生還者
「とりあえず機械室から出よう」
そう言ってフタハは、カルキノスが乗った鞄を肩にかけると、エレベータへと引き返す。
真っ暗な機械室に差し込む直線的な懐中電灯の明かりが、出口前で立ち止まっているロボット掃除機の姿を照らし出した。いや、ロボット掃除機のようなものと言った方が適切かもしれない。
それは、血を吸い終わった後の蚊のようにはち切れんばかりに膨らんで、ドラム缶のようなボディの上面を覆っている蓋は浮き上がり、その隙間からピンク色の肉のようなものが覗いている。
ロボットに高価な生体パーツが使われることはまず無い。
つまりこれは、ロボット掃除機に擬態した生物なのだ!
この狡猾な生物が悪霊の正体だとすれば、制御室を獲物の体液で染め上げ、ロッカーの扉を貫通する、現在の姿からは想像もできない攻撃力を隠し持っていることになる。
そしてそいつが、機械室出口をふさぐように、佇んでいる意味は1つしかない。
フタハ達を始末しようと待ち構えているのだ!
フタハは擬態生物に懐中電灯を向けたまま、往路とは逆に右肩から斜めにかけた鞄の中に隠れて震えるカルキノスに、食用フィッシュの缶詰を取り出させ、タブを起こしてわずかにふたを開けると、通路左手側に並ぶ機械群の奥へと放り投げた。
中に詰まっていたスープが飛び散り、海もとい養殖水槽の香りが波打つように機械室内に広がる。
「缶詰を落としてしまったので、片づけておいてください」
フタハが指示を出すと、擬態生物は『清掃ヲ開始シマス』とロボット掃除機の声真似をしながら、フタハの前で右折。整備用の細い通路に並ぶ機械の、正面からは見えない側にべったりと付けられた赤黒い汚れを背に、缶詰を目指して進んでいく。
程無くして聞こえてくる、恐ろしいほどの力で缶詰が破壊される悲鳴の様な音。
フタハは、駆け出しそうになるのを抑えながら、つとめて早歩きで、来た時からは考えられないほど遠く感じる、エレベーターへと到達した。
なかなか閉まりきらないエレベーターの扉。向こうからゆっくりと近づいてくる音は、もはやロボット掃除機のそれではなかった。が、幸いにも追っ手の姿を見ることなく扉は閉められた。
後は階下でエレベーターのバッテリーを外して擬態生物を閉じ込め、機械室の状況を報告すれば、ビル側が害獣ハンターを派遣して片づけてくれるだろう。ラットたちの市場も晴れて公式デビューできる。
そう思ってフタハが壁にある"7"ボタンを押すと、鞄から顔を出したカルキノスが悲鳴をあげる。
「フタハ様、"7"と"開"のボタンは逆に設定されてます!」
「は?」
無情にもエレベーターの扉はゆっくりと開き始め、そんな扉に呼応するかのように、曲がり角の向こうからそれはやってきた。
<擬態生物:完璧な仕事>
――"それ"の擬態は常に完璧であった。
今もそれの擬態に気づかずに被食者は捕食者を迎えようとしている。
小さな裏切り者達も愚かな選択をしたものだ。それが機械室で生活することは、不法占拠者である彼らの生活を守ることにつながっていた。そんな関係を自ら手放したのだ。
彼らの紹介する新たな生活はおよそ受け入れられるものではなかった。擬態を行わない生活など生活ではない。自らの能力を活かすことなく生きるということは死と同義なのだ。
それはゆっくりと開いていくエレベーターの扉を確認し、完璧な仕事の仕上げに向けて足を進める――
『階下ノ清掃ヲ行イマス……扉ヲオ開ケニナッタママ少々オ待チ願イマス……』
フタハは、擬態生物に気を取られて、ビル構造に潜むトラップを見逃したことを後悔した。
カルキノスはフタハに謝りながら、バッテリーが収めてあるエレベーターの床の隅にある小さな扉を開けて、その隙間に身を隠した。
おそらく生き残った調査隊のラットも、ここに隠れてやり過ごしたのだろう。
完全に開いた扉の向こうにいた擬態生物は、ロボット掃除機の姿をしていなかった。
ロボット掃除機の上面を覆っている蓋は本体の1/3ほど持ち上がり、そこからはみ出した無数の触手が、競技用投槍の様な金属質の先端を床に突き立て、甲殻類の様に歩いてくるではないか。
本体下部の湿ったモップからは例の液体がしたたり、床をぺたぺたと汚す。
良く見ると2つの目のようなものが付いており、持ち上がった蓋と本体の間からこちらの様子を見ているのがわかる。
フタハが後ずさるようにエレベーターの左奥に移動し、手前の空間が空くと、擬態生物はかつかつと音を立ててエレベーター内に入ってきた。
ロボット掃除機本体は触手で天井近くまで持ち上がり、触手のうちの何本かは獲物を逃がすまいと、出入り口をふさぐように展開し、エレベーターは、侵入者を閉じ込める檻となった。
上から見下ろす擬態生物の目が、エレベーターの隅で壁に身を寄せるフタハを捉える。頑丈なロッカーの扉をやすやすと貫通する槍のような触手が、自身を支える数本と檻を形成しているものを除いて、一斉にフタハの方へ向きを変えた。
そして、掃除機本体のスピーカーに神経をつなげたサイバーな発声器官が振動し、別れでも告げるかのように言葉を発する。
『イタ ダキ マ……』
「あのっ、せ、狭いのでもう少しだけ詰めてもらえませんか?」
フタハの震える声が、別れの言葉をさえぎる。
擬態生物の目がすっと横に細くなった。笑っているのだ。
獲物が擬態にだまされて、自分の手のひらで踊る様が、この上なく楽しいのだ。その感情は擬態生物に備わった本能であり、生きている証でもあった。
『ハイ……』
故にそれが断ることは無かった。
フタハの対角線上、エレベーターの操作ボタンのある出入口に向かって、左側手前へと擬態生物が移動した。その瞬間、エレベーター内が凄まじい振動と断続的な閃光に包まれた。
擬態生物が律儀に体を詰めたせいで、掃除機本体からはみ出した触手が、壁に沿って張られた、天井と床を結ぶ3本の金属線からなる電気調理器に触れたのだ。
擬態生物の身体を高圧電流が駆け巡る!
獲物を逃がすまいと伸ばしていた触手が細かく波形表現し、掃除機本体のスピーカーは、ワックスのかかった床の上でゴムタイヤを引きずり回したかのような声で吠える。
余談だが、このロボット掃除機の取扱説明書には、食用として製造されておりませんので調理しないでくださいと書かれている。
もちろんそんな事知るわけもない焼肉マシーンへと変貌したエレベーターは、シェフも驚く超高火力を振るい、ロボット掃除機の金属製ボディの中身をおいしく調理していく。
擬態生物は震える触手をフタハに向かって伸ばす。喰らう側であるはずの自分が調理されるなどあってはならないのだ。が、エレベータの隅で頭を抱えてしゃがみこむフタハに、あと少しで触手が届くといったところで、再び調理器が牙をむいた。
出力の上がった電流に甲殻類の足の様に展開した触手が力を失い、持ち上げられていた本体はずどんと床に落ち、残った全ての触手が天井へ向かって一直線に持ち上がり小刻みに震える様は、まるでシーアネモネのよう。
最期にそれが見たものは、足元にある電気調理器の調節つまみに全体重をかけて、"調理"から"超調理"に設定変更した、小さなラットの姿であった。
ほどなくして調理は完了した。
調理を終えたエレベーターは、出来上がった料理を通路に機械室に返したフタハ達を乗せ、ゆっくりと扉を閉めると、今度こそ7階に向かって動き出す。
機械室に戻る闇。
半日隠され続けた陽が沈み、百六町での買い物をあきらめて隣町へと向かったメジロボット達が、マザーシップもといメジロへ帰還する頃。
満身創痍のフタハが幽霊高楼2階の喫茶店に戻ってきた。
テーブルには洒落たキャンドルスタンドが置かれ、ろうそくの明かりが風通しの良い店内をオレンジ色に染めている。
決して明るくない照明に目を細めるフタハは、右手に握られた傷だらけの懐中電灯が電池切れ寸前だったことを知った。
「お疲れ様です……」
「お疲れ様、今日は上がっていいですよ。 もう下り飽きたでしょうし」
中央の四角いテーブルで複数の携帯端末を使って何やら作業していたコウトが、わざわざ手を止めて笑顔でジョークを放つ。
フタハは、もう1階分下りますけどねと返し、さりげなくキッチンに撤退しようとしていた喫茶店のマスターを呼び止めて、夕飯を注文した。
「焼き肉以外を頼むなんて珍しいですね」
「肉ならさっき焼いてきましたので」
フタハは隣のテーブルから椅子を持ってきて、コウトの使っているテーブルの側面に腰かける。
ご機嫌なマスターがホットケーキセットを持ってきた時、ようやく停電から復旧したのだろう、天井の照明が一斉に息を吹き返した。
店内スピーカーから鳴りだすサイケジャズに溶け込むため息と、どこか遠くから聞こえてくる日常の回帰を思わせる爆発音。
メジロは明日の午前まで買い物を行い、再び衛星軌道に帰って行くらしい。




