深夜の脅威
空白地帯のちょうど中央、例の大きな倉庫が見える辺り。
静けさを引き裂いて突然鳴りだした携帯端末が、アパートを目指して一人とぼとぼと歩いていたフタハを驚かせた。
フタハが携帯端末をポケットから取り出すと、端末内蔵の3Dプロジェクターから、手のひらサイズに縮小された、なるの全身像が映し出された。
これは別売のカメラセットを用意すれば使えるテレビ電話機能だ。
通話中に全身を使って何らかのアクションを行う難易度の高さと、カメラセットの笑える価格設定のおかげで、本来のリアルタイムコミュニケーションツールとして使われる事はめったにない代物である。
「じゃーん! どうかな? ちゃんと見えてる?」
寝間着姿のなるが可愛らしくポーズをとる。
「これ使ってる人初めて見たよ」
携帯端末上部の細長い通話ユニットをひねって外し、胸ポケットにクリップで挟みこむ。
通話ユニットにはプロジェクターも含まれるので、なるの立体映像はフタハの前に浮いている。
フタハは、なるがアパートに着くまでの話し相手になってくれる事は嬉しかったが、これ以上夜更かしさせるのも悪いので、もう寝るよう伝えた。
「寝てるけど?」
目の前の可愛らしい深夜対応用プログラムが、気にする事はないとフタハに返してきた。1等市民らしい対応だ。
フタハが往路での出来事を話しながら歩いていると、ふいに予備なる(深夜対応用AI)に呼び止められた。今の話は何かおかしくないかと言うのだ。足を止めて何がおかしかったのかと問うフタハに、予備なるは答える。
「おねえちゃんは、野良生物同士の抗争に敗れた夜盗ヌートリアが、清掃カメレオンに片づけられるのを目撃したと言いました。これで、この道路も安全に通行できるようになったと。そういう話でした」
「うん」
「まずは道路の安全だけど、夜盗ヌートリアが野良生物同士の抗争に敗れたとするなら、抗争に勝った野良生物はどうしたの? それは間違いなく新たな脅威であって、まだこの辺りにいるって考えられない?」
「確かに」
雲行きが怪しくなってきた。
「なによりおかしいのは、この話に清掃カメレオンが登場するってとこ。清掃カメレオンは公務員だよ」
清掃カメレオンの業務は17時に終了し、翌日の9時までは清掃活動を行はない。現代公務員の勤務時間厳守は絶対であり、どう考えてもフタハが買い出しに行く深夜に出没したりなどするはずもないのだ。
「そのカメレオン、清掃員を示す腕章はしてた?」
していなかった。
次第に不安を募らせていくフタハに、なるは続ける。
「今(勝手に)使ってる交差点のカメラからは死角になってて良く見えないんだけど、おねえちゃんの横に並んでるその影……だれ?」
「何で怪談?」
そう言ったフタハの影の横には、街灯に照らされて歩道上に伸びるもう一つの影があった。
「ぺろぺろ……」
聞き覚えのある、できれば二度と聞きたくない声が聞こえてきた。
振り返ってはいけない、絶対振り返ってはいけない、何があっても絶対振り返ってはいけない。そう思いながらフタハが振り返ると、そこには一匹のカメレオンが立っていた。ああ、やはりどう見ても旧時代のカメレオンとは似つかない。
フタハは正直なところ、カメレオンがあまり好きではなく、こんなのが町の子供たちに大人気なのは、町の子供たちがアウトドア汚染で脳をやられているからだと思っていた。
「ぺろぺろ……ぺろぺろしたい」
だが、カメレオンの言葉が分かるようになった今は、カメレオン用翻訳機によって"ぺろぺろ"発言にフィルターをかけらているからだと確信している。
それはともかく、実際にこの改造生物にぺろぺろされると、装甲車を5秒でバラバラにできるやすりのような舌で肉をそぎ取られて、理科室の人体模型のような姿に大胆イメージチェンジさせられてしまうので、素人にはお勧めできない。
もちろん、フタハがなめられた場合も人体模型コースである。
普段こういった野良生物に絡まれた場合は、買い物袋の中から生贄を差し出して難を逃れるのだが、あいにく買い物袋はサメと一緒に暴走トラックの上である。
万事休すか?
いや、幸運な事にフタハのジャージのポケットには、1つだけ飴が入っていた。
サメと話すことがなくなった時にでも食べようと袋から取り出してポケットに入れておいた、コンビニ店員に貰った飴だ。
さっそく生贄を差し出すフタハ。
「これで見逃してくれない?」
「飴ーっ!」
カメレオンはそう叫ぶと、フタハの手から飴玉を素早く奪い取り、自分の口に放り込む。はっきり言ってかなり怖い。
「飴ぺろぺろ」
「そうか、よかったな」
「飴 イズ ゴッド」
邪教徒か。
ともあれこれで難は逃れた、カメレオンが飴に気を取られているうちにさっさと帰ろう、と回れ右したフタハの前には、2匹のカメレオンが立っていた。
「ぺろぺろしたい」「ぺろぺろしたい」
フタハは生まれて初めてステレオでカツアゲされ、オー マイ ゴッドと言いたい気分になったが、生憎ゴッドは譲渡済みだった。
「飴はもうない」
そう言ったフタハに、2匹のカメレオンはオ顔を見合わせた後、口をそろえてこう言った。
「「ぺろぺろしたいのは……」」
「お前だぁー!!」
突然会話に割り込んだ予備なるの、怪談シャウトが深夜の空白地帯に響き渡る。
正面にいた2匹のカメレオンはびっくりして飛び上がり、後ろで飴をなめていたカメレオンは飴をのどに詰まらせて咳き込んでいる。
「決め台詞くらい言わせてあげたら?」
「だめだよ! そんな、おねえちゃんを、そんな、そんななんて! だめだよ!」
予備なるが何を言いたかったのかよくわからなかったが、フタハは硬直する2匹のカメレオンを避けて、その場を後にする。
走って逃げないのは、野良生物の"走って逃げる相手は走って追いかける"性質に配慮したもので、決して余裕があるわけではない。
カメレオンの走る速度は、時速50キロに達する。車でもないと逃げ切ることはできない。
そこで役に立つのが、野良生物の"歩いて逃げる相手は歩いて追いかける"性質である。カメレオンの歩きは人間のそれよりもやや早い程度なのだ。
それでは逃げ切る事ができない?
確かに何もない平原なら自分より速い相手から逃げ切るのは不可能だが、
相手の視線を切ることのできる障害物があれば話は変わってくる。
例えば住宅地の曲がり角を曲がって、追跡者の視界から外れたとする。
この瞬間から追跡者が角を曲がるまでの間は、走って逃げることが可能なのだ。
そう、追跡者が走り出すのは、あくまで走って逃げる者を目撃した場合なので、視界にいる間さえ歩いていれば問題ないのである。これは"曲がり角スイングバイ"と呼ばれる民間対処法で、野良生物の出没する町の住人なら誰でも知っていた。
当然フタハも、あきらめきれずに追ってくる3匹のカメレオンを振り切るため、障害物を探す。
空き地だらけの空白地帯だが、点在する建造物を効果的に使うことができれば、何とかならなくもない。
予備なるに3D地図を表示させ、曲がり角スイングバイが可能なポイントをマークさせると、地図上に赤線で最適なルートが書き込まれる。
まずは大きな倉庫を一周回って距離を稼ぐ。
フタハは車道を横断すると、大きな倉庫の外側の壁に沿って歩き出した。
左手側に壁、右手側にフェンス。振り返るとカメレオンは少し離れた位置で1列になってついてきている。
角を曲がったら走るから、3匹が曲がってきそうになったら教えるように予備なるに伝えたフタハ。その正面。倉庫の角から黒い影がぬっとあらわれた。
「…………」
それは、4匹目のカメレオンだった。