第三十四話 不完全な仲間たち
『パラレルLINE』
聡史の開発したアプリ。
LINEのアイコンにそっくりで、色だけが緑から反対色の赤と異なる。
そのアイコンボタンを僕は震える指先でタップした。
トークの一覧画面だ。LINEとまったく同じに見える。
「淳、そのリストから『パラレル美術部グループ』ってのをタップしてみなよ」
「中身を見ても……いいのかい?」
「ああ、遠慮せずに」
ごくりと生唾を飲み込む。
僕は言われるがままに開いた。
「こ、これは!」
【サトシ】『なあ、みんな。先日から始まった深夜ドラマの『JKメタラー姫タル』誰か観たかい?』
【みお】『佐山くん。うん、観たよ。おもしろいね』
【ミチル】『そやそや、サトシっ! アタシみたねんよ! めっちゃおもろいねんね♪』
【あやね】『サトシせんぱいっ! 最近バイトが忙しくて、あたしは観てないです』
【ジュン】『ねえ聡史、僕もバイトが忙しいから観てないよ』
冷や汗がだらだらと背中に流れる。
そこでは、まったく身に覚えがないグループトークが展開されていた。
なんとも奇妙なLINEグループだ。
アイコンは、ぼくらのものとまったく同じ。各々の口調もよく似ている。
まるで並行世界の自分たちのLINEを覗き見しているようだ。
「それでパラレルLINEか……」
「ああ、洒落が効いてるだろ。普通に平行線って意味でもある」
僕は深いため息を付いて彼に問い掛けた。
「聡史。君は、やっぱり……僕らをモデルにAIを……」
「いいから、ログを追い掛けてみなよ」
僕は親指でスクロールした。
【みお】『ねえ、今日はいい天気だよね。みんなのところはどうかな?』
【ミチル】『そやそや、みおっ! アタシの京都は雨やねん♪』
【あやね】『みおせんぱいっ! 最近バイトが忙しくて、あたしは傘を挿しています!』
【ジュン】『ねえ美緒、僕もバイトが忙しいから観てないよ』
「なんだ、この不自然な会話は……」
まるで外国語をコンピュータで自動翻訳した文章のようだ。
聡史がふっと鼻を鳴す。肩をすくめながら彼は言った。
「よく俺の目論見に気が付いたな。君の読みは、あながち外れちゃいない。だけど、そいつはまだ未完成。会話も不自然だし、アルゴリズムもバグだらけの出来損ないだ」
「…………」
「すこし話題が込み入ると、すぐに噛み合わなくなり話が平行線だ。名は体を表す。アプリのネーミングが悪かったかな?」
苦笑する聡史、その自虐ネタは駄洒落なのだろうか。
昔から、どうも彼のジョークは理屈っぽくて分かりにくい。
「このパラレルLINEの中の美術部メンバーは、確かに君の言うとおり俺の開発した人工知能のAIプログラム。口癖や趣味やら性格やら、メンバー各々の学習素材ソースとして俺の本家LINEアカウントと連携させている。いわば俺たちのコピーロボットさ。その『サトシ』ってやつだけは例外で、そいつの書き込みは俺自身によるものだけどね」
聡史が続ける。
「ひとりの人間のSNSをモデルに、ひとりのAIを育成する。結果、唯一無二な個性を持った人工知能へと成長していく。いわゆる個性のクローンだ。そんなアプリの開発を俺は大学の研究課題としている。これは、その試作機。イコール、まだまだ人さまの前にお披露目できるほどの仕上がりではないってことさ」
「聡史……」
「淳、俺を買いかぶりすぎだ。あれだけ完璧にひとりの人間を演じられるAIを一介の大学生が開発できたら、今頃俺は若き天才プログラムエンジニアとして一躍、時代の寵児だよ。今からサインでも貰っとくかい? プレミア付くぜ」
聡史のキザで分かりにくいアメリカンジョークには返答をせず、僕はその不完全なLINEグループの画面を無言で見つめた。
県内の英知が集結するO大学、その学食傍のひと気のないテラスで。
木漏れ日の先の樹木を見上げ、聡史が言う。
「正直、先を越されたと思ったよ――」
聡史は自分の研究に対する想いを語った。
「親、我が子、親友や恋人など。この世には不慮の事故や病気で大切な人を失って心に傷を負い、現実と向き合うことができなくなった人々が大勢居る」
そんなの人々の為に、ひとりのエンジニアとして自分にできることはなんだろう。仲間を亡くした高校時代。そんな自分たちの辛い体験を、大学の研究テーマにできないかと。
「義手や義足や眼鏡や補聴器など、不自由な身体を科学の技術が補う文明の歴史。それと同じように、これからの閉塞された近未来社会には、不自由な心を科学の技術が補うシステムが必要なんだ」
聡史の弁に熱がこもる。
不自由な心を補うシステム。その言葉が僕の胸に染み渡る。
「その研究課題として俺はパラレルLINEの開発を試みた。たとえ仮想体験でもいいから……再び五人そろって、あの頃みたいに楽くグループトークできないだろうかってね」
昼下がりのテラスで、木漏れ日が彼の端正な顔に切なげな影を落とす。
「俺はバーチャル織原さんの完成を急いだ。それを早く運用化し、無二の親友や頼れる先輩や大好きな幼馴染を亡くし傷付いた仲間たちの心を癒したかった」
ミチルと彩音の切なげな顔が、僕の脳裏に交互に浮かぶ。
そう、傷付いていたのは僕だけじゃないんだ。あの頃の僕は自分の事しか考えてない、愚かで未熟なやつだったんだ。なのに聡史は、みんなのことを……。
「そんな時、突然。織原さんを名乗る人物が、俺たちの美術部LINEグループに現れたんだ――」
そして聡史は黙り込んだ。
『みお』は聡史の作ったAIではなかった。
バーチャル『みお』の正体は、彼の産み出した不完全な人造人間ではなかったのだ。
だとしたら、もうひとつの可能性――。
もうひとりの仮想美緒。
その麗しい顔が、僕の脳裏を過ぎる。
生前の美緒に容姿も性格もそっくりの、あの美人で優しい彼女の顔が。
僕は、そんな『みお』の正体についてのもうひとつの推論を聡史に聞いて貰おうと思った。
だけど、ふと彼の方からも「淳に話がある」と言われていたのを思い出した。
僕はひとつ咳払いをして、それを聡史に問い質した。
「――それで聡史の話って?」
すうと深呼吸する聡史。彼は言った。
「すべての真相が分かったんだ」
神妙な面持ちで聡史が続ける。
「織原さんを名乗る並行世界のLINEの『みお』。その正体をXと仮定しようか」
エックスと仮定。まるで数学教師のような物言いだ。理系でミステリマニアの聡史らしい言い方である。
「エックスの正体は、彼女以外にありえない。あの夜、俺はそれを確信した」
あの夜、それはきっと夏祭りの花火大会。
【「やっぱりジュンくんだ。ほんと久しぶり、すごい偶然だよね」】
常識ではありえない偶然が巻き起こした、麗しき彼女との奇跡の再会。
どうやら彼も、ことの真相に辿り着いていたみたいだ。
エックスの正体、それは美緒に容易に成りすませる人物。彼女の幼少期からの生い立ちや性格や嗜好を詳しく知り、美緒のLINEのパスワードを簡単に突破できる人間。つまり遺族だ。
【『美緒の生前のスマートフォンね、解約せずに残してあるの。今でも私が管理しているのよ』】
だから、正体はあの人しかありえない。僕らの暮らすO県から遥か遠い愛知県に暮らす、あの専業主婦の彼女しか――。
「なあ淳、すこし遠出にはなるんだけど」
聡史は僕の目を見て言った。
「俺とふたりで真実を確かめに行かないか?」





