第二十一話 幻想の白いカンバス
「ほらほら、ここ空いてるよ!」
老若男女、大勢の来園者で混雑する中、僕らを先導する元部長のミチルは、園内中央にある沢の池のほとりの一角を陣取った。
隣接するO城や園内の唯心山を優雅に望めるいい場所だ。
「素敵、なんてロマンチックなの」
うっとりとした表情で彩音がつぶやく。
淡く彩られた優しい光が、暗い園内を幻想的にライトアップしている。
園内で最も重要な建物である延養亭周辺には蒼光のLEDイルミネーション。
池の水面には、魅惑的な園内照明と共に照らし出された上弦の月が揺らめいている。まさに水月鏡花だ。
左から聡史、彩音、僕、ミチルの順に並んで座り、花火が上がるのを待つ僕ら。
今居る場所は先ほど『みお』にもLINEで伝えた。
並行世界の彼女ではあるが、きっと傍に来てくれるはずだ。
「さ、あやちゃん早く行こ」
園内の売店や出店へと、率先して買い出しに行くミチルと彩音。
男子が行くと言ったのだが、「色々自分で選びたいねんよ」と言ってミチルが聞かなかった。
「まったく、食いしん坊なところだけは相変わらずだな」
聡史はそうボヤきながらも、どこか嬉しそうだ。
しばらくしてLINEの着信が。
【みお】『わたしも着いたよ、もうすぐ始まるね』
ようやく『みお』からの書き込みもあった。これで、我らが美術部同窓メンバー全員集合だ。
◇
時刻は午後七時二十五分。
もうすぐ待望の花火大会が開催される。
さっきから僕の横で、『カキオコ』をがっついているミチル。地元日生産の牡蠣が入ったお好み焼き。いわゆるご当地グルメである。
ソースで口元べったり。せっかくのメイクと美人が台無しだ。
彼女は身体が大きいせいだろうか、確かに相変わらずの食欲旺盛さだ。
同じくご当地グルメ『倉敷バーガー』を、ちいさな口でほおばる彩音。
天然酵母の白パンが倉敷の白壁をイメージ。トマトは桃太郎トマト、備中豚のベーコン、ビーフのパテは新見産の千屋牛。すべて地元県内産の食材を使っているのだ。
白いバーガーをかじりながら彩音が聡史に問い質す。
「ねえ、サトシせんぱい。そういえば先日、大学で人工知能の研究をしてるっておっしゃってましたけど。それって具体的にどんなかんじなんですか?」
すこし考え込んでから、地ビール『独歩』の瓶を片手に聡史が答える。
早くもほろ酔い加減のようだ。みんな大人になったんだなとしみじみ思いながら、僕は千屋牛の牛串をかじった。
「研究テーマは『個性』ってとこかな」
「個性ですか?」
「そう個性、そして感情。つまりは従来、画一的である筈の人工知能に対して、ある種の性格を持たせることによる可能性を探求しているんだ」
「コンピュータに性格ですか?」
「ああ、川瀬さんもバーチャルペットとかって聞いたことがあるだろう?」
「ええ、ロボットわんちゃんのアイポとかですよね」
聡史が頷く。
「それらのVRペットは現状、誰が飼ってもまるで同じ性格のお利口さんだ。無駄吠えも排泄もしない。雨の日の散歩もせがまず、餌も電力だから食べ散らかさない。誰かさんのように、口にソースをべったり付けて口紅を汚すこともない」
聡史の皮肉が聞こえているのか否か。僕の隣のミチルは相変わらず、お構いなしでカキオコを口の中に掻き込んでいる。
「だから本物のペットよりも便利で飼い易い。そこが利点でもあるんだけど」
「だけど?」
「ほら、人間ってさ。案外親しい間柄ほど、うまくいかなかったりするじゃない? 時には飼い犬に手を噛まれたりもするしね」
「ええ、確かに」
「それが逆に愛おしかったりもする。仲のよい夫婦ほど喧嘩したり。親がやんちゃな子ほど可愛かったり。男の子が好きな女の子の事をからかったり」
「わかります。女の子が思い通りにならない恋に胸を焦がしたり」
彩音がしみじみと頷く。一瞬ちらと僕を見たのは気のせいだろうか。
「核家族化や単身化した閉鎖社会に生きる現代人は、多かれ少なかれ心に孤独や闇を抱えている。そんな疲弊した心が求めるのは、無機質な完璧さではなく」
「血の通った曖昧さ、ですか?」
「そう。だから次世代の必須ツールであるVR技術ひいては人工知能に個性や感情といった人格を持たせた上で学習をさせ、血の通った生命体の感覚に近づける。それを孤独な現代人へ親しみや癒しを与える心のパートナーとして、将来的に社会へ普及できないかと考えているんだ」
「なるほど、バーチャルフレンドですね。仮想現実のコンピュータがもたらす癒しや親しみ。ちょっと恐い気もしますけど、なんか素敵です」
話を横で聞いていて僕は何故だか、ぞくりと悪寒が走った。
孤独な人間を癒す心のパートナー。それは仮想現実のコンピュータ技術が実現させるバーチャルフレンド。それって、まさか――。
「あっ、ジュンせんぱい。始まりましたね」
どおんという音が響き渡り、幻想庭園の夜空に大輪の花が咲く。
刹那、誰かがこちらに向かって歩いてくる。
「ん、誰やろか?」とミチル。
「あたしらのうちの、誰かの知り合いですかね?」と彩音。
女性だ。長い黒髪に細い肢体。白い肌には白いレースのワンピースをまとっている。その清楚な白いカンバスを園内のロウソクや照明が淡く彩り、魅惑的に照らし出す。
互いの顔が確認できる位置にまで近づいてくる彼女。
美人だ。そして僕ははっと気が付いた。
その麗しい顔には確かな見覚えがある。まさか――。
「ま、まさか!」
僕は驚愕の声を上げた。
そう、忘れもしない。この僕が、彼女の顔を忘れるわけがない。
ミチルや彩音や聡史も青ざめている。まるで亡霊にでも出くわしたかのような表情で。
「ええっ!」「うそっ!」「そんな……まさか……」
真夏の夜、幻想の庭園に奇跡の光が舞う。
彼女は口を開いた。
「ジュン――」





