第十一話 高嶺の転校生
新章です。ふたりの思い出編。
美緒は小学校三年生の時、僕らのクラスに転校してきた。
「おりはらみおです、よろしくおねがいします!」
ペコリと頭を下げる転校生。
さらさらの長い黒髪に、まつ毛の長い大きな瞳。
一目見て、とてもきれいな子だと思った。何故だか胸がとくりとする。
きっと大半の男子たちも、僕と同じような思いを抱いたに違いない。
担任の先生が紹介する。
「織原さんは、お父さんのお仕事の関係でK市に引越してきたのよ。みんな仲良くしてあげてね」
◇
転校生は、すぐにクラスに打ち解けた。
勉強が得意で、おまけに愛想が良く顔も可愛い。
瞬く間に人気者になった。
反面、どちらかというと目立たなくて大人しい部類の子供だった僕は、なかなか声も掛け辛かった。
そうやって華やかなお花畑を、しばらくクラスの片隅で遠目に眺めていた。
◇
毎週土曜日、当時の僕は近所の教会で開かれていた絵画教室に通っていた。
家が貧乏だったので、習い事にはあまり通わせて貰えなかった。
だけど絵画教室は月謝が格安だったのと、絵を描くことはひとり息子の唯一の特技でもあった。
だから母さんが、無理をしてくれていたのだ。
何時ものように白いパレットの絵の具を水で溶かしていた僕。
その背後に誰かがそっと忍び寄った。
「すごーい。ほしのくん、じょうず!」
いきなり名前を呼ばれ、びっくりして振り返る。
するとそこには、例の転校生の女の子の姿があった。
「えっ、あ、おりはらさん?」
「すごいね。わたしもね、絵をかくのがだいすきなの」
そう、彼女も同じ絵画教室に通い始めていたのだ。
僕の描いた絵を脇から覗き込む。
「でも、ほしのくんみたいに上手にかけなくて」
自分の描きさしの絵を、恥ずかしそうに指差す彼女。人魚姫の絵だ。
黒髪がふわりと頬に触れる。こそばゆい。
シャンプーのいい香りが、僕の鼻先をくすぐった。
「ねえ。どうやったら、そんなふうにかけるの?」
それが高嶺のお花畑の転校生、織原美緒との最初の会話だった。
◇
土曜日の絵画教室をきっかけに、僕らは次第に打ち解けていった。
「だからジュンくん。どうやったら、そんなふうに色がきれいにぬれるの?」
「えっと――みおちゃんのは、まぜる水が多すぎるかも」
誉められて悪い気はしない。
照れながらも調子に乗って、コツを教える僕。
生意気にも先生気取りだ。
「それとさ。いろんないろをちょこちょこまぜすぎ。あと、かわいてからぬらないと、そういう風ににじんじゃうんだよ。だから、ここはこんなかんじに――」
「へー、ほんとだ。すごーい!」
当時の彼女の家とはお互いに近かったこともあり、絵画教室の帰りに寄り道して近所の公園で遊ぶようにもなった。
「ねえねえ。はやくこうえん行こうよ、ジュンくん。ブランコだれかに先にとられちゃう!」
「……ちょ、ちょっとまってよ。みおちゃんっ!」
何時の間にか、僕らは下の名前で呼び合うようになっていた。
そこに輪を掛けて、今度は母親同士が仲良しになった。
彼女のお母さんのパート先のスーパーが、僕の母さんの昼の職場と偶然一緒だったのだ。
そんな関係で、夏の花火大会などのイベントにも、家族ぐるみで出掛けたりするようになった。
どーんという爆音と共に、広がる夏の夜空の花模様。
二十四色の絵の具を真っ黒な画用紙にひっくり返したような色彩だ。
「わー、きれい!」
夜空の花火と、無邪気に笑う白地にピンクの花柄の浴衣を着た彼女の横顔。
隣の僕は何時までも、それらを交互に眺めていた。
◇
「今日は、みんなに嬉しいお知らせがあります」
季節は秋。朝のホームルームを行う直前の四年三組の教室で。
眠たげな顔を浮かべる僕らをぐるりと見渡しながらクラスの担任は言った。
「先日、開催された県の絵画コンクールですけど。なんと、この中に入選した人がいます」
ざわつく教室。
「星野くん、さあ起立っ!」
勢いよく名前を呼ばれて、僕は立ち上がった。
若い女の先生らしい、はつらつとした口調だ。
「そう、あの花火の絵よ。おとなの先生から見ても、とても上手で素敵な絵だったわ」
その絵は夏休みの宿題で、夏祭りの花火大会の様子を描いたものだった。
僕と母さんと、そして君のお姉さんや両親と。
家族ぐるみで一緒に行った時の様子を、思い浮かべながら取り組んだのだ。
「しかも、なんと金賞ですよ!」
クラスが歓声に包まれる。
「ほしのくん、すごーい!」
「さっすが、ジュン。すげーな!」
「ジュンくん、てんさーい!」
頭を掻きながら照れ笑いを浮かべる僕。クラスの注目を一身に集める。
僕の左斜め前席の君も、こちらを嬉しそうに振り向いている。
「ジュンくん、おめでとう」
僕をまっすぐに見つめる君が、誇らしげに笑っている。
まるで自分のことのように――。
◇
僕らは小学校高学年になっていた。
幼かった頃の僕らは、ずっと兄妹のように仲の良い関係だった。
だけど、そんなふたりにも、ある出来事をきっかけに次第に距離が生じるようになったのだ。
忘れもしない、あれは小学校六年生の秋だった。





