タイガーアタック
届いたのは、巻物だった。
何故ホットケーキが巻物になったのか。という説明の前に、知識階級である1等市民たちの間では、ホットケーキといえばバター作りからという、常識があることをご理解いただきたい。
今回なるの提案で用いる事となったバターの作り方は、"タイガーのかくはん"である。
これは旧時代の記録にあった手法で、原理は不明だが、タイガーを高速で回転させるとバターに変換する事が可能らしい。
さて、ここで問題になったのが、入手どころかその姿を見ることさえも困難な、タイガーをどうやって仕入れるかである。
タイガーは世界動物労働協会が認定する特別動物であり、人間よりも等級が高く、人間がタイガーに食われるのは構わないが、タイガーを人間が食うのは死罪に値するらしい。
なるは、そんな一生に1回あるかないかという機会を、最大2回に増やしてやろうというのだ。
これはもう、チーズにマーガリンと何かを混ぜ合わせればバターができると考えている、普通の1等市民が聞けば、驚きのあまり耳からバターを噴出して、賞を取れるかもしれない。
とりあえず、バターを作るという部分だけ理解したフタハは、なるに尋ねた。
「で、この巻物は何に使うの?」
「これはカケジクって言うもので、タイガーのイラストが描かれているんだよー。今から取り出して材料に使うよ」
「ふーん……は?」
どうやらその絵に描かれた市民権を持たぬタイガーを、4次元的な方法で抽出し、バターにすることで完全犯罪を成立させるらしい。
フタハは、なるが何を言っているのかよくわからなかったが、そこに完全な狂気が成立している事はわかった。だが、賢明な2等市民は、旧時代の記録を疑うことはできても、1等市民を表だって疑うことは立場的にできない。
巻物は、チタン合金製ちゃぶ台の上で、ころころと転がり、もういっそ空腹のままでもいいから、この奇妙な茶番から解放されたいと思うフタハをよそに、新品の窓から差し込む淡い光を受けて、真の姿を現した。
巻物に描かれていたのは、うっそうと茂る竹林。その中央には、恐ろしい表情を浮かべ、鋭い爪をもった太くしなやかな前足で、今にも飛び出してきそうなくらいに、生き生きとした一匹の……
「ウルフに見えるけど?」
フタハの言うとおり、まごうことなきシベリアウルフであった。
なるは驚いて、カケジクの入っていた箱の中から、解説書を引っ張り出した。
解説書には、"かつて大陸で大暴れした凶暴なビーストを和尚が封印したもの"と、えらくファンタジーな解説があるだけで、どこにもタイガーとは書かれていない。
ほどなく、床にたたきつけられる解説書。
「おのれビースト和尚ー!」
和尚はビーストではない。
なるは、箱もって外に飛び出すと、アパートの階段を駆け下りて、待機していたアシスタントたちに八つ当たりを始めた。
「私はタイガーがよかったの! なんでタイガーじゃないの!?」
フタハとサメは2階の外廊下から、下の様子をうかがう。
タイガーって言わなかったからじゃね? とサメはつぶやいたが、翻訳機は切っていたので、なるには伝わらない。
結局、このお嬢様が機嫌を直すのにかかった30分ほどで、壊れたフタハの部屋のドアは新品に取り換えられ、アパートの外には各方面から届いた謝罪の品々と、騒ぎをかぎつけた野次馬たちによって、小さなテーマパークができつつあり、隣の部屋に住むレイザア伯爵は、人が乗って回るコーヒーカップに緑茶を注いだ。
……そして現在に至る。
機嫌を損ねていたなるは、フタハたちの祈るような説得の末、ウルフもタイガーと同じ猛獣なので、バターになるかもしれないという事で落ち着いた。
さっそく、アパートの壁に掛けられたカケジクの前に、タイガーの餌を置いて、ウルフをおびき出す作戦が始まった。
檻を開けて待ち構える捕獲班に緊張が走る。おいしそうなタイガーの餌に、生つばを飲み込むフタハ。
しかし、ウルフが次元の壁を越えて、こちらにやって来る事はなかった。
この時、疲労しきっていた面々は、ウルフの餌を用意しなかったからだという、サメの意見をあっさり受け入れてしまう。
さらに、餌が届くまでの間に、ウルフのバター化だけでも済ませておこうと、この高々速回転装置という名の、かつて遊園地のアトラクションだったものにはとても見えない、禍々しい調理器具にカケジクを放り込んだのだった。
トラックの荷台に固定された高々速回転装置は、巨大なドラム式洗濯機を横倒しにしたような姿を震わせ、不気味な音を立てながら動き出す。
なるは、この装置に入れた生肉が、超高速の回転により発生した、遠心力によってどろどろに溶けたところに、バター化の可能性を見たのだとか。
しかし、100歩ゆずってウルフがバターになったとしても、それをどうやってカケジクの絵から出せばいいのだろう。
フタハの横で手をつないで待っていたなるが、ようやく手順の問題に気付いたのか、携帯端末でウルフの餌をキャンセルしていた。
フタハがため息をつきながら見上げた空は、観天カメラの癒しフィルタ越しに見る室内の空と違って、ホットケーキにケチャップをかけたような、普通の色をしていた。
それは突然の事だった。
少ない空をナイフとフォークで引き裂くような、金属のすれる音と凄まじい振動。
4方を壁に囲まれた空間に、装置が生み出すスキールと、作業員の悲鳴、野次馬たちが駆け出す足音が混じり合う。
直後、低い爆音と共に、辺りに立ち込める黒煙がフタハたちの視界を遮る。そして恐るべき野生の咆哮がこだました。
一体何が起きたというのだろうか。
呆然と立ち尽くすフタハは、自分の足元に転がってきたものに気づいて、手に取った。高々速回転装置の扉のハンドルだ。
思わず回れ右して自分の部屋に帰ろうとしたフタハは、服の裾をつかまれる。
つかんだのはなるで、この異常事態に驚きながらも、こみ上げる感動と興奮を含んだ声で、言った。
「ウルフだ」
見たくもなかったがフタハも見てしまった。
振動に耐えるために6本の足を昆虫のように展開したトラックの荷台。まるで台風によって屋根を吹き飛ばされた家屋のような、無残な姿になった高々速回転装置。その上で、ホットケーキ色の空に向かって、食わせろと言わんばかりに吠えるもの。
純然たるシベリアウルフの姿を!
「うおおー! 愚かな人間ども! 俺をこんな紙切れに閉じ込めたくらいでっ! ぬ! ぐおぉ!」
壮大な何かを語りだそうとしたウルフの首元に、サメが飛びかかった。
先手必勝。全く容赦のない野生が、ウルフの巨体をトラックの向こうへ押し飛ばす。巻き上がる悲鳴と砂ぼこり。
アパートの裏という雑誌の柱のような空間は、ウルフとシャーク2匹の猛獣が暴れまわるには、極めて狭い。
逃げ惑う3等市民たちは、ウルフの下敷きになり、シャークの下敷きになり、外れた頭が転がると、胴体はいよいよもってマネキンのよう。
ウルフの突進を受けたサメは、ビリヤードの白球を思わせる動きで、駐輪場のバイクや自転車を次々と弾き飛ばす。
ティーポットを持ったまま頭を下げたレイザア伯爵。そのすぐ上を通り越したミニバイクが、アパートの壁にめり込む。辺りはグリーンティーとマシン油の香りが絡み合い、立ち込める黒煙と相まって、事故現場と形容するに相応しい状態になった。
煙の中から姿を現したウルフは、2本の後ろ足で立ち上がり、何かの構えをとっていた。
駐輪場から転がり戻ってきたサメが、ウルフを見てつぶやく。
「ああ、これはヤバいぞ」
フタハは、まだこれ以上ヤバくなるのかと頭を抱えた。




