3、夜王子よ、いざゆかん
夏休みが終わると、安藤さんは学校に来なくなった。高橋先生は具合が悪いのだと言っていたが私はなんとなく学校を辞めたのではないかと思っていた。
私もその頃から学校を休みがちになっていた。
その日、私が学校をサボって昼下がりの木に囲まれた小川の流れる公園のベンチで読書に耽っていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「やーやー、君は昼下がりのOLか。」
宮元である。
「君も学校をサボったのか?」
私が尋ねると宮元は得意げに話した。
「先生には大便がしたいから帰りますと言ってきた。」
過去に大便がしたいからといって家に帰った生徒は居たであろうか。その言葉を聞いた時の宮元の担任の心中を思うと心が痛む。
「相変わらず馬鹿ですなあ。」
私は笑いながら言った。
「そうだ、川原に行かないか。今日は人魚が見れるかもしれないぞ。」
宮元が川原の方向を指差しながら言った。
川原に着くと宮元は煙草に火を点けた。私も一本もらって吸ってみた。げほげほとむせたが煙草を吸ったという事実がなんだか嬉しかった。この年頃の子供は大人の真似事が好きである。
「なぁ、お前なんかやりたい事あるか?」
突然宮元が私に尋ねた。
「やりたいこと?」
「たとえばバンドとか、恋とか、勉強とかさ。」
私は黙った。高校に入学して5ヶ月がたったが、これといって自分がやりたいことがわからなかったからだ。バンド活動は何をしたら良いかもわからずに練習だけしているという状況だし、安藤さんは学校に来なくなったし、勉強は嫌いでもないが好きでもない。いったい自分は何がしたいのであろうか。
「わからない。」
私は答えた。
「何かしたいよなあ。俺と拓馬とお前でさ。」
宮元が呟いた。宮元と拓馬は私を通じて仲良くなっていた。
「そういえばさぁ、もう学校辞めたやつ居るらしいぜ。」
突然宮元の口から出た言葉に私は不安になった。
「え?」
私は安藤さんの気だるそうな顔を思い出した。
「今日クラスの女子が話してた。名前はたしか、安藤とかいったっけな。」
どぼーん!私は川へと飛び込んだ。水が鼻に入ってツーんとした。
ああ、神よ。ついに私を見捨てたのですか。そこで私の意識は途絶えた。
目を覚ますと心配そうに私を見つめる宮元のにきび顔があった。
「よかった。生きておられたか。」
宮元の顔から力が抜けた。
「どうしたんだよ。急に川に飛び込むなんて。」
「いや、なんでもない。ちょっと魔が差しただけだ。それより助けてくれてありがとう。」
私は笑みを無理やり作って言った。
「おお、おかげで人工呼吸をする羽目になっちまったけどな。」
どぼーん!私はまた川へと身を投げた。
ファーストキスを宮元に奪われてから一週間がたった。私は遠藤さんが退学したことと、遠藤さんに捧げるはずだったファーストキスをあろうことかにきび野郎に奪われたダブルショックで今日まで寝込んでいたが、今日やっとの思いで布団から抜け出して学校へ行った。
下駄箱で上履きを引っ張り出したとき、一緒にノートの切れ端がさらりと落ちた。
そこにはこう書いてあった。
(今日深夜二時貴方の村の駅で待ってるわ。安藤)
私は腹を抱えて笑った。どうせまた拓馬のいたずらだろう。人をからかうのも大概にして欲しい。
教室に入ると拓馬にその紙切れを見せた。
「おい、こんなものにだまされるとでも思ったか。」
「あ、ついに学校に来た。風は治ったんですか?」
拓馬はけろけろ笑っていた。
「そんなことよりこの紙切れは何だ。」
私は拓馬を睨んだ。
「いや、しりませんねえ。どうしたの?」
「下駄箱に入っていた。お前だろう?」
私は拓馬を問い詰めた。
「いや、本当に知りません。だいたいそんなことをしても僕には何の利益もないだろう。」
拓馬はさらりと行った。
「本当か?怪しいな。」
私はにやりと笑った。つられて拓馬もにやりと笑った。
「二時か。」
親に寝ていると思わせるために電気を消した部屋で一人呟いた。
私は考えを巡らせた。本当に安藤さんは来るのであろうか。居たとして、私に何の用があるのだろうか。何でもいい。行ってみる価値はあるだろう。
時計は一時半を指している。親は寝たらしい。私は覚悟を決め両親に気づかれないように外に出て、自転車で雨の後の湿った道路を走り出した。
真夜中の駅は昼間とは違って真っ暗で何も見えない。街頭も消えている。本当にこんな場所に安藤さんは居るのだろうか。
辺りを見回すと、駅の待合室に人が座っているのがかすかに見えた。
私は期待を胸に待合室のドアを開けた。そこには安藤さんではなく、にやにやと不気味な笑いを浮かべる拓馬と宮元の姿があった。
「夜王子よ、いざゆかん」
二人の悪友の声が、真夜中の駅に響いた。