第四十五話『みお』の告白(3)
目覚めたら、わたしは皆からミチルと呼ばれていた。
どうやらわたしは、彼女の身体に憑依してしまったみたいだ。
そういうのって、自分の意志で行うものだと思っていたけど……。
わたしは激しく困惑した。
しかも、こういう状況になってはじめて気付いたのだけど。ミチルの両親は以前から不仲で、お父さまとは別居中。離婚調停の話が進んでいた。どうして、親友のわたしにひと言も相談してくれなかったのか。すこし寂しい気もするけれど……。
とにかく、こんな状況で「自分は本当は美緒なんです」と周囲に告白するわけにはいかない。そんなことを言っても、きっと誰も信じてはくれない。度重なる不幸の連続。そのショックで、気がおかしくなったと決め連れられるに決まってる。
ミチルの名誉の為にも、それは絶対に免れたい。だからわたしは成り行き上しかたなくではあるが、代役として『三沢ミチル』を演じることとなったのだ。
◇
ミチルの魂は、わたしの身代わりとなって天国へ旅立ってしまったのだろうか。それとも、この身体の奥底で眠っているだけなのだろうか。
わたしは、どうすればいいのだろう。そうこう悩んでいる間に彼女の両親は正式に離婚。ミチルは三沢から天野に姓が変わった。
とにかく、ぼろがでないように。わたしの正体がばれないように。それには余計なことを喋らないのが一番、無難だ。
色々と不幸が重なったので、ミチルは極端に無口になった。そんなキャラ設定を企て、わたしは心を病んだミチルを演じる毎日をやり過ごした。
◇
もしもミチルが目覚めたときの為にも。彼女の経歴に傷を付けるわけにはいかない。だからわたしは、必死に美大受験用のデッサンや色彩構成に励んだ。
ミチルはわたしより遥かに絵の実力が高かったので、代役が勤まるか心配だった。だけど、それは杞憂だった。身体が勝手に覚えているというか、染み付いているというか。彼女の能力を、わたしは問題なく引き継いでいたのだ。
加えて、わたしはミチルより学科の成績が良かった。わたしは一般大学、彼女は美術大学と進路が違うので当然のことではあるけれど。
こうして、ふたりの力を合わせた能力で受験に励んだ結果、京都の有名私立美術大学という志望校合格の切符を手に入れたのだ。
志望校を県外にしたのは、ミチルの為にもレベルの高い大学に行かねばという思いがあったから。また、それとは別に自分を取り巻く環境を一旦、変える為でもある。
誰もミチルを知らない場所に身を置けば、もう彼女を演じなくてもすむ。当時のわたしは正直、天野ミチルという人間を演じることに疲れ、限界を感じていたのだ。
◇
高三の秋に佐山くんに告白された。
もちろん、わたし美緒ではなくミチルとして。
ミチルが佐山くんに気があるのは薄々、前から感付いていた。彼女はシャイだから、直接聞いたわけではないけれど。佐山くんのミチルに対する気持ちにも、それとなく気が付いていた。
佐山くんとミチル、両想いなんだから早くくっ付けばいいのに。自分が死んでミチルに憑依する以前は、ずっとそう思っていた。だから、彼女が目覚めた時の為に。とりあえずの代役として、彼の求愛を受けたほうがいいのだろうか。わたしは悩んだ。
だけど……。
いくら親友だからって、代役だからって。わたしが佐山くんと交際していいのだろうか。ミチルに無断で、彼の胸に抱かれていいものだろうかと。もしかしたら、彼女が佐山くんに気があるのはわたしの思い違いの可能性だってあるわけだし……。
それにわたしの気持ちは……。
わたし自身の恋は、わたしの彼への想いはどうなるのかと。
わたしが交通事故で死んで以来、美術部に顔を出さなくなった幼馴染の彼。
「あの事故は僕のせいなんだ」と自分を責めて憔悴し、半ば引き篭もりになっている。
わたしのせいだ。わたしの不注意が全部悪かったんだ。
わたしが死んだのは自業自得。でもそうやって、わたしの死が彼を苦しめていることが居た堪れなかった。
だけど、その時のわたしには、どうすることもできなかった。
ミチルを演じる憑依霊のわたしには立場上、彼になにも言葉を掛けてあげられなかった。
――ジュン。
わたしは心の中で彼の名前を呟きながら、佐山くんの求愛を断った。
◇
卒業式の日。
佐山くんから再び、校舎の屋上に呼び出された。
そこで、わたしは強く抱きしめられた。
「ミチル好きだ。中学の時からずっと、俺はおまえだけを見ていたんだ」
彼の胸の中で一瞬、意識が遠退く。
刹那。わたしの心の奥底から、微かな声が聞こえた。
――やめて、サトシ。違うの、彼女はアタシじゃないの……。
間違いない、ミチルの声だ。わたしにしか聞こえない心の声。けっして目の前の優等生の王子様には届かない。
ふと、幼い頃に好きだった人魚姫のストーリーが脳裏を過ぎる。
【「ぼくは、となりのくにのおひめさまとけっこんするんだ。ぼくがうみでおぼれたとき、たすけてくれたおんなのこなんだよ」 にんぎょひめは「たすけたのは、わたしなんです!」とさけびたかったのですが、こえをだすことができません】
わたしは意を決したように彼の胸を、ゆっくりと両掌で押し離した。
「ミチル……」
気が付けば、わたしは泣いていた。
佐山くんの制服の胸元は湿っていた。
自分の頬に触れると、涙でぐしゃぐしゃに濡れている。
それは、わたしだけの涙じゃなかった。
わたしの中で眠る人魚姫が、切ない泡のような心の雫を流していたのだ。
「ごめんサトシ」
両手で頬を拭いながら、わたしは踵を返し屋上を走り去って行った。
この時、わたしは確信した。
わたしの中でミチルは眠っている。いつか彼女が目覚める時がきっと来る筈だ。そして、わたしの予想通り――。
わたしの親友、天野ミチルは佐山聡史くんの事が好きなのだと。





