地下通路の怪物
しばらく真面目に辺りを調べながら歩いていたフタハは、急に足を止めると、左手に持っていた刀を杖代わりにしてしゃがみこんだ。
気付いたオブシデアが声をかける。
「どないしましたかにゃー?」
「足が、筋肉痛で」
「ちょっと運動したくらいで、情けないですにゃー」
「いや、これは昨日の分」
そして今日の分は明日来る。と言った感じでカッコよく決めて見せたところ、オブシデアは優しげな表情を向けるだけで、特にツッコミが出ることも無かった。
不満げな表情のフタハがオブシデアをにらみつける。
「何か言え」
「見た目もキャット語口調も大変お若いのに……にゃー」
「やっぱり何も言うな」
実は自分の言葉も、サメが付けているマッカレル用翻訳機のように、大変ユーモラスな意訳がなされているのではないかという、極めて遠慮したい想像を振り払い、勢いをつけて立ち上がったフタハは、通路の横道から現れた何かにぶつかった。
後ずさるフタハと、前に進み出るオブシデア。
フタハが向ける携帯端末のライトに照らし出されたものは、巨大な2つのゴートの頭と路線バスほどの大きさを持つドッグの胴体、毛深いチップマンクの尾を持った、ゴートでもドッグでもチップマンクでもない何かだった。胴体側面に乗降口が付いていないので、路線バスでもない。
「改造生物?」
足の疲れからつい乗り物である可能性を探ってしまったフタハが、冷静さを取り戻して出した答えは正解であり、その改造生物もまた目の前のものが幻である可能性を捨てて、自身の太い足にぶつかったものが人であるという解答にたどり着いた。
『兄者、まずいぞ。こいつ市民だ』
『慌てるな弟よ、他に我々を見た者がいないことを確認してから、速やかに始末するのだ』
首輪に付けられた2機のゴート用翻訳機の出力から、これが1匹の生物なのか2匹の生物なのかはさておき、向かって右が兄で左が弟という設定であることがわかる。そんな兄弟の首輪に付いた、金属製のタグを見つけたオブシデアの目がきらりと光った。
「姉さん、こいつら脱走兵や、捕まえて州軍に引き渡したら小遣いもらえますにゃー」
全力で首を横に振るフタハを無視して、オブシデアは改造生物に向かってアーバンワイルドキャットアーツの構えを取ると、改造生物の方も応戦の姿勢を取った。
『お前達には悪いが、目撃されたからには生きて返すわけにはいかん。特に市民!』
『兄者、気を付けろ。こっちの小さいのはアーバンワイルドキャットだ』
『問題ない。キャットとはいえしょせんはただの生物。我ら"ケルベロス"は改造生物なのだ』
生物よりも、それをベースに強化された改造生物の方が強い。この考え方は間違いではないが正解でもない。時代と環境に適応できるかどうかという全生物共通の課題に対して、後出しで遺伝子設計できる分有利なだけである。
『覚悟っ!』
律儀に攻撃宣言をしてから繰り出してくるケルベロスの前足をかわしたオブシデアは、フタハに距離を取るよう伝えると、2足直立から半身に構え、左右の前足を弓を引くようなポーズに展開し、
「シロソン流アーバンワイルドキャットアーツ、奥義!」
これまた律儀に攻撃宣言をしてから、ケルベロス前方の空間にネコパンチを繰り出した。
爆音。そう形容するのが最もしっくりくるであろう凄まじい音が通路内にこだまし、同時に発生した衝撃波が、触れてもいないケルベロスを、後ろにいたフタハを、通路の壁に張り付いた苔植物を、情け容赦なく吹き飛ばす!
奥義"マッハぺちん"
気の抜けた名前だが、固有48技能全てをネコパンチで固めた"シロソン流アーバンワイルドキャットアーツ"の正統な奥義であり、繰り出される音速のネコパンチは、直撃せずともその衝撃派によって周囲の敵を殴り飛ばし、万が一にも直撃すれば、およそお見せできないような姿に成り果てるだろう。
距離を取っていたにもかかわらず、強力な衝撃波に吹き飛ばされたフタハは、ゆっくりと両手をついて上体を起こす。両耳はキーンと鳴り響くだけで、通路の真ん中で仁王立ちになって技の解説を行うオブシデアの声を拾わない。
オブシデアは、その背後からフラフラとやってきたフタハに、通路の先で倒れているケルベロスを指さして勝ち誇った。
"猫は最強"
これは、旧時代の生物である"猫"を新時代によみがえらせる際に使用した資料に書かれていた言葉であり、有能なプロジェクトメンバー達に大きな影響を与えた。
結果、砲弾が直撃しても崩れない骨格、怪物じみた運動能力を付与する筋肉、地上環境下でも生活可能な皮膚、さらに耐熱防寒防刃防弾性能を持つ体毛まで備えた、驚異の生物が誕生する事となった。
後に、資料に書かれていた言葉には続きがある事がわかったが、この時点で既に世界政府(第1次世界政府)の指導のもとで"キャット"が誕生していた為、続きの言葉は無かったことにされてしまう。現在、資料の言葉が"猫は最強に可愛い"である事を知る者は少ない。
倒れたケルベロスを背にオブシデアは、フタハに端末で、州軍に通報するよう持ちかける。
背後で何かが動いた。
"何か"はもちろんケルベロスなのだが、奥義を正面に受けてまさか立ち上がってくるとは思わなかったオブシデアは、思わず「うそやろ?」とこぼす。
改造生物であるケルベロスの体は、兵器として前線での戦闘支援に耐えうる頑丈さを獲得していたのだ。ぶるぶると2つの首を左右に振って、フタハとオブシデアを見下ろすケルベロス。ゴート特有の、水平横長の瞳は最強に不気味だ。
『アーバンワイルドキャット、手ごわいな』
『兄者、こちらも奥の手を使うとしよう!』
言うやケルベロスは2つの口を大きく開けると、多種多様な電化製品を次々と吐き出してきた。悪食なのか体内で製造しているのかはわからないが、電器屋ができそうだ。
通路の床でワンバウンドしてからのヘッドスピンを決めるラジオは、電波を拾ってヘヴィメタルを奏で出し、電子レンジをジャンプでトースターを伏せて避けたオブシデアは、フタハに向かって飛んでいく食器乾燥機をネコパンチで粉砕、食器乾燥機の破片が額にぶつかったフタハは、何で頭にヘルメットではなくホワイトブリムをつけてきたのだと後悔する。
『これならどうだ!』
身構える1人と1匹に向かってケルベロス(兄)が小さな何かを飛ばしてきた。カツーンと良い音を立てて、白いプラスチック球がフタハとオブシデアの間を通り抜ける。ピンポン球? とフタハが正解を導き出した時、「にゃっ!」と叫んでオブシデアがピンポン球を追って通路を駆け出した。
慌てるフタハをよそに、ピンポン球とオブシデアはカツーンカツーンと良い音を立てて通路の闇へとフェードアウトし、敵ディフェンダーの排除に成功したケルベロスは、カーブする角の付いた2つの頭を付き合わせて頷き合う。
1人残されたフタハには、ケルベロスの前足に装備された、鋼を切り裂くレーザーアシスト付きバトルクローによる攻撃に耐える装甲も、回避する素早さも持ち合わせていない。
フタハはひきつった笑顔で振り返り、ポケットからお菓子を2つ取り出して、ケルベロスに手渡す……のは怖かったのだろう、足元に投げる。
「これで見逃してはもらえたりしない?」
『駄目だ!』
『見られたからには生かしてはおけない!』
そう言いながらケルベロス兄弟は、フタハが投げ渡したお菓子を口に入れた。それは以前サメがデジタル大家に貰ったガムと同じ物で、野良生物に襲われたときに差し出す身代わり食である。
『これは煎餅か? ともかく食べ終わったらこの市民を始末しよう』
『待て兄者、これはガムだ。食べ終わることは無いぞ』
『む!? それはいかんな、いかんぞ』
『おのれ、どこぞのウェイトレス! ん? いない?』
ケルベロス兄弟が、くちゃくちゃとガムを噛みながら通路を見渡すと、フタハは来た道を全力で引き返していた。「追わねば」「追うぞ」と言うものの、行儀の良いケルベロス兄弟は、口に入れたガムが片付かず、なかなか追いかけられずにいる。
野良カメレオンに追われた時の経験が活きたフタハ。追跡されないよう携帯端末のライトを消して、通路のピットをよけつつ息を切らせながら走っていたが、突然転びそうになりながら足を止め、震える両膝を抑えた両手を前に伸ばす。
壁……行き止まりだ。
どこかで道を間違えたのだろう、周りを見渡しても全く見覚えのない袋小路に入り込んでいたフタハは、後ろからゆっくりと迫ってくる足音に気づいて、壁際に作られていたピット内にその身を隠す。
かしかしと爪で地下通路のコンクリートを突きながら徐々に近づく足音。薄暗い闇の中で青く光る4つの目は、隠れた獲物を探し、2つ1セットで宙を行き来する。
唯一の武器である手元の刀でどうにかなる相手ではない。いや、アーバンワイルドキャットアーツの奥義すら通じない相手に対しては、武器ですらないのかもしれない。
フタハはピットの段差を背に、出来る限り小さく丸くなって座り、息をひそめて気付かれないよう祈るしかなかった。それが解決策になり得ないのは明白なのに、ただ、祈るしかなかったのだ。




