第二話 あの日、雨宿りの公園で
「星野君は接客に向いてないんじゃないかな?」
線路沿いで捨て猫の箱を見掛けた数日後。
今日も僕はバイト先のコンビニの店長に捕まっていた。
「ほら、君ってさ。真面目そうだし顔立ちもシュっとしてハンサムだから。女性客受けするかなと思って採用したんだけど。表情暗いし声はちいさいし。そもそも覇気がないというか」
爬虫類系の顔をしたアラフォー店長が、口を歪めながら言う。
客足が途絶えると、何時もこうやってネチネチお説教が始まるのだ。
顔立ちを誉められることはあっても、人にイケメンと呼ばれたことはない。
ようするに「イケてない奴」と言いたいのだろう。
針金のように細い手足を身振り手振りでくねくねとさせながら、レジ横の僕に苦言を呈する銀縁眼鏡姿の店長。なのに、お腹だけはぽっこりメタボ気味。まるでカマキリのようだ。
「他のバイト連中とも全然馴染もうとしないし」
「…………」
何時ものように、何も言い返せないでいる僕。
すこし離れて陳列している、もうひとりのバイト店員の冷ややかな視線が痛い。
「他に向いているバイトあるんじゃないかな? 工場とか清掃とか、人と接さない系の仕事とか――」
工場勤務は前回、経験済みだ。
二交代制のライン作業だったのだが。深夜の作業中に上の空でぼーっとしているのを何度も注意され、あまり続かなかった。
ていうかぶっちゃけて言うとクビになったのだ。
どうやら、この職場も長くは続けられそうになさそうだ。
「ちょっと、ちゃんと人の話を聞いてるのかね?」
何時ものように店長の小言を聞き流す僕。
そして何時にも増して、仕事に身がまったく入らない。
だって今日という日は――。
◇
午後七時。
店長に陰キャ認定をされたバイトの帰り道。
僕は、とぼとぼと駅前の歩道を歩いていた。
自宅近くの公園に差し掛かる前、突然ポケットの中のスマートフォンから着信音が聴こえた。
「母さんから、かな?」
確認する僕。LINEだ。
一般的には誰もが愛用する必須コミュニケーション・ツールなのだが、もう随分長いことスマホのアイコン画面の片隅に放置状態だ。
母さんはLINEはしていない。連絡はいつも電話かショートメールだ。
なのに通知が届くとは。現在、友達の居ない非リアの自分には、実に珍しい出来事だ。
「一体、誰だろう?」
僕は久しぶりに緑のアイコンをタップした。
【あやね】『ジュンせんぱい、めちゃお久しぶりです!』
川瀬彩音からだ。
彼女は美術部時代の後輩で、背が低くて人懐っこくて可愛らしいマスコット的な存在の女の子だった。
特に亡くなった美緒のことは、姉のように慕っていた。
【あやね】『今日、実はあたし偶然、K駅前に来てるんですよ。せんぱいの家って、たしか駅の近くだった筈ですよね。せっかくなんで、今からちょっと会えませんか?』
せっかく連絡くれたのに申し訳ないけど。正直そんな気分にはなれない。
それより何より、今日は――。
僕はしばらく考え込んだ後、
【ジュン】『久しぶり。ごめん悪いけど――』
今日は用事があって時間が取れない。そんな旨を端的に書き込み、彩音に返信をした。
◇
自宅コーポ近くの街区公園。よくある住宅街のちいさな公園だ。
彩音にLINEの返信をした後。僕は、そこに立ち寄った。
入り口近くの東屋の古びた木製ベンチに腰掛ける。
ざらついた質感。表面はすこしささくれ立っている。
多い茂った樹木の傍には、錆びれたブランコや鉄棒や滑り台。
幼馴染の美緒とは、子供の頃からここでよく遊んだっけ。
砂場でどろんこ遊びをしたり。日が暮れるまで鬼ごっこや缶蹴りをしたり。
空を見上げる。暮れかかった群青色の空には、ぽっかりと月が浮かんでいる。今夜は満月だ。
「もう随分、みんなと合ってないよなあ……」
彩音にミチルに聡史。ため息交じりに、昔の仲間の名前をつぶやく。
本音を言えば連絡をくれて、懐かしくもあり嬉しかったりもするけれど。
正直、美術部の連中とは今更会いたくない。ていうか合わせる顔がない。
だって、そうだろ? かっこ悪すぎるじゃないか。
僕だけが部活を途中で投げ出し、僕だけが高卒の底辺フリーター。
親友の聡史は地元の国立大学へ。部長のミチルは、京都の有名美術大学へと進学した筈だ。
うちの高校は進学校だった。だから当時、高校一年生だった後輩の彩音も、きっとどこかに進学して今では一回生になっている筈だ。
十七歳の夏。幼馴染の美緒を失った僕は、抜け殻だった。
それ以来、すべてに措いてやる気を見出せなくなった。
部活を辞めて勉強に励む訳でもなく。
毎日、部屋に閉じこもって深夜まで、だらだらゲームをしたり、ぼんやりアニメをみたり。
無駄な夜更かしで朝起きれなくて。授業も頻繁にさぼるようになった。
母さんは、女手ひとつで僕を育てる為に、昼夜問わず働き詰めだった。
だから僕は昔から、いつも自宅で一人ぼっち。それに幼馴染を亡くした哀れな息子に気を使ってくれていたのか、僕がそんな怠惰な生活を過ごしていても、口うるさいことは一切言わないでくれていた。
だけど担任の教師や教室のみんなからは、冷ややかな目で見られた。
胡散臭がられ敬遠される毎日。だから教室ではずっと伏せ目がち。誰とも会話しない日も多かった。
典型的なクラスの落ちこぼれって奴だ。
元々たいして良くもなかった学力は、地の果てまで転落した。
結果、大学には進学できず。かといって就職もしないまま、現在に至っている。
うちはシングルマザー家庭で貧乏だから、進学しなくて丁度良かったのかもしれないが。
仮に普通に勉強していて、無理して奨学金とか借りて進学したとしても。僕のアタマでは、たいしていい大学には進めなかっただろうし。
そんな冴えない高校時代の後半戦。
当時はそんなゴミクズのような毎日を過ごしていた。
いや、ゴミなのは今も変わらない。
この世界から逃げ出したかった。
でも、完全に逃げ出す勇気なんてない。
コンビニのバイトもクビになるのだろうか。
そしたら、またニート生活に逆戻りだ。
高校卒業して以来。就職もせずずっと引き篭もりな日々が続いていたが、最近になってようやくバイトを始めた。
だけど、どこに行っても長く続かない。
母さんには随分と気苦労と迷惑を掛けてしまっている。
一人息子の行く末を心配する母さんの為にも、どうにかして立ち直らなければと思うのだが。
生きる活力がどうしても沸かない。
すべてにおいて無気力。すべてが虚しい。何を頑張っても意味がない。
だって美緒の居ない、この世界では――。
ふと、公園沿いの一軒家に視線を移す。
ベランダには笹の葉に、色とりどりの短冊が飾られてある。
そう、今宵は七月七日。七夕の夜だ。
僕にとって生涯忘れられない日。
何故なら今日は、美緒の命日だから。
それ以来、僕は毎年この日はこの公園に訪れて、ひとり喪に服すようになったのだ。
あの雨の日の夕方。部活帰りの僕と美緒は、この東屋でふたり雨宿りをした。
それが、すべての間違いだった。