ブルーサファイア王国にて
ブルーサファイア王国・ギーシュの別荘。
現在、ここはプリムとアイシェラの仮自宅となっている。フレアが出発してかなり経ち、プリムとアイシェラはようやく生活にも慣れてきた。
そして、今日。プリムとアイシェラはお客様をお茶に招き、家の所有者でもあるギーシュも誘った。
ギーシュは、町で女友達でもできたのかと思い、軽い気持ちで別荘へ……そして。
「ああ、ようやく来たねギーシュの坊。ほれさっさと来な、お茶の時間さね。プリム、紅茶はミルクと砂糖たっぷりで生クリームを忘れんじゃないよ」
「は、はい」
「アイシェラ、あんたは茶菓子を用意しな。ケーキがあっただろう?」
「う、うむ……承知した」
「…………え」
そこにいたのは、杖を持った老婆だった。
外見は九十を超えてそうな老婆だったが、そこに弱々しさなど微塵も感じない。
それもそのはず。この老婆は只者ではない。このブルーサファイア王国を影から支えてきた『堕天使』の一人、ガブリエルなのだから。
当然、ギーシュはガブリエルの顔を知っていた。
「ががが、ガブリエル様……!? なな、なぜここに」
「あん? 決まってんだろ。プリムのお茶会に呼ばれたから来たのさ。なんだいあんた、あたしがここに来ると何か都合でも悪いのかい?」
「めめ、滅相もない!!」
「ならさっさと座んな。突っ立ってると迷惑さね。あと護衛、鬱陶しいから消えな」
ガブリエルが杖で床をトンと突く。それだけでギーシュの護衛はガクンと項垂れ、まるで操られているかのように部屋を出た。
こうして、お茶会が始まった。
ギーシュはダラダラ汗を流し、甘すぎて胸焼けしそうな紅茶を飲む。甘すぎるのだが、今のギーシュは味がよくわからない。
ガブリエルは紅茶を飲み干すとニヤッと笑った。
「ほお、いい味さね。プリム、なかなかやるじゃないか」
「あ、ありがとうございます!!」
「ふふ。可愛いねぇ……よし決めた。プリム、あんたは今日からあたしの孫だ。ギーシュ、手続きは頼むよ」
「「「え」」」
驚愕する三人を置いてガブリエルは続ける。
「プリム、あんた住所がないんだろう? あたしの孫になれば万事解決さね。使ってない家もくれてやるし、たまーにあたしの相手をしておくれ」
「ちょちょちょ、がが、ガブリエル様!? おお、お待ちください!!」
「なんだい」
ギーシュは慌てて止める。それもそのはず、ガブリエルの言うことは、これまでのギーシュの努力を全て水泡に帰す行為である。
住所ができてしまえばプリムはここにいる理由がない。すぐに家を出てガブリエルの家に住み始め、冒険に出てしまうだろう。
「その、手続きがありますし」
「それをやれって言ってんだよ。あんたが使えないならあたしが王に言うだけさね。プリムをあたしの孫にするからね……ってね」
「うっ……」
ガブリエルは、ブルーサファイア国王が子供の頃から知っている。この国を天使の脅威から救ったこともあるし、ガブリエルという後ろ盾があるからブルーサファイア王国は発展してきた。
ガブリエルの存在こそ知っていたが、ここ数十年、政治的なことには一切口出ししないし隠居していると、父も兄も言っていた。
まさか、ガブリエルがギーシュに接触。しかもプリム絡みでこんなにもグイグイ来るなんて想像すらしていなかった。
それに、ガブリエルを敵に回すわけにはいかない。
「……わ、わかり、ました」
「じゃ、頼むよ」
「……はい」
ギーシュは深く項垂れ、甘ったるい紅茶を飲み干した。
「おい」
「え?」
「あたしは、頼むって言ったんだ。さっさと仕事しな!!」
「ひぃぃっ!? はは、はいっ!!」
ギーシュは慌てて別荘を脱出した。
◇◇◇◇◇◇
プリムとアイシェラは完全に置いてきぼりだった。
プリムは、ギーシュが出て行った方向を見て言う。
「あ、あの……さすがに可哀想というか」
「いいのさ。ああいう有能そうなガキは大人に叱られたこともないまま大人になっちまう。ケツ叩いてまっすぐ伸ばさないと歪んじまうのさね」
「なるほど……流石ですな、ガブリエル殿」
アイシェラは、プリムが安心して暮らせる場を提供してくれるガブリエルに敬意を持って接していた。
最初こそ印象が悪かったが、話をしているうちにわかったのだ。この人は信用できると。
「さーて、これで安心して暮らせるね。あたしの家をくれてやるから好きに使いな。場所は……」
ガブリエルの自宅の場所を聞き、プリムとアイシェラは荷造りをして家を出た。
ギーシュの別荘から馬車で一時間ほどの場所にある、二階建ての簡素な家だった。裏手が砂浜になっていて、プライベートビーチになっている。
馬車から降りて荷物を降ろし、ガブリエルと一緒に家の中へ。
「あの、本当に……」
「構わないさ。昔にもらってほとんど使ってないからね」
それにしては綺麗に掃除されている。人の手が入っているのは間違いない。
ガブリエルはソファにどっかり座り、プリムとアイシェラも座った。
「あの……どうしてここまでしてくれるんですか?」
プリムの疑問だ。
カフェで出会ってからまだ数日しか経っていない。天使ということも驚いたが敵意はないし、ホワイトパール王国の事情を話しても『そうかい』しか言わない。ギーシュの別荘に住んでることを話すと少しだけ考え込み……『わかった。じゃあ近くお茶を飲みに行くよ』とだけ言った。
その結果。プリムはガブリエルの孫になり、あっさりと自由になった。
「別に。あんたが気に入ったってことに間違いないよ。あたしと妹の力を僅かに受け継いでるあんたは他人とは思えなくてね」
「……お嬢様が天使の?」
「そうさね。たまーにいるのさ、天使の力を僅かに持つ人間がね。『半天使』……ああ、人間は『特異種』って呼んでるのか」
「……私が」
「そう。あんたはあたしの『癒』と妹の『水』属性を持つ。怪我の治療に特化している能力を持っているようだね……ふん、ジブリールの『水』が濃いみたいだ。病気より怪我を治すのが得意だね?」
「は、はい。その……『神医』って呼んでます」
「はは、いい名じゃないか」
いろいろな事実に驚きつつも、プリムたちはガブリエルの好意に甘えることにした。
あとはフレアの帰還を待ち、冒険に出発するだけ。
しかし───。
「さて、あんたたちに頼みがあるんだけど……受けてくれるかい?」
ここまでしてくれた恩人の頼みを、断れるはずもなかった。
◇◇◇◇◇◇
ガブリエルの頼み、その内容は。
「手紙を届けてほしいのさね」
「て、手紙……?」
「ああ。昔馴染みにね」
ガブリエルが指を鳴らすとテーブルの上に小さな魔方陣が展開され、丸めた羊皮紙が入った筒が現れた。
ガブリエルはそれを手に取り、プリムに渡す。
受け取ったら、もう引き返せない……そんな気がした。
でも、受け取るしかない。
「これをイエロートパーズ王国に住んでるダニエルに届けておくれ。あのバカ、強いくせにビビりで連絡手段を断っちまってね……直接行くしかないのさ」
「だ、ダニエルさん、ですか?」
「ああ。あたしと同じ堕天使さ」
堕天使。
聖天使教会を裏切った八人の天使。そのうちの一人に手紙を届ける……。
プリムはゴクリと唾をのむ。
「船の手配と案内人は付けるよ。おーいネコミミ!! こっち来な!!」
ネコミミ?という疑問はすぐに解決した。
「ネコミミって言うなにゃん!! うちはクロネにゃん!!」
「クロネニャン、仕事だよ。プリムたちをイエロートパーズ王国に案内しな」
「ク・ロ・ネ!! クロネ!! クロネが名前……あれ、あんたら」
「「く、クロネ!?」」
「おや、知り合いかい?」
なんと、暗殺者クロネがエプロンに三角巾を被って掃除をしていたのである。
久しぶりの再会なのだが、気になることが多すぎる。
「き、貴様。ここで何をしているのだ?」
「…………別に」
「ああ、このネコミミ、この家が空き家だと勘違いして入ったようでね、ちょうどいい小間使いが欲しかったから捕まえたのさ」
「にゃうん……」
クロネのネコミミが萎れてしまった。
話を聞くと、逃げようとすると全身が痺れて動けなくなる魔法をかけられたようだ。
「知り合いならちょうどいい。ネコミミ、この二人をイエロートパーズ王国まで案内しな。それが終わったら呪いを解いてやる」
「にゃんですと!? い、イエロートパーズ王国って魔法使いの国にゃん!! あそこは獣人差別もあるヤバい国にゃん、行きたくないにゃん!!」
「ならあと十年、しっかり償いをしな。あたしがこき使ってやる」
「にゃひっ!? うぅ……わ、わかったにゃん」
クロネのネコミミは萎れたままだ。
ガブリエルは指を鳴らすと、プリムの身体が一瞬だけ淡く輝く。
「わわ、これは?」
「少し、あたしの力を上乗せした。怪我だけじゃなく病気も治せるようにしておいたよ。それとこのネコミミが逃げないように鎖をあんたに移した。あんたに害を成そうとしたり逃げようとすれば全身に電気が流れるからね」
「にゃうぅん……」
さらに、ガブリエルは金貨の入った袋を置く。
「支度金さね。これで装備を整えな。出発は三日後、港に船を用意しておくからね。ネコミミ、イエロートパーズ王国の基礎的な知識を教えてやりな」
「わかったにゃん……こうなったらやってやるにゃん」
「じゃ、頼んだよ。期限はないからゆっくり遊びながら行くといいさ」
そう言って、ガブリエルは家を出た。
ガブリエルが去り、部屋は静寂に。
「えっと……」
「よかったにゃん。あんた、冒険に出れるにゃん。しかも目的地がイエロートパーズ王国……大冒険にゃん」
クロネがソファにダイブし、足をパタパタさせながらプリムに言った。
アイシェラは首を傾げる。
「イエロートパーズ王国……確か、魔法発祥の国」
「そうにゃん。閉鎖的な王国で外部からの入国は殆どないにゃん。魔法適性のある者と、数年に一度の物資輸入船のみ入国できるにゃん」
「そこに行くんですよね……大丈夫かな。それに、フレアもまだ到着してないし」
「仕方ない。ふふふ……お、お嬢様と旅行、あいつのいない旅行……うふふひひ」
「アイシェラ、気持ち悪い」
「うちもいるんだけど……」
アイシェラは気味の悪い笑みを浮かべていた。
こうして、プリムとアイシェラ、そしてクロネの旅が始まろうとしていた。