第十四話 夢じゃない
「――ハッ」
朝、僕は目覚めた。
シーツが寝汗でぐっしょりだ。
寝る前にタイマーをセットした扇風機はとっくに止まっている。
どうやら長い夢を見ていたらしい。
幼馴染の美緒と過ごした、子供の頃の夢を。
枕元のスマートフォンを手に取る。
聡史やミチルや彩音。そして『みお』からの通知の連続だ。
「どうやら、こっちは夢じゃなかったみたいだな……」
◇
先日のファミレスの件以来。僕ら旧美術部の仲間たちは、例の不思議なLINEグループを通じて交流を再開した。
【サトシ】『パラレルワールドと繋がっているんだ』
あの時、聡史はそう書き込んだ。
おそらく僕らの美術部LINEグループは、並行世界の織原美緒と僅か280バイトの蜘蛛の糸で結ばれているのだと。
【ミチル】『まあ、細かいことはええやん。確かに不思議なハナシやけどさ。せっかく七夕の夜に、天の川の向こうから織姫みおが帰ってきたんやから。みんな素直に喜ぼうよ!』
美緒の親友だった元部長のミチルは、そう何度もグループに書き込みをした。
京都の大学生活になじんで、すっかり関西ノリが入っているみたいだけど。
みんなを取りまとめる仕切り屋な役どころは相変わらずのようだ。
【あやね】『そうですよね。どこで暮らそうと、みおセンパイはみおセンパイですもんね』
【サトシ】『ああ、だよな。おかえり織原さん』
【ミチル】『みおっ、おかえり♪』
【あやね】『みおせんぱい、おかえりなさい!』
【みお】『みんな・・・ありがとう・・・』
【ミチル】『ほれほれ、彦星クンもちゃんと言わへんと』
おせっかいな仕切り屋ミチルが僕、星野淳を煽る。
【ジュン】『おかえり美緒』
【みお】『ジュン・・・』
そうやってみんなは、並行世界の彼女を暖かく迎え入れた。
【みお】『ただいま、みんな』
◇
不思議な夢物語のような『みお』とのLINEグループ。
だけど個々のトーク画面とは繋がっていない。
何度も試したのだが、既読が付かないのだ。
【みお】『わたしもね、何度もジュン個人の方にも送ってみてるんだけど。そっちも届いてない?』
どうやら、あちらも同じ状態みたいだ。
理屈は分からないが、パラレルワールドと繋がるのはこのグループ限定のようである。
画像のやり取り以外にも、僕らはLINEの通話も試してみた。
動画が静止画像に比べ莫大なデータ量を必要とするのは、デジタルには素人の僕にだって分かる。だけど電話は別だ。
アナログに置き換えると、エジソンやベルが発明した電話の方が、ファクシミリなどの画像転送よりも遥かに歴史が長い。
本を正せば糸電話なわけだし。素人考えではあるが、きっと原理も単純でデータ量だって少ない筈だ。
それで毎回コールは掛かって、お互い出ようとするのだが。
何時も、一瞬でブツっと通話が途切れてしまう。ものの一秒にも満たない。
【みお】『うまくいかないね、ジュン・・・』
その現象について、聡史はLINEでこう解説していた。
【サトシ】『無理もないよ。LINE無料通話サービスなどを提供するIP電話事業者のほとんどは、汎用デジタル音声符号化方式であるPCMを採用している』
【ミチル】『むむむむ?』
【サトシ】『だからさ、PCM方式IP電話のサンプリング周波数はモノラル8 kHzの64 kbpsなんだよ』
【ミチル】『ていうと?』
【サトシ】『人の声は凡そ、300Hzから3.4kHzの範囲の周波数帯に収まっている。サンプリングについては、元のアナログ信号のもっとも高い音の2倍の周波数で取り込めば、波形を忠実に再現できるという基本原理があってね』
長文になりそうな文面を、一旦区切る聡史。
一度に140文字までしか伝わらない『みお』への配慮だ。
【サトシ】『それで音声の最高周波数を余裕を持って約4kHzに設定し、その倍の8kHzでサンプリングするということだよ』
【あやね】『ねえサトシせんぱい。それって、どれぐらいのデータ量なんですか?』
【サトシ】『bpsはビット・パー・セコンドの略で、1秒間に通信できるビット数を表す』
【ミチル】『ふむふむ』
【サトシ】『8000分の1秒でサンプリングしたあとに8ビットで量子化するから、音声を送るために必要となるデータ量は、8ビット×8000回で毎秒64000ビット。それで64キロbps』
すこしややこしくなってきたが、なんとなくは理解できる。
【サトシ】『8ビットは1バイトだから、64000÷8で毎秒8000バイトを必要とする計算になる』
【あやね】『へえ、ということは・・・』
【サトシ】『そう、僕らが織原さんとやり取りできるデータ量の限界値は280バイト。つまり280÷8000の約0.035秒でIP電話は途切れてしまう』
【ジュン】『なるほど。ほんと一瞬なんだ・・・』
【サトシ】『だから現状、テキストが唯一の現実的な連絡手段ということさ』
【みお】『そっか・・・』
◇
140文字の短いテキストだけで繋がっている並行世界の彼方とはいえ。
そこで美緒が生きている。
こうやって再び彼女とLINEを交わすことができる。
本来であれば、正直こんなに嬉しいことはない。
分岐された世界線で、美緒が死ななかったもうひとつの未来。
これまで僕は、その仮説の実在をどれだけ神に願ったことだろう。
心の底から涙が溢れ出る程、感動的で夢のような奇跡の物語。
まさに文字通りの神展開だ。
なのに反面、どこか半信半疑な自分が居る。
ミチルたちが言うように『みお』は、本当に織原美緒なのだろうか。
天の川の向こうの織姫『みお』は、本当に並行世界の住人なのだろうか。
その後、自分なりにネットで調べたりもしたのだが。
聡史が言うように、確かにパラレルワールドの存在というのはSF映画の設定として使われるだけではなく、実際の物理学の世界でも理論的な可能性が語られていて、その中で様々な仮説が立てられているようだ。
元々SF好きで、しかも大学で理工学を学んでいる彼が食いつくのも無理はない。
だけどどうしても、もやもやが晴れない。
無邪気な子供のように、手放しでは喜べない。
昔から、ひねくれもので疑り深い性格。そんな自分が本当に嫌になる。
もし『みお』の存在が、誰かの仕組んだ虚像なのだとしたら。
もし『みお』が美緒でなかったら。
もし『みお』の真実を知ってしまったら。
僕はきっと今度こそ、失意の底から立ち直れない。
だから、その時の事を考えると――。
「ねえ、ジュンせんぱい?」
【参考サイト】
http://www.geocities.jp/front_sakata/alone/onsitu.html
https://tech.nikkeibp.co.jp/it/members/NNW/NETPOINT/20040420/2/





