは、家の外へ出ていった。
「……ふむ。ちと優しすぎるのぉ」
ヴァルプルギウスは、苦笑してラティエルを見送った。
◇◇◇◇◇◇
ラティエルは、一人で町を歩いていた。
整備された道、立ち並ぶ家屋、商店。そして、大人も子供もみな、幸せそうに往来を歩いている。
ここに、種族の違いという対立はない。
天使の世界、人の世界、獣人の世界を知らずに生を受けた者たちの町だからなのか。
普通の町と違うのは、高い天井があり壁があるくらいだ。どうやらここは、町というより、国一つを壁と天井で覆った『家』ということだ。皆、家族のようなものだろう。
「……どうしよう」
聖天使協会に、アルデバロンに報告したらどうなるだろうか。
天使と言えども、吸血鬼には易々と手は出せない。知ったところでどうしようもないのだが……ラティエルは、もう吸血鬼を敵とは思えない。
「はぁ~……」
ラティエルは公園のベンチに座り、天井を見上げた。
このまま待てば、ミカエルがきっとくる。そのまま合流して聖天使協会に戻り報告すればいい。
自分は休暇なので問題ないが、ミカエルは何らかの罰を受けるだろう。
「……うぅん。そんな風に逃げちゃダメだよね」
休暇なんて関係ない。自分はミカエルと一緒に行動していたのだ。
勝手なことをした罰は受けるべき───。
「ん───?」
そこまで考えを巡らせたラティエルは、見た。
天井に亀裂が入っている。
いや、違う……亀裂が、どんどん深く入っていく。
「な、なに……なに?」
ビシビシ、ビシビシと、亀裂が広がり爆ぜた。
煉瓦のような者が町に落下した。
住人が一気にパニックになる。ヴァルプルギウスの部下らしき吸血鬼たちが現れ、住人を避難誘導し始めた。
何が起きたのか。
「───え、うそ、あれは……」
ラティエルは見た。
亀裂の外から、翼を広げた天使が現れるのを。
「おぅい!! お嬢ちゃん!!」
「あ……ヴァルプルギウス、さん」
「これはいったい……わしの『夢幻老獄』が破られただと!?」
ヴァルプルギウスが、杖を付いてやってきた。
ラティエルは空を見上げ、あり得ない物を見る。
「……あれは、天使じゃな」
青いツインテールを揺らし、棒付きキャンディを咥えて嗤う少女がいた。
ヴァルプルギウスはの目が殺意を帯びる。
「───お待ちを。あなたが動くという『答』はないのですよ」
「っ!?」
トン、と───ヴァルプルギウスの肩に誰かが触れた。
それだけで、ヴァルプルギウスは無力化された。
動けず、跪く。
「む、ぬぅぅ……き、貴様!!」
「ははは。天使のお嬢さんがやる気のようで……少し、手を貸そうと思いましてね」
「あ、あなた……く、黒天使!?」
「はじめまして。小生はキトリエル……以後、お見知り置きを」
優雅に帽子を外し一礼。微笑みすら浮かべていた。
ラティエルは一瞬だけ上空を見上げ、すぐにキトリエルへ視線を……。
「え……あれ!?」
キトリエルは、消えていた。
そして、青いツインテールの少女が動きだし、ラティエルの近くまで飛んできた。
「あれぇ? ラティエルじゃぁん……んふふ、裏切り者み~っけ」
「さ、サっちゃん!! なんでこんな。吸血鬼の国を襲撃するなんて!!」
「はぁ~? ウチが受けたのは裏切り者の始末だしぃ」
「え……」
「悪いけど、あんたらには死んで……あり? ミカエルは?」
「ここにはいないよ。裏切り者ってなに、どういうこと!?」
「うっせぇなぁ……いいから死んどけ!!」
サリエルは人差し指をラティエルに突きつける。
「『氷飴』」
すると、指先に『氷』の球体が一瞬で形成され、ラティエルに向けて発射された。
「『護法障樹』」
ラティエルは地面に手を向ける。
こちらもまた一瞬で『大木』が形成され、氷の球体と衝突した。
氷は砕け散ったが、大木には傷一つない。
「うっぜ……守ることしかできない雑魚が」
「……サっちゃん、もうやめてよ……私だって怒るよ?」
「はっ、好きにしろよ。裏切り者は始末してやるからよぉ!!」
聖天使協会十二使徒『氷』のサリエル。
聖天使協会十二使徒『樹』のラティエル。
天使同士の戦いが始まった。