ヴァルプルギウス、夜霧の館③/幻影
「…………なんかイライラしてきたわ」
「お、落ち着くにゃん!!」
ミカエルとクロネは、二時間ほど不思議な館を探索していた。
驚くほど人気がない。それに、ドアを開けるたびに部屋が変わる。ロビーに戻ろうと思ってきた道を引きかえしたら、なぜか浴場に出た。
出口、入口がない。
どこをどう歩いているのかもわからない。
つまり……。
「ま、迷子にゃん……どうしよう」
「燃やす」
「まま、待つにゃん!! 冷静に考えるにゃん……」
クロネは、通路の両側にある無数の扉の一つを開ける。
そこは書斎だった。数千冊の蔵書にそれを納める本棚、横長の長い机、フカフカのソファがある。
クロネはソファに触れて感触を確かめて座る。
「不思議にゃん。同じ部屋は一つもないのに、家具や本は全て本物……どうなってるのかにゃん?」
「…………間違いなく、敵の術中ね」
ミカエルの剣が一瞬だけ燃え上がり消えた。
そして、クロネと向かい合うように座り、足を組む。
「幻影、幻惑なのは間違いない。この建物や家具が本物なのも……」
ミカエルはソファを叩く。
クロネはネコミミをぴこぴこ動かし、書斎を眺める。
「でも、人の気配というか、この部屋には人の痕跡の匂いがしないにゃん。うち、人の匂いには敏感にゃん。人が触れた物の匂いとかもわかるけど……ここにはそれがないにゃん」
「じゃあ、ここは侵入者用の家ってことね」
「にゃん。それなら、侵入者の匂いが少しでも残ってるはずにゃん。ここ、家なのに家じゃないみたいな……」
「はぁ?」
「人が作った家、家具がある限り、どんな家にでも人の痕跡はあるにゃん。でもここにはそれが全くない……一切の手を振れずに家を建築したような不自然さがあるにゃん」
「…………難しいことはいい。間違いないのは、真祖があたしらを拒んでるってことね」
「どうするにゃん? このまま歩き続けてもきっと出口どころか入口も見つからないにゃん」
「…………」
ミカエルは少し考えこみ、ゆっくり立ち上がる。
「ねぇ、ここは敵の術中よね?」
「……た、たぶん」
「真祖……『老血』ヴァルプルギウスは見てるかしら?」
「……たぶん」
「なら、試す価値はあるわね」
「にゃ?」
ミカエルは大きく息を吸い……。
「あたしは聖天使協会十二使徒のミカエル!! 真祖ヴァルプルギウス!! 見て聞いてんなら……姿を現しなさい!! あたしはできれば戦いたくない!! ラティエルを迎えに来ただけ!! 姿を見せなさーーーーーーいっ!!」
怒鳴り声に近い勢いで叫ぶ。
いきなりの大声にクロネは驚き、ネコミミを慌てて塞いだ。
ミカエルは叫び終えると肩で息をする。
「はーはーはーはー……どうよ」
「い、いきなりどうしたにゃん……うちの耳、取れるかと思ったにゃん」
「一応、警告のつもり。あたしを知ってるなら姿を見せるだろうし、これで何も反応がなければ……実力行使しかないわ」
「にゃ……ん?」
キィィー……と、何もしていないのに書斎のドアが開く。
ミカエルは『焱魔紅神剣レーヴァテイン・プロミネンス』を顕現させ、刀身に炎を纏わせる。
クロネもネコミミを立たせ、全力で警戒した。
「…………どう?」
「…………何も感じないにゃん」
「じゃ、行くわよ。警戒は続けなさい」
「にゃん。あんたも気を付けるにゃん」
「ええ……」
二人はゆっくりとドアに近づく。
そして、ミカエルは思い切りドアを蹴り、通路に飛び出し……。
「え……!?」
「にゃ……!?」
そこは、通路ではなかった。
整えられた芝生。明るい陽射し。石畳の道が伸び、その先には小さな家がある。
そして、ミカエルとクロネの前に、一人の青年が立ち、一礼した。
「いらっしゃいませ。ヴァルプルギウス様の『館』へ。私は案内役のオードレンと申します」
「……ここはどこ。あんた、吸血鬼ね」
「はい。ヴァルプルギウス様にお仕えする吸血鬼でございます」
外見的には二十代ほどだろうか。
だが、見た目は当てにならない。天使も同類だが、吸血鬼は悠久の時を生きる種族だ。
それに、オードレンと名乗った吸血鬼は……十二使徒クラスの力を持っているとミカエルは見抜く。正直、本来の三割程度しか力が回復していない今、相手にしたくなかった。
「ご安心ください。『夢幻老獄』から出されたということは、ヴァルプルギウス様はあなた方を客人と認めたということ。戦闘の意思はありませんので」
「夢幻、老獄?」
「はい。ヴァルプルギウス様の『老血』で作り出した幻の世界です。敵意や悪意を持つ者がこの『ヴァルプルギウスの夜館』に侵入すると囚われる霧でございます」
「にゃん……そんなのが」
「ちょっと待って……な、なにこれ」
ミカエルは空を見上げた。
クロネは意味が分からず、ミカエルに釣られ空を見上げ……仰天する。
「にゃ、にゃにこれ……て、天井!?」
ここに、『空』はなかった。
代わりに、空全体を『天井』が覆っていた。天井が発光してこの明るさなのだ。
それだけじゃない。天井を追って視線を巡らせると、なんと『壁』があった。
オードレンは、にっこり笑って言う。
「そうです。ここ、『ヴァルプルギウスの夜館』は……領土全体を一つの『家』なのです」
ヴァルプルギウスの領地が、一つの家。
つまりここは、家の中。
壁も天井も部屋もある。家の中だった。
「こ、こんなの知らなかったわ……」
「あはは。吸血鬼は閉鎖的な国ですから」
「あははって……そんなレベルじゃないにゃん」
「ここはひとつの家ですが、それぞれの『個室』……ああ、『町』と言った方がわかりやすいですかね。が、いくつかありますよ。あなた方の目的は、つい最近ここに来た天使のお方ですね?」
「!!」
ミカエルはオードレンに詰め寄る。
「ラティエルを返しなさい」
「まずは、我が主に会っていただけますでしょうか。話はそこからです」
「……いいわ。一応言っておく。ラティエルに何かしたら、あたしは本気で暴れるからね」
「かしこまりました」
オードレンは優雅に一礼。クロネはミカエルを慌てて押さえた。
こうして、ミカエルとクロネはヴァルプルギウスの元へ向かうことになった。