ハンプティダンプティ、夜の宴②/『黒血』ハンプティダンプティ
それは『夜』が女を模ったようなナニカだった。
漆黒のドレス、青白いを超え純白のような肌、濡羽色の髪、そして……この世の物とは思えない美しく妖艶な肢体。
『それ』が現れた瞬間、全ての吸血鬼たちはその場に跪いた。
「……なに、こいつ」
あまりにも異次元すぎる強烈な存在だった。
強い、弱いというカテゴリーに属さない『何か』に、カグヤの背に冷たい汗が流れ落ちる。
それは、プリムとアイシェラ、そしてラティエルにとっても同様だった。
「ひ、っひ……」
「お、お嬢様……ちょ、直視してはいけません」
「まさか、なんで……し、真祖」
真祖。
このブラックオニキス最強の吸血鬼。その三人の内の一人。
吸血鬼の『女のようなナニカ』は、うすぼんやりとした表情で中途半端に虚空を見つめ、ほんの僅かに鼻をスンと嗅いだ。
「匂う」
「……は?」
カグヤは、震える心に喝を入れる。
神風流『不動心』で、揺れない心を保ち、目の前のナニカに向けて構えを取る。
幸い、周囲の吸血鬼は跪いたままだ。弱点が判明した今、この周りの吸血鬼はカグヤの敵ではない。油断ならない相手もいるが、目の前の女が現れた時点で周囲の吸血鬼たちの戦意が消えていた。
そして、女吸血鬼はカグヤを真正面から見た。
「初心なおなごの匂い、じゃ」
「───っ」
「ククク……久しぶりの馳走、しかも四人……」
女吸血鬼が、ペロリと舌なめずりした。
不動心が、崩れかけた。
目の前の女の目が、赤く蘭々と輝いた。
カグヤは、生まれて初めて『恐怖』した。
こいつはヤバい。只者じゃない。戦う逃げるの次元じゃない。自分は捕食される。
「っっだらぁぁっ!! なめんじゃないわよ!!」
カグヤは両足を思い切り地面にたたきつけ平静を取り戻す。
「アンタ!! ここはアタシが何とかするから、その代わりそいつら連れて逃げなさい!!」
「無理だよ……もう、逃げられない。『黒血』ハンプティダンプティ……最強の吸血鬼の一人がもう、私たちを見ている……」
「っく……プリム、アイシェラ!!」
「……ぁ」
「……はぁ、はぁ」
プリムは震え、アイシェラは汗だくでプリムを守ろうと前に出た。
完全に、呑まれていた。
目の前の女、ただ見ただけで戦意を根こそぎ奪った。まだ何もしていないのに。
だが、そんなこと……カグヤは許さない。
「吸血鬼……こいつも吸血鬼なのよね!! だったら……倒せる!!」
「やめっ、止めなさい!!」
飛び出したカグヤをラティエルは止めようとしたが、カグヤはすでに走り出していていた。
右足を形状変化、鋼鉄のように硬化。
跳躍し、右の前蹴りを繰り出す。狙いは女吸血鬼の心臓、吸血鬼の急所だ。
「裏神風流、『流星杭』!!」
左足をバネのように変化させ、跳躍力を強化。カグヤの飛び蹴りはまっすぐ女吸血鬼の心臓を狙う……が、女吸血鬼は動くことも、心臓を守ることもしなかった。
「おらぁっしゃぁぁぁーーーっ!!」
恐怖を誤魔化すように叫び、カグヤの右足が女吸血鬼の心臓を貫いた。
真っ赤な血が女吸血鬼の背中から噴き出し、女吸血鬼は吐血した。
「おらぁぁぁっ!! 死ね「恐れなくてもよい」───え」
死なない。
心臓が滅茶苦茶に破壊されているのに、女吸血鬼は死んでいない。
そして、気が付いた。
カグヤの足が抜けない。真っ黒な血が、返り血となってカグヤを濡らす。
「な、なにこれっ!?」
「ふふ……可愛い、可愛いのぉ……恐れ、誤魔化し、勇み……あらゆる感情が混ざりあっておる」
「ア、アンタ……なんで心臓、なんで!!」
「わらわは、弱点を……死を克服した吸血鬼」
「このっ」
右足が抜けないなら、このまま身体に突き刺さったまま固定。
カグヤはその体勢のまま、左足で女吸血鬼の首を切断しようと足を振り上げる。だが、今度は女吸血鬼に防御されてしまった。
「ふふっ───まずは味見」
「は、離せこのアホたれ!! ぶっ殺「───カァァッ」
がぶり。
女吸血鬼の首が伸び、カグヤの首筋に食らいついた。
「っひ……っが、あぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?」
じゅるじゅる、じゅるじゅる、じゅるじゅる。
カグヤの力が急激に抜けていく。血が吸われていく。
完全に力が抜けると同時に、女吸血鬼の口が離れ、カグヤの足も抜けた。
力なく、カグヤは崩れ落ちる。
「甘い、少し癖の強い蜜……ふふ、いい味じゃ」
女吸血鬼は長い舌を伸ばし、唇をペロリと舐める。
そして、ラティエルを見て言う。
「聖天使協会は、吸血鬼に干渉しないはずではなかったかの?」
「……ここに来たのは事故です。お願いします、ここから帰してください」
「無理。無理無理。極上の天然物の処女が四人、わらわの国に迷子になったのじゃ。手厚く歓迎せねばなるまいて……ふふふ」
「それは、聖天使協会十二使徒である私に対しての宣戦布告。敷いては、聖天使協会に対する戦争行為ということになりますが……お覚悟はあるのでしょうか」
「もちろん。吸血鬼が天使ごとき恐怖するとでも? 教えてやろう、吸血鬼の弱点が心臓というのは過去の話……上位の吸血鬼はすでに弱点を克服しておる。天使が最強種というのも過去の話じゃて」
「…………」
「おとなしく捕まれ。なぁに、殺しはしない……わらわの食事として飼ってやる。ふふふ……」
「…………わかりました」
ラティエルは、気を失って倒れているプリムとアイシェラの傍に。
「何度でも言います。手荒な真似は」
「しない。約束しよう……ああ、こちらのおなごもな」
吸血鬼の女こと、真祖ハンプティダンプティはカグヤを見下ろす。
ハンプティダンプティはそれ以上言わず、闇に溶けるように消えた。
同時に、周囲の吸血鬼たちがカグヤを拘束、ラティエル、プリムとアイシェラも拘束した。
ラティエルは、ハンプティダンプティが消えた向こう側に向かって言う。
「ああ、言い忘れたけど……炎の天使と地獄炎の呪術師が、ここに向かっているかもね」




